炎火

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何処か遠くから誰かに呼ばれたような気がして、幸成は顔を上げた。 しかし仄暗い闇に包まれたまま、先程と全く変わった様子も無く、暫く周りを気にしていたがやがて両手で抱いた膝の間に再び顔を埋めた。 決して真暗では無い筈なのに、この淡い闇が視界の全てを埋め尽くしている。 膝を抱いた両手も、着物の皺すら微かに見えるのに、どこを見ても同じような闇が続いて見えるのだ。 何故自分がここにいるのか解らない。 大声を出しもした、この闇の終わりを探して走りまわったりもした。 しかし終わりもなければ、誰もいない。 何処かへ早く戻りたい衝動に駆られるが、それが何処なのかも、何故戻りたいのかも解らない。 今となっては先程『幸成』と呼ばれた名すら、果たして自分の名前だったのか疑わしく思える。 幸成は僅かに顔を上げると今度は瞳だけで辺りを見回した。 なにか……とても大切なものを忘れている気がするのに、それすら思い出せない。 それが余計不安にさせ、幸成は膝を抱く腕に力を込めた。 するともう一度、先程の声が聞こえた。 「……すまねぇ……幸成……」 名前を呼ばれた時よりはっきりと聞こえた声が、ひどく悲しげで幸成は咄嗟に顔を上げた。 「───琥珀ッ!」 そして無意識に口にした名に胸が苦しいほど締め付けられた。 ───こ……はく……………… 全てを思い出せた訳では無い。 しかしその名が愛おしいと感じる。 「──琥珀…………」 呼ぶように囁くと、どこからとも無く降った一粒の雫が目の前に落ち、一瞬で闇を払い除けた。 もう見えているのかも分からない琥珀色の瞳が、幸成だけを見詰めた。 せめて幸成だけは、生きて逃げて欲しい。 今ならまだ、幸成を逃がすくらいの時間なら立っていられる。 「…………幸成…………」 光が消えかけた眼差しが、かすれる声が、それでも必死に愛する者へ向けられる。 「………まだ幸成の心配か?…………随分と余裕だな」 皮肉を込めた笑顔にすら反応することも無く、その瞳は一点から動かない。 それにどこか面白くなさそうに成一郎の笑顔が消えると、琥珀の心臓を握る手に力を込めた。 あとはこれを身体が回生する間を与えないよう引きずり出し、握り潰せば全てが終わる。 そしてそれを幸成の口へ入れ、飲み込ませればいい。 多少の計算違いがあったものの、概ね上手くいった。 もう少し……真神の苦しむ顔を拝みたかったが、幸成の怪我を思えば諦めるに足りる。 まだ脈打つ心臓を強く握り締めると、成一郎は満足気に笑った。 ───俺の勝ちだ─── しかしその過信と僅かな隙が背中を無防備にさせた。 琥珀だけに気を取られていた成一郎の胸に、不意に熱い程の熱が走った。 そしてつい今まで光を失いつつあった目の前の瞳が、安堵し光を取り戻している。 「────兄上ッ………………」 幼い頃より散々聞いてきた声が、怒りと憎しみを含み、すぐ後ろで聞こえた。 「あなただけは…………許さないッ」
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