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山神の言葉に幸成は顔を上げ、琥珀色の瞳を見つめた。
『……オレを騙すつもりか……?』
美しい満月のような瞳が自分を見据えている。
幸成の心臓が跳ねるように早くなり、額から汗が吹き出した。
ここで何もせずに殺されては元も子もない。
せめて……一太刀だけでも浴びせたい……でなければ、父の思惑通りになってしまう。
震える手を強く握りしめ、全ての気配に神経を集中する。
───どうする……!?剣を抜くか……!?
離れて自分を取り囲んでいる狼がジリジリと動く気配を感じる。
───せめて…………一太刀だけでも…………
しかし幸成は僅かに顔を歪めると地面に膝をつき深々と頭を下げた。
「申し訳ございません!……今年は日照りが続き村の女子供が次々と死んだ故……私が代わりに……」
今剣を抜こうとしたところで確実に抜ききる前に襲われると解る。
その為に幸成は万に一つ、山神の懐に入れる可能性に望みを掛けた。
「……どうか…………今ばかりは……私でご勘弁下さい……」
地面に着きそうな程下げた頭を山神はすぐ近くから黙って見下ろした。
それに習うように周りの狼達も動くのを止めている。
そして短い静寂の後、山神は綿帽子を鼻先で器用に取り、さらけ出された幸成の項に息が掛かる程鼻先を近づけた。
『……お前が……オレの伽をするか……?』
ザラザラとした温かい舌がぺろりと項を舐め、幸成の身体がビクッと震えた。
「…………はい……」
『顔を上げろ』
低い声が耳元で囁き、幸成は言われた通り顔を上げ琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
『…………オレに抱かれるか?』
「…………はい……」
『……その後……お前をなぶり殺しにするが……それでもか…………?』
「……………………はい……」
震えそうになるの堪え、山神の瞳を見据える。
『良い心持だ』
山神はその大きな身体で幸成の前に座ると、耳の近くまで裂けているのではないかと思えるほどの口の端を上げ笑った。
『──気に入った。───お前に生き延びる機会をやろう』
「………………え…………」
『オレに散々犯され……挙句殺されるか…………それとも黙って、オレたちが村へ降りるのを見送るか…………お前に選ばせてやる』
山神の言った言葉に意味が解らない、と言いたげに眉を顰める幸成にまた山神が笑った。
『簡単だ。お前を食うか……お前は逃げて村人を食うか……選べと言っている』
「───そんなっ……」
『お前は自らここへ来たのか?』
「………………それは……」
誰も殺されると分かっていて、こんなところに来たがる訳が無い。
まして……男の自分が恥を忍んで女のなりで来るなど、自ら選ぶはずが無い。
『なら答えを出すのは容易かろう?……お前を贄として差し出した奴等を守る義理が一体どこにある?』
山神の鼻が弱く幸成の胸を押した。
『それとも誰か庇ってくれたか?……お前の口調からすると、それなりの家で育ったのではないか?……それなのに……何故女のなりをしてここにいる?』
全てを見透かしたような言葉に胸が騷つき始める。
この全てを父が決めた。
“何をしてでも山神を仕留めろ”と……
“寝首を搔くことくらい……お前にもできるだろう”と…………
『誰が止めてくれた?誰が泣いてくれた?』
───馬鹿げてる……こんな言葉……聞いてはダメだ…………
父の言葉に、兄も……母すらも………黙っていた。
両親に見捨てられ……
兄に犯され……
───何を守る必要がある───?
『ここに来るまで虐げられてきたのではないか?…………一矢報いてはどうだ………』
山神の囁くような声が、頭の中でこだまする。
───俺は……………………
『オレなら……その手助けが出来る』
───なんの為に生まれてきた───?
『選ぶのは容易い…………そうだろ?』
今頃きっと…………みんな祭りに夢中になっている筈だ……。
───俺のことなど…………思い出しもせず…………
見つめ合う山神の瞳の奥に、小さな提灯が赤く光っているのが見えた。
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