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だが伯爵の領地には他にない利点があった。
林檎が良く実るのである。毎年大きくて甘い実が大量に収穫できた。嗜好品がほとんどないこの貧しい国で、林檎の木は貴重な財産だった。
この林檎欲しさに周囲の領主達からは幾度となく同盟を結ぶように働きかけがあった。
しかし伯爵はけんもほろろに断った。
年若い伯爵の鼻持ちなら無い態度は、反感の嵐を巻き起こした。にも関わらず、侵略が進行しないのは、ひとえに伯爵を恐れるあまりである。
伯爵の残酷さは国内外に知れ渡っていたから、なまじ半端なちょっかいを出して、反撃をくらってはかなわない。
しかし林檎は欲しい。伯爵は疎ましい。
そのため、彼らは正面切って土地を奪うやり方でなく、謀略を働かせる方向になびいた。
その筆頭とも言えるのが隣接する領地の総主、バークレイ伯爵である。
粘着質でプライドが高い二代目領主だった。欲しいとなったら是が非でも欲しいタチである。
「まだどうにかならんのか、あの小僧一人を殺せば領地は手に入ったも同然なんだぞ」
伯爵の肥満した体が揺れた。剣が得意でない分、彼の政治の要は社交と戦略だった。会食にパーティにと精を出して贅肉がついた体は樽のように重い。レオン伯爵とは対照的な人間だった。それゆえに劣等感は深いが、理解は浅い。
「工作は進めておりますが、なにぶんにも伯爵は疑り深く、慎重に慎重を重ねなくては⋯⋯」
「いつまでかかっている! 今年もまたあの林檎がたわわに実るのを横目で眺めろと言うのか、わしはもはや我慢ならん」
「不満は溜まっています。もう一押しです」
側近は確信を込めて断言した。バークレイ伯爵は苛々しながらバルコニーの向こうに視線を走らせた。林檎並木で区切られた遠い高台にレオン・パンテール伯爵の城がそびえている。
それは脅威だった。
そこであの残虐な魔王が剣を研いでいる。そう思うだけで胸の中に黒い不安が広がった。視界からあの重苦しい石の城が消えてなくなったらどれほど清々しいであろう。
もしかすると彼の本音は、土地でもなく林檎でもなく、このバルコニーから見える景観を平穏なものにしたいだけなのかもしれなかった。
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