プロローグ

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プロローグ

 午後四時頃、砲声は止んだ。女王、ジークリンデは城の主塔に登る。  城塞都市フロイデンベルクは健在だ。古代の技術で建てられた城壁は少しも崩れていない。  城壁を飛び越えて市街地に落ちた砲弾が、いくつかの木造建築を破壊してはいるが、その被害は限定的だ。危険地帯は予め予測されており、住民たちの避難は完了している。  大陸を貫く大河は西から流れ、この場所で南へと流れを変える。  その河の流れの中に、こちらからの砲弾で撃破された異教徒たちの軍船が舳先や船腹を見せて沈んでおり、船体の破片やいくつもの死体が浮かんでいる。  しかし河の対岸には、輸送隊などを加えれば十万を越える異教徒の軍勢が布陣しており、そちらはいささかも傷ついていない。  侵略は、大陸全域で続けられている。  異教徒たちの一部は河のこちら側にすでに上陸しており、拠点を築き、村や修道院や荘園を荒らし回っている。  その有様は主塔からは見えないが、異教徒たちの活動によってフロイデンベルクは後背地から孤立しかかっており、食料や弾薬の供給は常に不十分だ。  この街は包囲されている。  そう認めざるを得ない状況になっている。   ジークリンデは十九歳。二年前に父が死んで、王位を継ぐことになった。女王、といっても大した実権はない。八十年前に起きた革命以来、王権は添え物のような存在になっている。フロイデンベルクは実質的には共和国であり、重要な決定は有力な市民たちの会議で決定される。王族がいるのは、彼らが王を持たない国家というものを想像できないからであり、また、外交上の必要からであり、端的に言えば、戦争に負けたとき、責任者としてその首を差し出すためであった。    ジークリンデは主塔を降りた。ささやかな王宮にもどると、アーベントロート家のエルフリーデが、面会を求めて訪れていた。十八歳だが、アーベントロート家当主の妻だ。戦争で当主が不在の今、彼女が事実上の当主の役割を果たしている。 あらかじめ伝えられていた要件は、司法手続き上の提案、とあった。 メモには、同行者あり、とも記されている。  よくわからなかったが、執務室に招き入れた。  執事が扉を開くと、エルフリーデとともに長身の男が入ってきた。  修道士のローブを着ているが、頭頂を剃っていない。  年齢は三十歳ぐらいだろうか。まるで手入れしていないように見える黒々とした蓬髪を垂らしている。肌は日焼けしてなめし革のようだ。整った顔立ちをしており、非常に稀な、澄んだスミレ色の瞳をしていた。ある種の知性を感じさせる表情をしていたが、何よりも強く印象に残るのは、全身から発する野獣のような精気だった。  これは普通の人間ではない。  ジークリンデにはそれがわかった。    バルタザール・バウムゲルトナー。  それが男の名だった。
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