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そして迎えた見合いの日、美琴達は紀尾井坂より程近い徳永崎邸へと向かった。
大正時代のお見合いは女性側の家で行うことが慣例で、今回の場合は鷹小路家を徳永崎家が饗す形となる。
美琴の格好だが…… 爵服である。体格に合わせて誂えてはあるものの、馬子にも衣装感が否めない。一緒に同行していた雲雀子が見ていて吹き出してしまう程である。
応接間にて、待つこと数分。徳永崎家の一家が現れた。
仲人の役目をする父親は豪放磊落を絵に描いたような武家であった。筋骨隆々とした体格は厚手の礼服の上からでもわかる程にしっかりとしていた。
顔の傷は維新と西南戦争を戦い抜いた証にして勲章か。
美琴がこのように徳永崎の父親を検分していると、彼は挨拶を行った。
「本日は見合いの方を受けて頂き感謝である」
鷹麿はそれを承知しており、気にしなくていいと言いたげに軽く手を振った。
「私は徳永崎徳道(とくながさき のりみち)。維新は錦の御旗の元に戦い、西南戦争でも戦っている。これで子爵の爵位を得た身である」
と、徳道が言い終わると同時にその横にいた大人しそうな女性が徐に口を開いた。「私は徳永崎徳道の妻で……」と、言いかけた瞬間に徳道は、修羅の形相で睨み付けた。
これが噂に聞く武家の男尊女卑か。美琴はそれを目の当たりにし、心の中で「酷いものだ」と呟いた。
この日本と言う国は元々は仏教の教えと、江戸幕府が封建体制を維持するために広げた儒教の教えが合わさり「女性を劣ったもの」とする風習があった。特に武家の家ともなれば力強い男が誉れたる価値観。それに拍車がかかっているのであった。
そして明治の新しい時代を迎えて以降は、女は夫を支えて家庭運営さえできれば良い「良妻賢母」と言う思想も加わった。
その結果が、男尊女卑思想である。
徳道の妻が「控えるように」シュルシュルと小さくなっていく中、その隣にいた若い女性が自己紹介を始めた。桃色の梅の振り袖を纏った大正小町であるが、その袖口より出た手足は骨太でしっかりとしており、男のものを思わせた。背も僅かであるが美琴よりも高い。
「あ…… あの…… 私は…… 徳永崎未早矢(とくながさき みはや)と申します。本日は…… 宜しくお願いすます……」
緊張しているようだ。この手の見合いが初めての女性にはありがちである。鷹麿はお見合いには慣れたもので、軽く話を振り場を和ませることにした。
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