おむかえデート

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「ッあ……マジかー……」  朝のテレビの予報では夜から降ると聞いていたのに、ちょっと早まったのか、学校を出て、電車に乗って、家であるメゾン・ド・モカの最寄り駅についたら降り始めていた。  しかも濡れて帰ってもいいかと思えるような小降りではなく、結構しっかり降っている。  駅の中のコンビニの傘は既に売り切れらしく、あったとしても千円以上するような高いやつしかない。しがない高校生である俺にはちょっと手が出しづらい…… 「どうしようかなぁ……」  普通ならここで、家族に電話するなりして傘持ってきてくれとか言うんだろうけれど……俺は、そういうちょっとした甘えとも言えないほどの頼みごとをしていいのかがわからなくなるんだ。  俺には、親がいない。親代わりになる人たちはいるんだけれど、家族になってまだ一年くらいだからどこまで甘えていいのかわからない。  それでなくても、俺は先日すごく大きなワガママを言ってしまったから……さらに何か甘えるようなことをしていいのかわからないのもある。 「どうしようかな……」  さっきよりも溜め息が重い。濡れて帰ってもきっと制服を濡らしてしまって迷惑がかかるし、手間もかけてしまう。うっかり風邪でもひいてしまったりしたら、それこそどうしたらいいのか―― 「潤くーん!」  どこからか俺を呼ぶ声がする。いつの間にかうつむいて自分のつま先を見つめていた俺は、呼ばれた方に顔を上げる。  すると雨の降りしきる駅前のロータリーの通りを、グリーンのレインコートを着た小さな男の子が、俺に手を振って駆けてくるのが見えた。その隣には、背の高い長髪のメガネをかけた男の人が寄り添うように歩いている。 「ハル……と、大ちゃん?」  俺に向かって歩いてくる二人の名を呟くと、まるで聞こえていたかのように男の人――大ちゃんが手を挙げる。その手には、俺が一年前に買ってもらった青い傘が。 「おかえりぃ、潤くん」 「ハル……なんでここに?」 「んとねぇ、ダイがねぇ、そろそろ潤くん帰ってくるからカサもって行ってあげようって言ったの」  あとねぇ、ハル、レインコート買ってもらったの! と、ハルは嬉しそうに俺の前でくるくると回る。  俺が先日親代わりである大ちゃんに言った大きなワガママ。それは、いま俺の前でニコニコとしている小さな男の子、ハルをメゾンで預かろうと言ったことだ。  大ちゃんはメゾン・ド・モカというアパートの管理人をしていて、俺はそこに養子として引取られた。それも、一年前に。  まだたったそれだけしか経っていないのに、新たにもう一人、それも見知らぬ迷子のハルをメゾンに置いてくれ、なんて言ってしまった。  それはもう大変な面倒くさいことがあったんだけれど、そのすべてを、俺が子どもなばかりに親代わりの大ちゃんと奥さんのユキナさんに任せきりにしてしまったんだ。  申し訳なくて、俺はもうこれ以上のわがままを言ってはいけないって思っていて、だから、今日も傘を持ってきて欲しい、と電話の一つもできないでいた。  それなのに―― 「おかえりなさい、潤。さあ、帰りましょうか」 「え、あの……ごめんなさい」  思わず口をついて出たのは、迎えに来てくれてありがとう、ではなくて謝罪の言葉。  親に捨てられてからずっといままでよその家で余所の子として暮らしてきた俺が、つい、反射的に言ってしまう言葉でもあり、口にすると、大ちゃんとユキナさんが悲しそうな顔をする言葉。  ああ、どうしよう……また言ってしまった……そう、俺が再びうつむいていると、そっと、小さな手が俺の指先を握る。 「ねえ潤くん、ハルといっしょのカサで帰ろう」  ね? と言って小さな首を傾げておれの顔を覗き込んでくるハルの笑顔が嬉しくて、胸の奥がギュッとなった。  かわいい、と思うよりも強く、愛しい、と思った。この笑顔と一緒に、あのアパートに帰りたいな、と。  ――帰りたい、って思ってもいいんだ……それがさっきまで俺の上に圧し掛かるようにあった気持ちを軽くしていく。  だから俺はようやく顔を上げて弱く笑って、小さな手を握り返した。 「帰ろうか、ハル、大ちゃん」  俺の言葉にハルが大きくうなずいて、そして二人手を握りあって歩き始めた。もちろん、大ちゃんが持ってきてくれた青い傘をさして、一緒に入りながら。 「ハルねぇ、あめもっとふってほしいなぁ」 「えー? でもそしたら公園とか行けないじゃん」 「いいんだもん。ハル、雨の日すきだもん」  グリーンのレインコートの袖を元気よく振りながら歩く小さな彼の方を問うように見ると、ハルもまた、俺の方を見上げてにっこりと笑ってこう言った。 「だって、雨の日だったらこうやって潤くんと一緒にあるけるもん。ねえねえこれってデートって言うんでしょ?」  ハルの言葉に俺が思わず笑っていると、「ええ、そうですね、デートと言えますね」と、後ろを歩いていた大ちゃんも笑う。  大ちゃんの言葉に気を良くしたのか、ハルはスキップしながら歌を唄い出した。 「あめあめ、ふれふれ、もっとふれ~」  幼いご機嫌な歌声に合わせるように俺も唄いながら、繋いだ手を大きく振ってメゾン・ド・モカまでの道を歩いて行く。  俺とハルを包むようにさしていた傘には、唄う声に合わせるように雨が降り注いでいた。 終
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