炎火

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『神など恐るるに足らず』 昔どこかで聞いた言葉だ。 しかし成一郎はその言葉を、正に今噛み締めていた。 父が目の前で母を切捨ててから、何故母がしなねばならなかったのか…… 何故自分は愛しい者を奪われたのか…… 何故母は……自分を置いていってしまったのか…… そればかり考え、父も、そして神すら憎んできた。 しかし子供の頃は幸成が唯一の救いだった。 憎むような態度しか見せない父から、幸成を守ることが自分の使命だと思えたからだ。 それが、時が経つにつれて母に似てくる幸成への想いに、戸惑い、手に持て余し始めた。 愛しい母に似た幸成に触れたい。 その熱に抱かれて眠いたい……。 しかしその反面、成一郎すら気付かないうちに“自分を置いていった母”への憎しみもまた、幸成へ向いていた。 背徳感と欲望の間で苦しんでいる間ですら、益々母に似ていく幸成に堪えきれず、父へ持ちかけたのだ。 『神殺し』を行うことを…………。 自分の助言通り、父が幸成を大口真神の元へ行かせると決めた時は正直安堵した。 これでもう幸成への想いに、煩わされずに済むと。 しかし欲望に抗えず、あの晩幸成を抱いてから余計にその想いは成一郎を縛り付けた。 ───狂いそうな程、幸成が恋しく愛おしい。 ───もう一度、あの肌に触れたい。 ───何故俺は……幸成を手放してしまったのか…………。 そして再び戻ってきた幸成の身体に付けられた跡が、昔とは違う瞳が、その全てを怒りに変えた。 幸成を変えてしまった『大口真神』への怒りに。 「……お前の死だ、琥珀。それ以外に俺の望むことは無い」 「……オレを殺して……その後幸成をどうする………?」 「案ずるな……。お前の血肉を喰らい……俺が永遠(とわ)に幸成と共に生きよう」 「……オレを食らうか………ならばオレは、身の内から手前ぇを殺す」 燃えるような紅い瞳が、成一郎を真直ぐに見詰めた。 「……頼もしいな…」 琥珀の言葉に成一郎はクスリと鼻を鳴らした。 「死してなお……身の内から俺を呪うか?……では俺は………お前の呪いをこの身に宿しながら幸成を抱くとしよう」 挑発するような成一郎の笑顔にも紅い瞳は変わることなくただそれを見据えた。 もう迷いも躊躇いも無かった。 一度は、一人の男の為にこの身を堕とし そして今は、一人の男の為に命をも落とそうとしている。 ───オレはつくづく神なんてもんには向いてねぇな…… ただ(くう)を見詰める虚ろな瞳を、琥珀の眼差しが見詰めた。 ───この地を護るどころか、愛しい(もん)一人満足に守れねぇ…… 「……すまねぇ……幸成…」 視線を逸らし意図せず口から漏れた声に、朝日に照らされた幸成の瞳が、刹那に揺れた。
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