命は尊きもの

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 その頃、光は知覧にいた。知覧は鹿児島市から少し山の中に入った所にある。武家屋敷があり、『薩摩の小京都』と言われている。その一方、知覧には太平洋戦争末期に神風特攻隊の基地があった事でも知られる。  光は息を切らしている。朝食を食べてから、何も飲み食いせず、ここまでやって来た。険しい山道だったけど、ここまでやって来た。ここで僕は死のう。そうすれば誰にも見つからずに死ねるだろう。 「ここが知覧か」  光は適当な公衆トイレを探した。だが、なかなか見つからない。人気のなさそうな所にある公衆トイレの中で首つり自殺をすれば、確実に死ねるだろう。  しばらく自転車で走っていると、公衆トイレを見つけた。その公衆トイレの目の前の道路には石灯篭が並んでいる。それは、この道の先にある特攻平和会館まで通じている。この石灯篭はここから飛び立った神風特攻隊をしのんで建てられたという。  光は公衆トイレの個室に入った。とても汚い。だけど、もうすぐ死ぬんだ。耐えなければ。 「ここで死のう」  光はロープを取り出した。これで首を吊って自殺しよう。 「やめろ! 死ぬな!」  突然、誰かが止めようとした。光は驚いた。鍵を閉めたのに、どうして入ってくるんだろう。  光は振り向いた。そこには1人の男がいる。男は軍服を着ていて、名札には『宮村八郎(みやむらはちろう)』と書いてある。この名札は、もし死んだ時に誰かわかりやすくするためのものだろう。 「お、おじさん、誰だよ!」  光は抵抗した。だが、八郎は強い。軍人だから、こんなに強いんだろうか? 「いいからやめなさい!」 「やめて!」  すると、八郎は優しそうな目で光を見つめた。光は呆然としている。八郎はまるで幽霊のように顔が白い。もしかして、本当の幽霊だろうか? 「命を大事だと思わないのかい?」 「えっ!?」  光は驚いた。命を大事にするなんて、考えた事がない。人を殺す事や、死ぬ事はよくないと聞いているが、大事だと考えた事はない。何だろう。光は首をかしげた。 「この命、惜しくないと思わないのかい?」  八郎は必死な表情だ。どうかわかってほしい。今の子供たちは、命がどれだけ大事なものか、わかっているんだろうか? 「惜しいと思うけど、生まれ変わる時はもっと幸せでありたいなと思って」  突然、八郎は光の頬を叩いた。生まれ変わるなんて、バカな事だ。今生きている事を、大切にしろ! 「バカ言ってんじゃないよ!」 「ご、ごめんなさい・・・」  光は下を向いた。頬を叩かれて、少し目が覚めた。だが、生まれ変わりたいという事に変わりはない。 「俺の頃に比べたら、命って大切に思われるようになった気がして」 「命が?」  光は考えた。太平洋戦争を学校で習った事がある。あの頃は平気で人を殺してたし、殺されたりもしてた。なのに、平和な日本では命が大切にされている。この人のいた頃とは全く違う。 「俺が生きていた頃だよ。平気でみんな人を殺してたし、特攻して死ねば平和につながる、国のためになると言われてたんだよ」 「そんな・・・」  光は開いた口が塞がらない。平和のために死ぬなんて、自分にはできない。こんな時代に生きていたら、自分なら耐えられないだろうな。 「だけど、僕はその平和を見ずに死んでったんだよ。飛行機ごと、国のために死んでいったんだよ」  それを見て、光は神風特攻隊の話を思い出した。ここ知覧は、日本最大の神風特攻隊の基地だったという。そして、特攻平和会館があると言う。まさか、八郎は神風特攻隊だろうか?  光は名札を見た。そこには『宮村八郎』と書かれている。 「お兄さん、宮村八郎っていうの?」 「俺? うん。俺の名は宮村八郎。神風特攻隊だよ。もう死んだんだけど」  八郎は、自分が神風特攻隊だったことを胸を張って言っている。自分はこの命を持ってこの国を守ろうとしたことを誇りに思っている。だが、本当は死にたくなかった。こんな平和な世界に生きたかったなと思っている。 「神風特攻隊?」 「お前、平和学習で神風特攻隊って聞いた事、あるか?」  光は神風特攻隊の事を知っているんだろうか? 「聞いた事ある! でも、詳しい事は知らないです・・・」 「神風特攻隊はなぁ、太平洋戦争の末期にいたんだ。飛行機ごと敵艦に体当たりするんだ」  光は絶句した。こんな事をしたら死ぬのに、どうして体当たりするんだろう。命が大切なものだと思わないんだろうか? 「そんなことしたら、死んじゃうじゃないか!」 「いや、死ぬ覚悟で突入するんだ。死んで当然なんだよ」  八郎は力強い表情だ。自分が神風特攻隊であったことに誇りを持っているようだ。 「そんな部隊があったんだ。僕だったら、そんなの耐えられないな」  光は神風特攻隊の事を聞いた事がある。もし自分がそうだったらとても耐えられないだろうな。 「なのに、どうしてお前は自ら死のうとするんだい?」 「そ、そうだね」  光は少し反省した。こんなに命が大切にされているのに、どうして自分が死のうとしているんだろう。 「今に比べたら、命ってとても大切にされてると感じないかい?」 「確かに。でも僕、みんなにいじめられて・・・」  すると、八郎は光の肩を叩いた。幽霊で、冷たいはずなのに、なぜか温かい。どうしてだろう。 「辛いよな・・・。だけど、頑張って生きてみようよ。あの時より命は確かに大事にされている。俺はそう感じているんだ」  光はなぜかジーンときた。どうしてだろう。初めて会うのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。 「うーん・・・。ちょっと考えさせてよ」  それを聞いて、八郎はほっとした。まだ死のうとしていないようだ。だが、まだ油断はできない。考えが変わるかもしれない。気を付けておかないと。 「いいよ。また考えてみてよ」 「わかった」  そして、八郎は消えていった。光はその様子をじっと見ている。  その頃、鹿児島市内では光の捜索が行われていた。近隣住民に加え、警察も探している。だが、なかなか見つからない。どこに行ったんだろう。だんだん不安になってくる。 「光ー! どこ行ったのー?」  遥は心配でたまらない。生きているとしたら、どこにいるんだろう。どこかで死のうとしているんだろうか?  そこに慎太郎がやって来た。今日は仕事だが、光が行方不明だと知って、会社を休んでいる。仕事なんてしている場合じゃない。これは家族の危機なのだ。 「いた?」 「いない・・・」  慎太郎は息を切らしている。だが、なかなか見つからない。慎太郎は泣きそうだ。光に会いたい。死んでいてもいい。再会できたらそれでいい。 「もうだめだ・・・。死んだんだ・・・」  遥は泣き崩れた。もう助からないだろう。今はもう、天国から私たちを見ているんだろうか? 「諦めないで! まだ遺体が見つかってないわ!」  慎太郎は奇跡を信じている。まだ遺体は見つかっていない。まだ希望は残されている。ひょっとしたら、どこかで生きているかもしれない。 「だって遺書が見つかったのよ! もう無駄よ! 無言の帰宅を待つしかないの!」  だが、遥は諦めている。遺書が見つかったのだ。もうどこかで死んでいるだろう。 「奇跡を信じようよ!」 「でも・・・」  と、そこに1人の老人がやって来た。遥と慎太郎はその老人を知らない。どうしてここに来たんだろう。まさか、捜索に参加しに来たんだろうか? 「おじさん、どうしたの?」 「あの頃に比べて、命って大事に扱われるようになったなって・・・」  それを聞いて、遥と慎太郎は戦時中の事を考えた。戦時中は平気で人が殺されていた。平和な今になってはそんな事が全くない。命が大切にされるようになった。なのに、どうして今、自殺しなければならないんだろう。 「えっ!?」 「あの頃は平気で人を殺してたのに、今は平和になって人ってなかなか死ななくなったな気がして」  周りにいた人々も、捜索を中断して、深く考えた。その老人は真剣な目をしている。 「い、言われてみれば、そうだね」 「昔、知覧や万世(ばんせい)などから特攻隊が旅立っていった。死んでいくとわかっていて・・・」  老人は神風特攻隊の事を思い出した。自分も戦時中は出陣しているが、生で見た事がない。だけど、国のために決死の体当たりをした人々の事を知っている。それを思い出すと、今でも涙が出てしまう。 「それ、知ってる!」 「知ってるか」  遥も慎太郎もその事を知っている。学校の平和学習で聞いた事がある。何度聞いても、涙が出てくる。国のためにとはいえ、決死の体当たりをするなんて、自分では耐えられない。その度に考える。命は尊いのに、どうしてそんな事をしなければならないんだろう。 「でも、そんな事は気づかなかったな」 「あの頃に比べたら、平和になって、命が大事になったね」  老人は天国の神風特攻隊の事を考えた。もし、天国から見ているとしたら、どんな思いで平和な世界を見ているんだろう。自分もそんな時代に行きたかったと思っているんだろうか? 「特攻隊で散っていった人、平和になった世界を見て、どう思ってるんだろうね」 「さぁ・・・」  2人はその事を考えた。だけど、想像できない。それは天国の事だ。天国の事など、わからない。 「自分もこんな時代に生まれたかったと思ってるだろうな」 「確かに」  だが、2人は考えた。きっとそう思っているだろうな。そして、生まれ変わる時には、平和であってほしいと願っているだろうな。 「なのに、どうして自殺しようとするのかね」 「そうだそうだ。どうしてこんな事で・・・」  そして、人々は再び光の捜索を再開した。奇跡を信じて。生きている事を願って。 「頑張って探しましょ」 「うん」  2人は川の中、公園のトイレなど、様々な所を探した。だけど、なかなか見つからない。 「光、光、どこにいるの?」  その近くでは、秋本と川島も探している。自分も探すのを手伝おう。それがいじめた自分の罪償いだ。果たして、許してくれるだろうか? わからないけど、やらねば。 「光、ごめん! 俺、反省してる! だから、許して!」 「光、無事でいて・・・」  2人は願った。だが、見つからないまま時は過ぎていく。こうして夕方になり、今日の捜索は打ち切られた。みんな不安になってきた。もう助からないのでは?
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