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異教徒の侵略を防ぐため、西方世界が一丸となって戦っている。
建前はそうだが、もちろんなにもかもが無償というわけにはいかない。
廃教会下のあの救護施設ひとつをとっても、医師や看護師たちには賃金が支払われねばならず、傷病者たちの薬や水や食料じたいは無償であっても、それらを必要なぶん選別し、確保し、分配所から運んでくるまでにはどうしてもコストが発生する。この都市ひとつのなかだけでも、善意や信仰心だけで回るほど、経済は単純ではない。そしてもちろんあらゆることの前提として、戦争の継続のための膨大なコストが存在している。
フロイデンベルクに異教徒の軍勢が迫ったとき、聖職者たちと中規模の事業家がまっさきに逃げた。下層民には逃げる先もその旅のための資金もなく、四大名家はあまりにこの土地に根をはりすぎて、動くことができなかった。ジークリンデには選択の余地があったはずだし、資金や援軍を募り各国に呼びかけるという彼女の仕事は、後方にいたほうがやりやすかったはずだが、彼女はあえてそれを選ばなかった。
覚悟を国民に示しているのだと思う。が、それはエルフリーデの想像だ。
ジークリンデはおたがい少女の頃からよく知っているが、戴冠してから、彼女は明らかに変わった。
そしてきっと自分も、独身の頃と同じではないのだと思う。
リーゼロッテは変わっていない。彼女にとって戦争は、眠りを妨げる砲声以上のものではない。バルタザールの異端審問所の資金は、彼女の独断でアーベントロート家の資産から拠出された。そういう勝手が、エルフリーデの頭越しに通ってしまうのは重大な問題だと思う。
異端審問所は必要だとは思う。警察や医者が必要であるのと同じ理由で、必要だと思う。だが、この流れではアーベントロート家の異端審問所として、人々の目には映る。それが後々良い影響をもたらすとは、エルフリーデには思えなかった。
「すごいのよ!」
リーゼロッテは目を輝かせて話す。
「あの方が杖で地面を指して、労働者たちがその下を堀ったの。古代の聖堂の入り口が出てきたのよ。ちょうどその真下に。入り口は石で固められていて、それをとりのけると、二千年まえの冷たい空気が流れ出してきたわ。聖堂はぜんぜん埋もれていなくて、昨日までここで礼拝が行われていたみたいだった。そんなことってあるかしら。あの方にはきっと、ほんとうに天使様がついていらっしゃるのだわ」
エルフリーデが苛立つのは、彼女の話の内容についてではない。リーゼロッテが、恋人気取りでバルタザールについてまわっているためだ。あるいはそれも、リーゼロッテには婚約者がいるのに、といった理由ではなく、単に嫉妬なのかもしれない。バルタザールは美しいし、おそらく有能で、きっと天使が味方しているのも本当だ。エルフリーデは、まさにその天使の姿を見たのだから。
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