第一章 夢

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第一章 夢

母と父は既に別居状態にあった。 ある日、母に言われ、離婚届けに判子を押して持ってくるよう頼まれた。その頃から、母は母である前に女だった気がする。父から「おまえがそうしたいなら押して持っていきなさい」と言われ、幼少期から父による暴力で血まみれになった母を見てきた私は、母の言う通り、父が判子を押した離婚届けを誇らしげに彼女に渡した。 母と父、三つ離れた妹と私、四人で住んでいた古いアパートの隣の駐車場で、夕陽がいつもよりオレンジ色を強くした夕方だった。 よくある話だが、両親は小学五年の時にこうして離婚した。理由は父親のDVで、母は私と妹を捨てて出て行った。 よくある理由の割には、その憂鬱は私の中で長い時間、影を落とす事になる。 父親のDVは物心ついた頃には鮮明に脳裏に焼き付いていて、私は大人の顔色を良く見て随分遠慮する子供に育っていた。 母が居なくなってからは、父と妹の三人暮らし。そこからは生活が一変した。父の怒りの矛先は私に向かい、妹にはご飯が出るのに、私には無い日があったりした。それでも目に見えてグレる事はなかった。父親が怖かったからだ。酒乱の類の彼は、毎夜、酒を浴びていたし、怒り出したら手がつけられないのは嫌というほど見て来たわけだから、流石に引き金を引くような真似は極力避けるよう努力した。それでも虫の居所が悪い時はある。避けられない日は突然に、理不尽に、不条理に、訪れるのだ。 手を挙げられる事はなかったが、良く食器が飛んで来て、割れた音は今も苦手で足が竦む。 そんなある日。 「引っ越すぞ」 父が突然呟いた。 小学六年の秋だった。 父の背中には、一人で子供の面倒をみるのは限界だと書かれていた気がする。いや、もう、うんざりだ、が正解かも知れない。 私にとって、それは七回目の転校になった。 全て両親の別居や離婚話に関係する転校で、転勤族だったとかそんな社会的正当な理由ではない。 六回転校した中でも、今いる学校は友達も街も気に入っていた。少しの不満と、解消出来るモノの割合が絶妙なバランスで維持されていたからだと思う。 それが、父の実家に引っ越す事に決まり、私は絶望感に打ちひしがれていた。 父の実家は酷い山の中にあって、小学校二年の時に、数ヶ月間通っていた事がある。記憶としては最悪だ。学校までの距離は一山越える程のもので、朝は六時半には家を出ないと間に合わない。山の畦道のようなところを歩くので、勿論、街灯もほとんどなかった。極め付けは、イジメだ。都会者だとかいうよく分からない理由で、散々イジメられた。もともと社交的ではなく、恥ずかしがり屋だったが、イジメを受けるほど人と関われないような子供ではなかったのにだ。 そんな記憶は裏切る事なく、卒業式を間近に控えた転入生を、田舎者達は予想通りイジメの対象にした。 「早川有希(ハヤカワユキ)です。宜しくお願いします」 教卓の前で頭を下げて何度となくやらされて来た慣れた挨拶をする。教室が騒めき、私を吟味し始める。調理方法を思案しているのだ。その視線とヒソヒソと囁かれる声は、まるで夏に鳴く蝉のように煩かった。 上靴に画鋲、体操服の紛失、ノートを破られる。絵に描いたようようなイジメが繰り返され、ある日、三つ下の妹がキレた。 職員室に呼び出された私は目を点にしたのを覚えている。 「妹さん、クラスメイトに給食時間、牛乳を頭からかけたんです。どうなってるの?」 女性の先生だった。私の担任で、どちらかといえばベテランの域に入る年齢の人だ。 職員室でモジモジしながら、俯き、上履きの先を見つめながら勇気を振り絞った。 「私も妹もイジメられてます。だからだと思います」 すると、先生が口角の端を上げた。 「いじめられる側にも原因があると思うわよ。こんな事するくらいだし。片親だし、ちょっと育ちが知れるというか…ねぇ」 私は目が点で、先生は別の水槽に入った魚みたいに口をパクパクさせながら何かを饒舌に喋っていた。私にはもう何も聞こえず、辛いとか、悲しいとかはなかったように思う。 音が聞こえない。 そう思いながら、ただ先生からの説教を浴びた。 放課後、鉄棒のところで妹と出会った。 「何してんのよ」 呟くと、悪口を言われたから、もう我慢の限界で…と妹は薄っすら笑った。 あぁ…諦めてる顔してるなぁ、なんて感じながら、責めるでも褒めるでもなく、そっかと言って、二人で長い長い山道を歩いて帰った。途中、軽トラックのおじさんが、「早川さんとこの子やね?乗ってき」と言ってくれて、体より重くなっていた心が、少しラッキーとはしゃぎ、タイヤを踏み台にして荷台に乗り込み、夕暮れの風を浴びながら帰った。 その頃は学校がそんなもんだから、今思えば家でも荒れていたのかもしれない。 祖母も祖父からDVを受けているせいか、私は同じように祖母に暴力する事があった。腰の曲がった祖母で、背が低く、私はその体を蹴り飛ばしたりする事があった。今思えば、恥ずかしいを通り越して、居なくなればいいくらい馬鹿な孫だ。 自殺の真似事も、その頃が一番激しかった。死ぬほど切ったり出来ない思わせぶりなリストカットの薄い瘡蓋が好きだった。 中学は近所の小学校が三つ合わさる。同じ小学校の子達が、私を随分有名人に仕立て上げてくれたおかげか、先輩に呼び出しをくらってイジメられるなんて事はなかった。 私はその頃、暴走族の頭の女で、山の中の数時間に一本しか来ないバス停で、いつもタバコを吸っている悪い女だと噂されていたらしい。子供が考えた怖い女の虚像がそれだ。面白過ぎる。 だけど、そんなモノが通用しなくなるのが思春期なのか、私に田舎で出来た初めての友人は、全くその内容が響かなかったようだ。 成績優秀、品行方正、後に生徒会長までこなした私の親友、東部涼子(ひがしべりょうこ)。私とは正反対の人種で、二人で話すようになった当初は、私が涼子を脅していると噂が立ったほどだ。見た目が派手な人見知りの私は本が好きだった。活字なんて到底読まなさそうな風貌の私に、涼子は「この本知ってる?」と言ってきたのだ。 そこから、毎日本の貸し借りが始まった。漫画、小説、イラスト集なんかも貸し借りした。 その頃の私はコンビニが一件、本屋がゼロ件の田舎にうんざりしていて、何かしたい!そんな欲望がうずうずしていた。 小さい頃から歌が好きで、良く曾祖母が生きて居た頃、ベッドをステージにして飛び跳ねながら歌を披露していた。 田舎で通学路も長く、ほぼ無人な事もあり、中学生になっても私は自転車に乗り、大声で歌いながら帰宅した。途中、滅多に会わない唯一の通学路が被る男子の先輩に、坂道で追い抜かれ、歌っているのがバレて恥ずかしかった事がある。絶対に頭がおかしいと思われていただろう。 中学二年の冬。 バスで以前住んでいた街まで買い物に来ていた私は、本屋である雑誌を発見した。 学校の休み時間。前後ろの席だった私と涼子はいつものように向き合い話をしていた。 「バンド?無理じゃない?」 涼子が難しい顔をしながら、シャーペンでノートの上をトンと鳴らす。 「ほらっ!これ見て!ボーカル募集って!」 雑誌を開き、涼子に突きつける。そこには小さな字で、メンバー募集とあり、住所がズラズラ書かれてあった。 「有希(ユキ)…いくら知ってる住所だからって近いわけじゃないよ?」 「…反対するんだ」 私はムッと膨れて、雑誌を枕に机に突っ伏した。 「いやいや、反対も何も…車あるわけじゃないんだし、有希の家の人が送り迎えするわけないじゃん」 「まぁ…そりゃそうだ」 涼子は頭が良くて大人っぽかったので、妙に説得力があった。でも私は、一度やりたいと思うと、どうにも試してみたい性格らしく、結局涼子に内緒で隣町の男性に手紙を出した。 "当方ボーカル希望です。バンドは初心者です。中二の女子です。" 確か、要約するとそんな内容の手紙だ。 返事は数日でやって来た。 中には固定電話の番号と、ドラム歴二十五年と書かれてあり、今流行りの女性アーティストのコピーバンドをするので、女性ボーカルを探しているとの事だった。 私がここへ引っ越す前に居た街のバスの運転手で、スタジオまでの送迎はしますと書いてあった。 翌日、その手紙を涼子に見せたら、彼女は眉間に皺を寄せて「怪しい」と言った。 確かに条件が良過ぎる気もする。だが、条件が良いに越した事はないのだ。 スタジオ練習日を取り付けて、当日は涼子と涼子の幼馴染みの坂下のりこも一緒に行く事になった。 バスの運転手でドラム歴二十五年の遠藤さんは、想像していたよりずっと普通のおじさんで、バンドでドラムを叩くようなイメージは湧かなかった。 家の真ん前まで機材車のような箱型の車で迎えに来てくれた。 「早川有希さん?私、遠藤です。どうぞ宜しく。」 細身の長身で、オールバックに銀縁眼鏡。彼はいきなり免許証を差し出して、「控えますか?」と聞いてくれた。 私は涼子の肩をドンと肘で押して、「いい人だ」とニヤついた。 涼子は溜息を落としてから肩を竦め、「良かった良かった」と車に乗り込んだ。 スタジオは田んぼしかない民家の倉庫のような場所にあり、途中、本当は誘拐犯だったらどうしようなどと不安になったのは涼子には内緒だ。スタジオはしっかりと防音で、中の設備はちゃんとした音楽スタジオだった。 初めてスタジオで生音を聴いた時はあまりの音の大きさにビックリしたのを覚えている。 自分の声なんて全く聞こえず、大きな声を出そうと近づいたスタジオのマイクは、正直とても、臭かった。 「今日も練習?」 涼子の問いかけに、私は嬉しそうに頷く。 あれから週に一回、遠藤さんが夜、家の前まで迎えに来てくれる。 「しっかし、やると言ったらやるねぇ。こんな田舎でバンドなんかやってるの、あんたくらいだよ」 「優越感!ふふふ」 涼子はなんだかんだ私の話を聞きながら、楽しそうだった。田舎に刺激はない。私は異端児のように、どんどん学校で有名になった。バンドなんてカッコいいものをやってる奴がいるらしい。そう、それが私だった。 月日が経つに連れて、私はバンドに対して欲がで始めた。やっていたコピー曲が嫌だったのだ。何度か、祭りみたいな催しで公民館のような小さなホールでライブもした。だけど、やっている楽曲が若者向けではなかったので、私は正直恥ずかしかった。 40歳くらいの遠藤さんと、そのお友達で構成されたバンドは、私を除いて全員既婚者のサラリーマンだ。聴いている曲自体違うのは仕方ない。やりたい方向も、目指す場所も違っていた。 私は歌でご飯が食べていきたいと思い始めていたし、メンバーは趣味の域を超えなかった。当たり前だ。彼らには生活を守らないとならない義務があったからだ。夢を追うには遅すぎたよと私を見ては羨ましそうに笑っていた。 ある日のスタジオ練習の日。 私達より前に練習していた人達が退出するのが少し遅かった。 喫煙スペースで待っていた私達に、出て来たバンドマン達は頭を下げた。 「押しちゃってすんません!」 「いやいや、数分だから。気にしないで」 遠藤さんはそう言って、灰皿にタバコをねじ込んだ。 私は、スタジオから出て来た若者達に目を奪われていた。 髪の色が皆んな違う。派手髪というヤツだ。 シンバルが入ったケースを抱えた人は真っ赤な短髪で、ギターとベースを担いだ人は緑とピンクだった。唯一、何も持たない女性が最後に出てくる。細かなウェーブがかかったブラウンの髪がステージ映えしそうで、私は心が躍った。初めて見るちゃんとしたバンドマンはとてもかっこよかった。 入れ違いに会釈し合う中、赤い髪の男性が私にニッコリ微笑んで「ボーカル?」と話しかけてきた。 突然過ぎて、心臓がバクバクした。 「はっはいっ!」 「アハ、元気ぃ〜」 緊張しやすく、すぐ赤面してしまう私は、小首を傾げて微笑みかけてくるその男性と一瞬だけしか目を合わせられなかった。 その日の夜、遠藤さんにいつものように家の前まで送って貰った私は、静かに自室に入った瞬間、肩を上げてビックリする。 隣りの父の部屋から大声で名前を呼ばれたのだ。 時間は夜の10時だった。 「有希っ!有希っ!」 「はいっ!!」 怖くて、大きな声で返事をし、父の部屋へ向かった。ガラス障子を震える手で開ける。 「おまえ、今何時だか分かってんのか?」 「は、はい…」 「バンドなんか辞めちまえっ!クソガキがっ!」 「ご、ごめんなさい」 その後は何を言われたか覚えていない。ただひたすらに存在否定をされ続けたと言ったら簡単だろうか。 終わった後、ただ静かに部屋へ戻り、物音を立てないよう息を殺して時間が経つのを待った。 田舎の大きな家は冬が寒くて、重い掛け布団が無くてはならない。 布団に潜り込んで、今日のスタジオを思い出す。こんな時は頭の中の世界で息をするのが一番だ。 思い出すのは自分の練習ではなく、あの素敵なバンドマン達の事だ。 中でもピンクの髪をしたギターかベースを担いでいた人がとてもかっこよかった。話しかけてくれた赤髪の人も素敵だったけど、なんだかお調子者っぽさが伺えて、黙って一瞬だけ目があったあのピンク髪の人の方が気になっていた。少しお化粧をしていたようにも見えた。見た事がない人間に見えたのだ。胸がドキドキして、さっきまでの恐怖がフワッと吹き飛んだ気がした。この悪環境は全部嘘なんじゃないか、このまま目を閉じたら、素敵な現実にすり替わるんじゃないか…そんな魔法にでもかかったかのような感覚だ。 その時の私には、音楽だけが救いだった。 それから、何度かスタジオに入ったけれど、あのバンドマン達と出会う事はなかった。
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