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驚きで目を丸くする私の上に、後から後から黄色の花弁が降り積もる。それは私の凍りついていた心を溶かすように、奥深くに押し隠して見ないようにしていた好意を引っ張りだしてきた。
ああ、愛されていた。私は確かに愛されていた。
愛を乞い続けた私を愛してくれていたのは、憎み邪険にしていたはずのあの女の娘だった。
音の優しさが不愉快だったのは、彼女だけが純粋に私を愛してくれていたからだ。
音もまた、ただ家族の愛を求めていた。私が欲しがり、手に入れられず、音から奪ったもの。愛を乞い続けた私たち。
私たちは同じだったのかもしれない。寂しくて、苦しくて、愛されたくて必死に誰かを愛していた。だが、自分はあの子どもに何をした。戸籍上の母である私に疎まれたあの子は、今までどうやって生きてきた?
足元が大きく崩れていくような気がした。耳鳴りと目眩がする。吐き気が止まらない。
「音、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
溢れる涙は頬を伝い、枯れ井戸の底に落ちていく。それは地面の上にとどまることなく、みるみる吸い込まれてしまった。その瞬間、泣いていた理由がわからなくなる。
どうして?
口の中に砂が入り込んだような気持ち悪さ。呆然とへたり込む私を横目に、男が面倒くさそうに髪をかきあげた。
「雨音にお前たちは必要ない」
何を言われているかわからず、男の顔を見つめた。
「だが喜ぶといい。お前の中身が空っぽになれば身体は朽ち果てる。くびきから解放されれば、地獄の底から抜け出すことも叶うだろうよ。お前の夫や実の娘と違ってな」
男は、ポケットを叩いてそう言った。もしやあれはビー玉などではなく、夫と娘の魂だったのか。輪廻転生から外された彼らと、音への執着を失くせば成仏できると言われた私。扱いの違いの意味を考えてみて、そっとかぶりを振った。
「音は私を捨てたの?」
「黙れ。音などという娘は存在しない」
実際に手を触れられたわけではないというのに、ひゅっと喉を立てたあと息ができなくなった。気道に何かが詰まっているような、息を吐くことも吸うこともできず静かに恐ろしさがこみ上げる。あのときと同じだ。
ようやっと本当に大切なものが何だったのか気がついたのに。涙でぼやけた向こう側で、男は蛇によく似た目を細めて嘲笑っていた。
「お前が悔い改めたことが、雨音の役に立つのか? 何の得になる? 雨音はお前たちとの繋がりなど捨てて幸せになるべきだ」
雨音と呼ぼうとした。口の中に甘露のように広がる愛しい娘の名前。けれど、私の口からはその名前は紡がれない。声に出すことを許されていないのだ。
あの子に知らせないまま、この男はすべてを終わらせようとしているのだとわかった。とても優しい娘だったから、私が手を伸ばせばきっと握り返してしまうから。
「忘れたくなければ、いつまでもそこにいるがいい。自分が何者であるかを、亡者が覚えていられると思うのならばな」
男は振り返ることなく、消え失せた。雨音の元に帰ったらしい。大和の神々は気に入った相手は驚くほど大切にする。鬱陶しくなるほどに愛されているに違いない。心に傷を抱えた雨音にはそれくらいでちょうどいいのだろう。
雨音との縁が切られてしまった。それは当然のことだというのに、私は涙を止められない。後から後からあふれてきて、地面に吸い込まれた。気がつかない間に私を支え、形作っていた雨音の優しい心は、あっという間にてのひらからこぼれ落ち消えていく。
愛されたいと願い、愛を乞い続けた愚かな私は、気がつかない間に手にしていたたくさんの愛を拒み、踏みつけにし、自ら壊してしまっていた。
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