Ⅱ コンスタンツェ

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 少年の祖父は死んだ。コンスタンツェはできる限りのことをしたが、心は晴れなかった。比較的若い何人かの男たちが、遺体を運んでくれた。埋葬ではない。ただ、捨てに行く。  夕暮れが近づいていた。  大穴に近づくにつれ、たまらない悪臭に鼻面を打たれた。少年はこの穴のことを知らなかったのだろう。青ざめた顔をして、 「そんな……こんな?」  などと、つぶやいている。  誰も彼もが一緒くたに、墓標もなく投げ込まれる大穴である。最近では腐るまもなく、ネズミに食い荒らされて骨ばかりになる。  幾千幾万というネズミの群れが死体の山を覆い、波打つ海のように蠢いている。  穴の縁にあった小岩のように見えていた何かが、不意に動いた。  修道士の服を着た、しかし頭頂を剃っていない、黒髪の男だった。  男はコンスタンツェたちを遮るように、腕を横にのばした。 「下がっていなさい。なにか、邪悪なものの気配がします」  振り返った男の顔に、コンスタンツェの目は惹きつけられた。  生まれてはじめて見る、すみれ色の瞳であった。  コンスタンツェは男に促されて穴の底を見た。  ばらばらになった白骨が、大きな力に流されるように一斉に動いていた。  穴の中央近く、なにかひどく大きなものが上昇してきて、死体の堆積を下から突き上げている。そう見えた。中央に山ができ、白骨はカラカラと周縁に転げ落ちていく。中央はどんどん隆起していき、やがて何かが、死体の層を突き抜けて飛び出してきた。 「ああ、神様……」  コンスタンツェは自分がそうつぶやいたことに気づいた。  彼女は自分の見ているものが信じられなかった。  それは途方も無い大きさの、巨大な手だった。  肘の付け根あたりが穴の底に現れていて、建物の三階ほどの高さのところに手のひらがある。その上に家が建てられそうなほどに大きい手のひらだ。  それが音もなくゆっくりと、見えない何かを探すように、揺らいでいる。  少年が必死の様子でしがみついてくるのを感じるが、そちらをかえりみる余裕はない。遺体を運んでくれた男たちは頭を抱えて地面にうずくまり、目の前の光景を拒むように叫び声を上げている。  すみれ色の瞳の男がすばやく動いた。  閃光がひらめき、轟音が響いた。  男はどこからか拳銃を抜き、巨大な手のひらに向けていきなり発砲したのだ。  弾丸は手を貫通したようだった。手には傷ついた様子も、怯んだ様子もなかった。撃たれたことに気づいたかどうかもわからなかった。 「そうそう巧くはいかんな」  男はひどく冷静に聞こえる声でそう呟き、そして言った。 「父と子と聖霊の御名において、我が守護天使よ、我らに悪魔に立ち向かう勇気と知恵を与えたまえ」  言いながら襟元から十字架を取り出し、掲げた。    落雷した。  信じがたいことだったが、晴天を貫いて、空を切り裂くように電光が閃くのを、コンスタンツェは確かに見た。  青白い炎に包まれて、巨大な手が燃えている。  燃えながら肉片がぼろぼろと落ち、手はゆっくりと崩れ落ちていく。  幾千の砲声をあつめたような轟音が、まだ殷々とこだましている。  ふう、と男が息を吐いた。  ひと仕事終えたという様子の、まるで窮迫したものを感じない声だった。 「あなたは……いったい……」  コンスタンツェが半ば無意識につぶやき、男が振り向いた。 「バルタザール。あなたは?」  何事もない日常が続いているかのように、男は微笑んでいた。
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