炎火

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屋敷が近付くにつれ、鈍くなった鼻にそれでも微かに慣れ親しんだ匂いと血の匂いが届き、琥珀は匂いのする辺りで足を止めた。 すると納屋の中からハッキリとその匂いが琥珀の鼻腔を突いた。 紛れもなく子供等三人の匂いだ。 『──翡翠ッ!』 そしてそれより強く感じる血の匂いに琥珀は納屋の中へと声を上げた。 「───琥珀ッ!?」 荷物の影に隠れていたのか、不意に立ち上がった姿に琥珀は息を呑んだ。 翡翠が着物を血に染め、身体を布で包んだ小さな狼を腕にしっかりと抱きしめているのだ。 「琥珀ッ!──蒼玉がッ……蒼玉が死んじゃうッ!」 目の周りを紅く染め必死に堪えていたのだろう、駆け寄った翡翠の瞳に一気に涙が溢れた。 共に抱きついた蛍も泣きじゃくり細い身体が震えている。 手の代わりに鼻を器用に使い蒼玉が包まれた布をどかすと、横っ腹に刀で切られた傷が見えた。 しかしそう深くない傷は乾き始め出血は止まっているように見える。 それでも琥珀はギリッと牙を剥くと、紫黒といるであろう黒曜へ向けて遠吠えを上げた。 共に行くと言って聞かなかった瑠璃に蒼玉の手当をして欲しかったのだ。 怒りを含んだ声が地をビリビリと這うように響く。 怪我を負った蒼玉を翡翠に任せたという事は、幸成があの男の手に落ちていると思って間違いない。 『……心配するな。今黒曜を呼んだ……』 そして大きく息を吐くと翡翠と蛍の頬に、優しく鼻をこすりつけた。 『翡翠……蛍……オレは幸成を連れに行ってくる。もう少し二人で頑張れるな?』 人の姿の時より低く重い声が安心させるように優しく響いた。 次から次に溢れる涙で頬を濡らしながら、翡翠は歯を食いしばると大きく頷いた。 彼岸花がその影も無くし、山茶花や寒椿が冬の訪れをひっそりと待つ庭で、縁側に座る男の前に立つと琥珀はその姿を人へと変えた。 「待ちくたびれだぞ」 親しげに笑う成一郎を一瞥すると、そのすぐ後ろに座る幸成へ視線を向け怒りに顔を歪ませた。 肩から成一郎の物と思われる羽織を掛け、なんの感情も感じられない生気の無い瞳がぼんやりと庭を見つめている。 羽織の中の着物は切られ、僅かに覗く肌に怪我を負っているのが見える。 そして着物を染める赤黒い血も、怪我がそれだけでは無いことも知らせていた。 しかしなにより幸成の手に握られた脇差が、自らの首にその刃を突きつけている事が琥珀の瞳を深紅へと変えた。 「…………幸成に何をした…………」 怒りを押し殺した琥珀の声に、成一郎は楽しげにクスリと笑った。
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