夜雨

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夜雨

言葉はジレンマを抱えている。 説明をすればするほど、論理は絡まり、 冗長な言葉は複雑化する。 僕は、喋ることが嫌いだ。 突然、どれかと話せと言われても、言葉が出てこない。 一生懸命に話そうとすれば、アクセルをふかしすぎて、うっ。とか、あっ。とか、関係のないセリフが先に出てくる。 前もって、話を作って挑もうとすれば、早口になり、段々と話している相手の表情が硬くなっていることを、視線の先に感じる。 口数が少なくなったときに、たまに返事をしたかと思えば、その聞き珍しい声に驚いた同級生に真似をされる。 僕は、ただ。等身大で話しかけているだけなのに、 すぐに、小馬鹿にされる。 会話をしないうちに、学校のクラス内には、別のコミュニティが出来上がっていたようで、僕の話す言葉は、いよいよ、通じないものとなっていった。 友達と思っていたヒトいわく、僕は会話の流れが少しズレているらしい。 学校に行かなくなったら、急にやることが無くなり、暇な時間が増えた。 昼間は暑いので、エアコンの効いた部屋で過ごし、ずっとそこに居ても健康に悪いので、日が落ち始める夕方に、家の周辺を散歩する生活が続いた。 ーー川の土手沿いは、川の流れに沿って、空気が運ばれて、涼しいので、歩く機会が増えた。 とぼとぼ。地面と靴を擦らせながら、目的もなく歩く。 流し目で、下校途中の同級生を見ながら、再び、川沿いを眺める。 何度も何度も通っていると、細かい変化に気づくことも増えた。 時期により、虫の音は変わり。 大きい石の置かれた位置によって、清流の流れが細かく変化する。 特に台風の後は、今まで見ていた景色が顕著に一変する。 今まで置かれていた草や石。その位置が変わるだけで、自然現象はダイナミックに変化をする。同じ空間でも、関わりあう相手が違えば、違う作用が生まれる。 僕の生活も同じように、変化をしないのかと、ずっと、そう思っていた。 学校から住宅地へ流れる人の波は、一切変化をしない。 いつも同じ景色を眺めている。 そのお互いの位置関係が変わらない限り、ずっと、流れ続ける。 朝と夕方。決まって同じ時間に、同じ方向に。その組み合わせは変わらない。 そして、橋の上を歩く人の波も、気づけば等間隔で、規則正しく最適化されて、流れている。 視線を動かすと、その波を少し遮るように、人だかりが出来ているのを、遠くから眺めて気づいた。 今まで、見たことのない変化だった。 誰かが、こちら側に身を乗り出しているかのように見えた。 見慣れた空気が一変しているのを周囲のざわつきから感じる。 落ち着け。ーー。焦るな 突然、どうしちゃったわけ? どうせ、できないだろう、やめとけって。 目立ちたいだけだろ。 そんなことしても、誰も、助けにこないぞ。 遠くて声が聞こえづらい。が、たしかに何か叫ぶ声が聞こえた気がした。 ドボン。 川の中に大きな音をたてて、落ちた。 だから、止めておけと言ったのに。 そんな声も周りから聞こえてくる。 自分から身を投げたくせに、立派に藻掻いていた。 観客は大勢いた。はずなのに、 足や手を使って、もがいても、誰も助けようとはしなかった。 そう。 水は怖い。 泳げる救助員も、巻き添えになるなんて、よく聞いたことのある話だ。 だから、ここに集まった当事者たちは皆、うすうす感じていたはずだ。 おそらく、このまま見ているだけだろうと。 誰も救いの手は、差し伸べたりはしない。 自分たちはせめて、何か掴まれる棒を探したり、 大丈夫か、頑張れと、あとで不甲斐ない自分に後悔しないよう、声をかけることに専念しようと。 ずりずりと、河辺の石が転がる音がする。 気づけば、自分の足元から、音を立てていた。 他人がジロジロと自分を眺める中、不思議と僕の身は軽かった。 別にヒーローになりたかったわけじゃない。 感謝されたかったわけじゃない。 注目を浴びたかったわけじゃない。 ただ、僕に世界への未練がなかっただけだ。 浅い川瀬かと思えば、進めば進むほど、急激に水が服の中へと侵入してくる。 大丈夫、まだ足は着く。 僕は、水をかき分けながら、川の真ん中で足がつかずに、慌てている相手に手を伸ばした。 細い指先が見え隠れする。 長い黒髪が浮き沈みを繰り返しながら、必死に居場所を伝えているようだった。 彼女は、苦しそうに顔を真上にあげて、必死に呼吸を試みる。 こちらを見据えて、腕を伸ばしたとき、その一瞬を逃すまいと、僕も必死に腕を伸ばし、精一杯、自分の元へと引っぱりこむ。 水の抵抗を感じながらも、必死に抱き寄せたときに、冷えた身体を制服越しに感じた。 咳き込む音を聞いて、まだ大丈夫そうだと、少し安堵した。 彼女が河辺に腰を下ろすを姿に、物見に来ていた野次馬たちは、立ち去る。 僕はその場に脱ぎ捨ててあった自分の制服の上着を彼女の肩にかけると、そのまま、僕は隣りの丸石に座った。 幸い、外は蒸し暑いくらいで、風邪のひくような気温では無かった。 一言も喋らず、うつむいていた彼女が、つぶやき始める。 「私、昼が嫌いなの。見て。あそこ。私が飛び降りた場所。 あんなに、高かったんだね。」 彼女が指さした方向に、釣られて視線を上げるが、いったいどんな反応をしたら、良いのか分からなかった。 この人は、さっきまで溺れていたのに、それを忘れたかのように、起こっていたことを振り返っていた。 彼女は笑う。 「はぁ。でも、助けてもらえてよかった。ほんとに、ほんとうに死ぬかと思った。」 何か、嫌なことがあったのかと、聞きたくなったが、僕が口を開くか迷っていると、彼女が喋り始めた。 「虐められてるんだよ。私。ふふ。 でも、私が飛び込んだときの、あいつらの青ざめた顔。 面白かったなぁ」 ニヤリと笑いながら、足をバタつかせる。 彼女は白い靴下を脱ぎ、乾かすために、近くの丸石の上に綺麗に並べる。 「昼と夜は半分なのにさぁ。 この世界は昼を生きる人のために設計されているんだよ。 まぁ、大部分に合わせないと、世の中が、回らないから、仕方ないんだけど、 私には辛いなぁ」 丸石が靴下が含んだ水で滲む。 鼠色の表面に描かれた黒い線は地面に向かって、吸い寄せられるように落ちる。 滴る水滴に目を向けると、近くに蟻の行列ができていた。 さっきまで、眩しい太陽の光が差していたはずが、急に影が河原周辺を覆い出したのがわかった。 川上の方から、風が強まったことを感じる。 案の定、空を見上げると、分厚い雲の移動する速度が早くなり、 あっという間に、僕らを照らしていた太陽を覆っていく。 そんな状態を観察する間もなく、大粒の雨が、肩の上に落ちて、濡れたのを感じた。 「やばっ。せっかく、服乾いたのに、また濡れちゃう。 ねぇ、ほら、ぼーっとしてないで、雨宿りしに行こう」 僕は彼女に腕を握られ、駆け出す。 今度は僕が握られた。 さっきまで、溺れていたのに、こんなにも力強いことに驚く。 向かい風に黒髪をなびかせながら、彼女は、どんどん前に進んでいく。 僕はいつもこうやって、一歩引いて世界を眺めていると一瞬、感じた。 この先を考えることなく、ただひたすら、 なにかに吸い寄せるれるように生きてきた。 会話の仲間に入るために、何かを見たり、聞いたり、その行為自体がいけないわけではないけれど、そこに僕の意思が、どれほどあったのかと聞かれると、自信を持って答えることはできなかった。 学校に行かなくなって、やることがなくなったのは、そのためなのかと、ふいに思った。 貯水のために作られた公園を通り過ぎ、近くに子どもを見守るために作られた四角い屋根付きのベンチに辿り着いたところで、彼女は、口を開く。 「ねぇ。なんで、さっきから、何も喋らないの?」 彼女は、不満そうだった。 不満かどうかなんて、直接、口には出していないけど、その口調から、不満そうだなということは推測できたし、何度も色んな人から、同じような声色で話しかけられな経験から、自覚していた。 だから、そんなときに返す言葉も決めていた。 「そういうルールだから。」 「なにそれ」 僕がそういった瞬間、彼女が笑い出す。 呆れられたかと思い、彼女から視線をそらすと、続けてこう言われた。 「君の声。少しタイプかも。」 一瞬、雨の音がやんだ気がした。 ふいに、今まで意識していなかった情報が視界に飛び込んでくる。 濡れた前髪、濡れたYシャツから少し透けて見える下着、濡れてベタッと張り付いたようなスカート。 僕は、慌てて視線を反らして、周囲の公園に身体を向ける。 気づけば、僕らは公園のど真ん中。 貯水用の公園はその役割を果たし、僕らを四角い屋根の孤島に取り残していた。 「あー。いつもそうなんだよね。このベンチ以外、この公園は浸水するの。つい癖で。 ごめんね、帰りたかった?」 僕が首を振ると、彼女は笑う。 「珍しいね。帰りたいって言うかと思った。」 公園には、案の定、誰も近づいてこなかった。 誰も、自分の足を濡らしてまで、この空間には入ってこなかった。 「落ち着くよ。雨の日は、誰も来ないから」 少しリラックスした彼女の声は、雨の音より鮮明に耳に入ってきた。 僕と一緒にいても、その雰囲気を作りだしてくれる彼女に、僕は、失礼な態度を取ってはいけないと感じた。 僕は不安になりながらも、息を吸う。 「ぼ、僕が喋らないのは、理由があるんだ」 そう言うと、彼女はこちらを振り向く。 「僕は、説明が下手で、どうしても話が長くなってしまって、面白くないから。 人と話していると分かるんだ。 段々とつまらなそうな顔をしているのが。 それが僕にとっては苦痛なんだ。」 僕がそう言うと、彼女はキョトンとした顔のままだった。 「最近は、学校にも行ってないから、きっと、これから話す内容はつまらないと思うよ。」 「うん。それで?」 ここまで言い切ったのに、彼女は、僕に問いかけてくる。 「や、それでけ。それだけ。」 少し、噛みながらも僕は返事を返す。 「話してみてよ。その、つまらない話」 「いや、無理だよ。なにも考えてない。準備してないから」 「そっかー。」 彼女は、くすっと笑う。 「話すことって、無くて良いんだよ。 でもほら、こうやって話せてるじゃん」 「そう。話すことなんて、三歩歩いたら忘れる程度の話でいいんだよ。 そしたら、きっと、口を開くのが簡単になるよ」 「ど、どうしてそんなに。どうしてそんなに」 そう言われて、僕は思わず返事をしそうになる 簡単に。 そんなに、気楽に生きられるの? まるで、さっき、橋から飛び降りた人とは思えない。 そのアドバイスに、僕は困惑する。 「無理だよ。心の中を覗かれるみたいで、ふいに思いついたことを口に出すなんて、無理だよ。」 「心の中をさらけ出すかぁ。確かに、私は、土足で踏み入っちゃうかもね。 だから、皆から嫌われるんだろうなぁ」 彼女は、時折、僕がよそ見をしたようなタイミングで、自分の事を傷つける。 自分に自信があるのか、ないのか。 それすら、僕らには分からなかった。 気づけば、一気に日が沈み、辺りが暗くなる。 公園に敷設された電灯の明かりが付き、小さいコバエをおびき寄せる。 「帰らなくて良いの?」 周囲の変化に気づいたのか、彼女が僕に問いかける。 「別に良いよ。僕は、学校にも通ってないし、明日、予定があるわけじゃないから」 「私も学校行きたくないなぁ」 そうつぶやく横顔を見て、彼女の溺れかけて死にかけた表情を思い出す。 辛そうだった。 苦しそうだった。 「なんで、そこまでして通うの?」 思わず、聞いてしまった。 すると、彼女は、手持ちぶたさにベンチの上に置いてあった小石を投げ捨て、ポトンと音をたてた。 「私は、、、 幸せになりたいから。 かな。別に、今が幸せじゃなくても良いの。 いつか、幸せな人生を歩めるようにしておきたいの。」 彼女は、遠くを眺めていた。 そのまま、小石を振りかぶった腕を肩から指先まで眺めていると、所々、痣がついているのが分かった。 雨で土の汚れは流されたはずなのに、くっきり浮かんでいるのが分かった。 何にもできない虚しさが、僕の心をつきまとう。 彼女のために、なにかしてあげられることと言えば、こうして、話を聞いてあげることだろうと、そう感じた。 僕らはこの後、次の会う約束をしなかった。 なにか、運命的なものに導かれて、会えたのだと、 そう思っていたから。 特に、口に出して約束をしなかった。 きっとまた、同じような、下校途中で会えるだろうと思って。 家に帰り、ご飯を食べ。 いつもどおり何もない数日間を過ごし、むさ苦しい昼間にご飯を食べていたとき、あのニュースが目に入った。 「ーー橋から、また飛び降りがありました。」 「年齢はーー歳。ーー高校の制服と思われる。 死因はー死と思われます。」 「目を覆いたくなるようなニュースが後を絶ちませんね。 メンタルヘルスに問題を抱える若者が増えているのはどうしてなんでしょう?」 隣のキャスターが深刻そうな顔つきで、質問をする。 見たことがある橋の風景だった。 僕がいつも散歩している土手沿いも映し出されていた。 只今。身元の確認も取れました。 氏名はーー。 一瞬、思考が止まったような気がしたのにも関わらず、身体は、反射的にその場から立ち上がり、気づけば、家の外に飛び出し、走り出していた。 もはや、寝間着のままの姿など、どうでも良かった。 もはや、自分自身に、なぜそんな行動をしているのかなど、問う必要は無かった。 ここ数日間考えていた。 あの日の続きを。 喋らないことで周囲に見えない壁を勝手に作っていた僕に話しかけてくれた君のことを。 もう一度、会いたかった。 会って、もう少し、自分から話しかけて、君の笑うところを見てみたかった。 どうして。あの日。 ちゃんと言葉にして、もう一度、会う約束をしなかったのかと、悔やんだ。 長くなればなるほど、わからなくなる言葉。 伝えたいことは、シンプルだったはずなのに。 「君の声。少しタイプかも。」 そんなこと、言われたのは初めてだった。 少し、話すことに前向きになれた気がした。 それと同時に、なんだか、自由なとりとめのない、彼女の声色も、もっと聞いてみたいと思った。 僕には、彼女と歩んだ道を振り返ることしかできなかった。 最初に出会った河原に行くと、ブルーシートが巻かれているのが、確認できて、胸が痛んだ。 あのニュースは、本当だったのかと自覚すると同時に、今は、確認したくないという気持ちが芽生えた。 彼女に腕を引っ張られて、辿り着いた公園に行く。 小学生や、小さい子供を連れた親が、あの四角い屋根のベンチで涼んでいた。 彼女の姿は、どこにもなかった。 何も言わずに公園を一周したあと、また、あの河原へ戻る。 さっきまで、人だかりができていたはずが、少し人数が減った。 代わりに、添えられた花束の数が増え、僕の心はまた締め付けられる。 自分も、確認するために、現場検証している方に話しかけようとも思ったが、なかなか踏み出せなかった。 また、あの公園に戻る。 遊んでいた子どもたちも、僕の様子に気づいたのか。 さっきも、居たよね。と、クスクス笑う声が聞こえる。 項垂れた僕の姿は、不気味な姿に映ったに違いない。 僕が、四角い屋根のベンチに腰をおろすと、近くにいた親子は、こちらに一度視線をやってから、立ち去っていった。 何をやってるんだ。僕は。 ブルーシートの中身を、確認すれば、このもやもやする気持ちは、収まることは分かっているはずなのに。 そんなことをする勇気はなかった。 そして、中身を確認しても、この気持ちは、きっと収まらないという予感をうすうす感じていた。 身体が小刻みに震える。 汗なのか、涙なのか、分からなかった。 こんな経験したこと無かった。 苦しい。 表情筋がこわばって、歯を食いしばる。 寂しかった。 僕の閉じた世界を開いてくれた君と、せっかく出会えたというのに、こんなにも早く別れがくるとは、思わなかった。 もっとたくさん話して、君の色んな表情を見てみたかった。 僕の腕を握った力強さに、かすかな期待を感じていた。 彼女と一緒にいれば、何か知らない世界があるんじゃないかって思った。 ふふっ。 僕は笑った。 これだから、ダメなのかと。 何をするにも、人任せ。 将来の姿も人任せ。 誰のものでもない、自分の人生だというのに。 彼女は。 今が幸せじゃなくても良いの。 いつか、幸せな人生を歩めるようにしておきたいの。 そう言っていた。 ちゃんと、未来を見据えていた。 そんな彼女が、選んだことなのであれば、その選択肢は、きっと前向きな答えなんじゃないかと思えた。 流されるままに生きる僕、じっとしている僕より、一歩踏み出した彼女のほうが堂々として見えた。 夜雨が、地面と反射して聞き馴染みのある音を鳴らす。 物思いに老けていた僕は時間の経過に気付いていなかった。 気づけば、また。 公園に唯一人。 また、いつも通り、近くの電灯に明かりがつく。 そろそろ、潮時かと、重い腰を上げたとき、近くから声が聞こえる。 「あれ?ここで、何してるの。君」 反射的に振り返ると、待ち望んだ彼女の姿があった。 白い透明な傘を差して、口には棒のついた飴玉を咥えて、キョトンとした目でこちらを見ている。 会いたかった人がそこに、居た。 僕は自分の頬に伝っていた涙を拭くのも忘れて、彼女に駆け寄る。 「ちょっ、ちょっと。」 彼女は、驚いて、傘を落とし、急いで飴玉を取り出して、両手を広げる。 「あっ、あ、ごめん」 僕は急いで、彼女から離れる。 気持ちのまま、勢い余って、抱きついてしまった。 脈絡も知らない彼女は、驚いた顔をしていた。 「びっくりした。それに、なんか、涙袋少し腫れてるけど、辛いこととかあった?」 彼女は嬉しそうに笑っていた。 「いや、今朝、川に身を投げた事件があって、あれから、君のことが心配になって、ずっと探していたんだ。でも、どこに行っても見つからなくって」 僕は、正直に話した。 慌てながらも、こうして、再び話せていることに、微かに胸が躍る。 彼女は、僕の様子をジロジロ見て笑う。 「たしかに、なんだか、泥だらけだね。 色んなとこ。走った?」 「そうだね、ずっと、河原とこの公園を往復してた」 よく考えれば、おかしな話だ。 「なにそれ。面白い。昼からこんな、遅くまでずっと?」 「そう。ずっと」 僕も返事をしながら、なんだか、自分の行動に笑えてくる。 人は、冷静を保てなくなるとこんな変な行動を始めるのかと。 「私に会いたくて?」 「もう一度、会う約束してなかったこと、ずっと後悔してた」 彼女を見ると、少し恥ずかしそうに俯いているのが分かった。 へぇ。そうつぶやく声が聞こえる。 「ありがとう。そんなになるまで、探してくれて」 彼女は僕に礼を言う。 「無事で良かった」 僕がそう言うと、また、彼女はクスっと笑う。 不思議と嫌な気分はしなかった。 「私も君の声、もう一度聞けて良かった」 雨音に紛れて、また嬉しい言葉をかけられる。 さっきは反らした視線が繋がる。 なんだか、恥ずかしい気分だった。 相手の表情をこんなに見たことはなかった。 言葉だけじゃなくて、目の動きや眉、口元の動きで色んな気持ちが伝わってくる。 彼女も、僕と同じ気持ちなのだろうか? 気づけば、彼女はまた、前髪を濡らして、雨の雫が綺麗に頬を伝っていた。 あっ。僕は、彼女を濡らしたままだと言うことに気づいて、傘を拾おうと体を前に動かしたとき、彼女も前に動いた。 雨音が止まった気がした。 彼女は、僕に言う。 「また会えて嬉しい」 耳元で言われたせいか、なんだか、身体が熱くなる。 僕は、勢いに任せて、聞いてみる。 「次、いつ会える?」 すると、彼女は、黙ったまま考え込む。 すっと、力が抜けて、少し寂しい感覚を味わったかと思えば、 返事代わりに、身体を締め付けられる感触が伝わる。 少し、鼻をすする音が聞こえて、彼女がつぶやく。 またいつ、会えなくなるか 分からないでしょ。 私、夜行性だから。
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