2-7 夜

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「貴様⋯⋯」 伯爵はアスタロトの腕をつかんだ。だが、アスタロトは躊躇なく払いのけた。伯爵は即座に剣に手をかけた。 「やめたほうがいい、俺に手を出すとこいつらが怒る」 「こいつら?」 伯爵は声を荒げた。アスタロトは両手を広げた。 「お前に殺された連中が、ここら辺でウロウロしている。例えば心臓を一突きにされた庭師。枝の切り方が気にくわないって言うんで殺された男だ。門番もいる。門の開閉が遅れて、首を落とされた奴だ。伯爵の後ろには昨日の兵士が恨めしそうに立ってるし、その横には緑色のコートを着た女だ。メイドだったらしいが、調度品に傷をつけたことを責められて足をつぶされ、自殺してる」 伯爵は剣に手をかけたまま固まった。覚えはあったが、外部のものが知るはずもないことだった。 「誰が漏らした」 伯爵は詰問した。 「だからこいつらだって言っているだろう。最もいくら腹が立っても二度は殺せまいが」  アスタロトはパチンと指を鳴らした。  伯爵はとっさに壁に張り付いた。廊下が明らかに深い闇に落ち、冷気が足もとから這い上がってくる。  伯爵は目を見開いた。誰もいないはずの廊下に血まみれの人々が一挙に現れたのだ。声も出なかった。プライドで悲鳴を上げなかったのか、単に声が出せなかったのか区別もつかない。   どれも知っている顔だった。しかし過去にだ。虚ろに伯爵を見つめる目が、幾つも宙に浮いている。その中でアスタロトだけが鮮やかな天然色だった。 「信じる信じないは勝手だがこういうことだ。さっきも言ったが俺は特異体質でこういうものが見える。こいつらが随分、おしゃべりでね」  アスタロトはもう一度指を鳴らした。まばたきをするともう何も見えなくなっていた。 「今のは……なんだ」 「懐かしかったか? まあ気にするな。悪さをするほど力はない。それより立ち話が長引いたおかげで寒くていられない。伯爵の部屋に暖炉はないかな」  アスタロトは体をさすった。廊下をふらふらしていたから、すっかり冷えてしまった。伯爵はまだ廊下を睨んでいたが、何度見直しても亡霊の姿はなかった。伯爵はまだ混乱していたが、一瞬で消えた亡霊よりも、それを見せたアスタロトに興味を抱いた。
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