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ちいさな世界
人差し指の先ほどの、小さな小さな箱があった。それは僕の机の上に置かれていた。窓から差し込む朝の光は、僕の机と、その小さな箱を照らしていた。
箱の底は接着剤か何かで机にくっついており、動かなかった。中身を確認しようと思い、僕は、箱のふたを開けることにした。
箱はあまりに小さいので、ピンセットで開けることとした。そろりそろりと、箱の上部を開ける。傷つかないように、丁寧に。
中を覗き込む。人差し指の先ほどの小さい箱の中には、何やら小さく細かい、様々なものが入っているようだった。これは、虫眼鏡で見たとしても十分には見れないぞと思った。
席を立ち、部屋のクローゼットに立ち入り、自分が幼かった時に叔父さんからもらった顕微鏡を探し出す。そしてすぐに、それは見つかった。
顕微鏡を簡単に組み立てる。昔、葉脈を観察したり、虫の足のトゲトゲを観察したっけ。でもすぐに飽きて、クローゼットにしまわれた顕微鏡。接眼レンズと対物レンズを上手いこと調節して、箱の中が見れるようにする。
そして改めて、僕は箱の中を注意深く覗き込んだ。
「!!!!!」・・・驚いた。箱の中に都会があった。ビル群と、さながら空中庭園のような高架の広場。仕事の場と、やすらぎの場。都会だからか、土でできた地面は見えなかった。
顕微鏡を動かすと場所が大きくズレてしまうから、注意が必要だ。つまみでピントを調節すると、ビルの上部から地上近くまでピントを移動させられる。
ひとつの広場にピントを合わせる。すると、組んだ腕を手すりに乗せながら遠くを眺める女性の姿が目に映った。ぷっくりとした頬に、きりッとした太眉。瞳の色は薄く、やわらかな淡褐色だった。可愛い人だなと僕は思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから僕は、暇なときには顕微鏡を眺めるようになった。そして、必ず、その小さな小さな都会の風景の中に、その女性の姿を探すようになった。
ある日、その女性は男性に言い寄られていた。いわゆるナンパ、というのをされているんだと思った。その男性はしつこく、ずっと女性にまとわりついていた。女性もはっきりと断り切れない性格のようで、その迷惑行為は長引いていた。
経緯は分からないが、突然、男性は女性に抱きついた。女性は悲鳴をあげたようで、周囲の人が男性を引き離し、女性を救った。(顕微鏡のこちら側には声までは届かなかった)
その光景を顕微鏡を通して見ていた僕は、はらわたが煮えたぎるような感覚となった。そして、自分が女性を助けられなかったことが悔しかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日を境に、女性は広場に来なくなった。それはそうだろう。あんな怖い思いをした場所に、気安く行けはしないだろう。
実は、僕は女性の写真を1枚だけ、撮影していた。顕微鏡にカメラを取り付けるという投資をした訳だ。そして、小箱の中を眺めるよりも、女性の写真を眺める時間のほうが長くなっていた。
うん。別に隠すこともない。好きになっちゃったんだ。
でも、これは禁断の恋。万が一、僕と女性が知り合って、万が一、付き合ってもよいということになったとしても、僕と女性は一緒に過ごすことはできない。僕の息で女性は吹き飛び、命をすぐに落としてしまうだろう。ましてや、体の関係などは持てるはずもない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ちょっとした転機が訪れたのは、一か月ほど経ったある日のことであった。久しぶりに顕微鏡をのぞくと、小さな小さな小箱の中にある、別の広場に、その女性はいた。やっぱり広場が好きなんだなって思った。
その時、僕はひらめいた。そして、箱に向けて、声を発した。
「街のみなさん、すみません。いつも上から眺めている者です。ご迷惑していたら、申し訳ないです。実は、みなさんの中にいらっしゃる、ひとりの女性に恋をしてしまいました。どうしても、好き、ということだけ伝えたいんです」
そう言って僕は、女性の写真を箱の中から見える位置にかざした。箱の中の住民からは、上空に巨大な写真が掲げられているように見えているのだろうと思う。そして僕は、話を続けた。
「今から、僕のメールアドレスを伝えます。もしよかったら、僕にメールを送ってもらえませんか?」・・・そして、僕はメールアドレスを、恐らく街中に響き渡るような声で伝えた。
再び、顕微鏡で女性を再確認する。すると、女性は両手でマルを作っていた。もしかして・・・、僕のメッセージが伝わったのだろうか。しばらくして女性は手を振って、その場から去って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の晩に、僕のスマホに一通のメールが届いた。見知らぬメールアドレスからだった。もしかしてと思い、心が躍る。
メールを開け、大切に読みはじめる。
「こんにちは、お空の眺め人さん。はじめまして、ではないみたいなのが、ちょっと不思議ですけれど。いつも何を眺めていらっしゃるのかなと思っていましたが、私のことを見てらっしゃったなんて、驚きです。ちょっと恥ずかしいですね笑」
文字を読み進める僕の顔は、だらしない顔になっていたと思う。でも、続く言葉が僕を、現実へと引き戻した。
「ただ、ごめんなさい。好きと言う言葉には応えられないかも。私、結婚しているんです。2歳になる息子もいます。だから、ごめんなさいね。お気持ちだけは、嬉しく受け取らせていただきます。お空の眺め人さんも、ぜひ、素敵な人を見つけてくださいね。応援しています!」
思い焦がれていた人からのお断りの挨拶。胸が痛い。でも、・・・どこか、ホッとする自分もいた。本当にお付き合いすることになってしまっていたら、とてつもない困難な日々を迎えることになっただろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
現在、件の女性は僕の文通仲間だ。彼女は僕に、メールを通して色々なアドバイスをしてくれる。そしてそのアドバイスが上手くいき、僕には別の大切な人ができた。
僕も、箱の中の人々が上手く生活できるように、ちょっとした手助けをしている。部屋の空調を調節したり、日光が直接、箱に差し込まないように屋根を作ってあげたりと。
メールという文明の利器のお陰で不思議な友人が出来たんだよなぁ。僕はベッドに寝ころびながら、スマホを片手に今日もそんなことを思う。
おわり
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