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【第壱話】朱鷺子様は意地悪???其の一
大正五年、帝都・東京……
「ホホホホホ……」
にわかに、鈴を転がしたかのような笑い声が響き渡ります。こちらは高等女学校の裏庭。穏やかな陽光が降り注ぐ昼下がり。そこにはチューリップや菫、菜の花が咲き乱れる花壇、庭の周りを囲うように植えられ手おりますソメイヨシノ。モンシロチョウが花々とおしゃべりを楽しんでいる春爛漫の場所にございます。
裏庭の中央あたりに位置するライラックの、優しい紫色の花房の中……豊かな鳶色の髪が見え隠れしておりました。肩の下あたりまで伸ばされたその髪は柔らかく波打っており、ハーフアップにして大きな朱鷺色のおリボンで蝶結びにされております。更には、紫色の袴に黒のブーツ、淡い桃色の地に艶やかな紅椿の描かれた小振袖をお召しになっていらっしゃる。そう、この御方こそかの一ノ宮朱鷺子様。何でも、遡ば江戸時代はじめより続いております一ノ宮財閥の御令嬢でございます。
それでは、もう少しこの御令嬢に近づいてみましょう。どうやら、ライラックの木の幹に背を預けるような形で朱鷺子様はお立ちになられているご様子。その朱鷺子様に向き合うような形で、お嬢様方が三名ほどいらっしゃるようですね。いずれも海老茶色の袴に黒のブーツを。向かって左側のお嬢様からそれぞれ橙色、紺色、黄色というお色の小振袖をお召しになっておられます。お顔立ちは……この物語ではこの場面以降、登場して頂いてもせいぜい遠目から朱鷺子様をご覧になる程度ですので、小奇麗にしてらっしゃるお嬢様方、とだけ申し上げておきましょう。
おやおや? よく観察してみますと、三人のお嬢様方は揃いも揃って悔しそうに朱鷺子様を見つめてらっしゃるではありませんか。
「わたくし、存じ上げておりますのよ?」
朱鷺子様の勝ち誇ったようなお声。どうやら先程の高笑いも朱鷺子様だったようでございますね。
「な、何をで……ございますの?」
震える声で、反論を試みようとする真ん中のお嬢様。両脇のお嬢様も加勢するように「そうですわ」「そうですわよ」と口々におっしゃいます。
「わたくしの事を、『頭は宜しいし運動能力も優れていらっしゃるけれど、残念な事に「卒業面意地悪令嬢」でいらっしゃいますのよね』と」
ふふん、と朱鷺子様は顎をあげ、意地悪そうにお嬢様方を見つめます。卒業面とは何かと申しますと、この時代、良家の御令嬢しか女学校に通う事は難しく、しかしながら器量の良いお嬢様は降って湧いて来るほど縁談が舞い込んで参りまして。学校を中退してお嫁に行かれる事が少なくありませんでした、ですので、卒業まで残ってしまうお嬢様の事を、お顔が残念でいらっしゃると揶揄して『卒業面』と呼ぶのでございます。
「な、何を……」
「わ、私たちはそんな……」
「い、言いがかりですわ!」
あらあら、お嬢様方。明らかに動揺なさっているご様子ですねぇ。
「わたくしの情報網を甘く見ないでくださいますかしら?」
朱鷺子様はにっこりと微笑まれます。お嬢様方はタジタジのご様子で身を寄せ合っておられます。
「影でわたくしの事を小馬鹿にしておいて、表では尻尾を振って擦りよって美味しい部分だけ頂こうなんて、虫が良すぎるのではございませんこと?」
朱鷺子様は真顔になられ、お嬢様方をキッと見据えます。ビクッと身を震わせるお嬢様方。
「そういう事ですから、あなた方に二階堂様をご紹介する事など致しかねますの。お近づきになりたいのでしたら、ご自分の力でなさってくださいな。それでは、御機嫌よう」
淡々とそう告げますと、おろおろしているお嬢様方を尻目に颯爽と校門に向かって歩いて行かれました。背は高め、細身でしなやかな体付きでらっしゃる朱鷺子様。その後ろ姿は、さながら優しい春風に揺れる鮮やかな紫色のクレマチスのよう。朱鷺色の大きなおリボンはまるで芍薬の花を思わせます。
朱鷺子様の向かう先は、校舎の前に停められたお車でございました。お車はルノータイプのDJ、客席と運転席が分離したリムジンタイプ。我が国でも一部の名士しか所有していない超がつくほど高級なお車なのでございます。
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