夢迷い

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 ただ日常を過ごしていただけだ。  朝起きて、食事を摂り、活動して、寝る。そのルーティンをこなすだけだった。 「どこ、ここ」  静寂なのに、どこからか賑やかな気配がする。見回す限り神社の神殿の雰囲気がある家だ。家と称していいのかはわらない。見られているような、隠れているような、そんな気配がする場所に来てしまった。 「……姫椿、立葵、杜若、日本庭園ぽい造りなのかな。きれいだ」  生きていることは死んでいくことと同義だと思っていた自分は、季節の花の美しさを感じる暇がなかった。 「きれいだな」  少しばかり息をつく。  ゆらりと歪む光の屈折で色が変わる木花を見ていると心が癒される気がする。  外に出れないことはないが靴を履いてない状態で出るつもりも、美しい庭を壊すつもりもない。 「誰か探さなきゃ。なんでか入り込んでしまったんだから」  まっすぐな板張りの外廊下を歩いていくと階段。部屋は襖で仕切られていて、一部屋づつ開けて閉めて誰かないか確認したが、誰もいない。部屋の奥にも恐らく家は続いているとは思うがさすがに入るのはよくないと理性が勝った。 「二階に、いくか」  少し急な階段をゆっくり上がる。視界が開けたが、庭は誰もいなさそうだとうことが判った。  ちゃぷん   ぽちゃん  雨の音が近い。  二階の板張り間近まで迫る水面に雨が落ちている。 「……え、今まで水のなかにいた?」  ガラスがあるわけでもないように見えたし、呼吸もできた。服も濡れていないが水のなかだたったのだろうか?   ぱしゃり   ぱしゃぱしゃ  気がつけば結構な雨になった。  水面に落ちる雨が波紋を作り、庭の木花がゆらりゆらりと姿を滲ませる。  ──おや、雨に見いっているようだ。  気配が強くなった。  ──人の子はすぐに体調が悪くなるのだから部屋にはいればいいのに。  ──そうだそうだ、いくら庭が美しいとはいえ、部屋のなかも美しい。  気遣いと、部屋へ入っていいという聲。  ──まぁ、この屋敷に入ったということは、迷い子か、隠されたか。  雨が落ちる庭を堪能し、聲に甘えて部屋に入るとまた気配が濃くなった。  ──なんにせよ、この子供は聡く落ち着いている。  ──そうだなぁ。ほら、少し前にきた子供、還されてしまったがあの子はヤンチャだった。  楽しそうな、懐かしそうな聲たちに耳を傾けながら目を閉じる。  静かだけど、どこか気配がある。聲もする。居るのは人間ではないかもしれないが、それはそれで一興だろう。 「……俺は、どうなるんだ?」  今までざわめいていた聲が一瞬静まる。本当の静寂は耳が痛い。  ──隠されたならば、帰れない。  ──雨に誘われたならば、帰れるだろう。  穏やかな聲が応えた。 「ここは人の住みかではないな、まるで神の家だ。そこかしこで聲が囁き、人の気配はないのに誰かが俺を見守ってくれる。水もきれいで、庭も部屋も、調度品も美しいままだ」  人がいないのに、埃ひとつなく調度品も曇っていない。 「いいなぁ」  思わず言葉が溢れた。  ──ななつまでは神のうちよね。 「はは、さすがに七つの子どもじゃないな」  無意味に生きてきたが今年で十七歳だ。  ──なに、神のうちというのは年齢ではない。その質、その命、その身体。どれかが神に近いならば、神のうちということよ。 「神のうち……」  女と男、なのか性別はないのか。様々な聲には害意も悪意もない。  ──神のもとへもどるか?  ただ、静かな問いかけ。 「死ぬ、ということ?」  ──肉体はなくなるが、この屋敷で美しい庭を眺めて気ままに生きていける。 「悪くはないね」  庭も、空も美しい。  人間の喧騒など忘れて生きていくのもいいかもしれない。  ──雨に誘われたなら、戻るだろう。 「雨に誘われたのかな」  この家に来る前に何をしていたかわからない。わからないなら、そのまま捨ててもいい気がするのだ。  ──じきに雨もあがる。もしも、雨に誘われただけなら戻るかもしれないが。  ──この家はいつでもお前を招くだろう。  神の悪戯か、妖怪の類いか。  パシャリ   パシャリ  雨音が静かになっていく。 「もう時間か」  判りやすく指先から透き通る身体をみて少し残念に思う。  ──いつでも、おいで。  いつの間にか雨のなか、とある神社の前に立っていた。  どこか寂しいような、心が空いているような感覚に首をかしげる。空が明るくなり、雨足も弱くなっていく。 「……雨よ、降れ」  好きでも嫌いでもない雨。  なのに、なぜか『また』を望んでいる。
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