4th Sign : 強欲の白昼夢

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「歩、また百点じゃないか。歩は頭がいいんだね」  幼いころから両親に満点を取ったテストを見せるたびにそう褒めてもらえることがわたしの誇りだった。父親が転勤族で友だちの作りかたを覚えられず、運動も昔から苦手だったわたしにとって、テストでいい成績を取り続けることが自分に自信を持つ唯一の手段だった。  いい点を取って、両親に褒めてもらう。そのために生き、それだけで幸せだった。  あの忌々しい事故が起こるまでは。 「合格祝いだ。今日は美味しいものでも食べに行こう」  中学時代、わたしは他の全てを頭から離しとことん勉強に打ち込んだ。視力はどんどん悪くなり、クラスの休み時間に話題を振られてもついていくことができなかった。  でも、その集大成が学区随一の進学校への合格だった。  わたしにとって、それこそが誇りであり、それを親が心から祝福してくれたことは嬉しかった。 「歩、もっと食べてよかったんだぞ」  焼き肉を食べて車に戻るその途中、お父さんからそう言われた。  生理代謝というらしい。勉強にのみ打ち込んだわたしは痩せていて食が細く、そのせいか胸も大きくならなかった。  でも、文明社会に余計な運動能力も女らしさも必要無い。必要なのは、他に魅力なんて無くても生きていける脳みそだ。  だからわたしは、エリートになって親に褒めてもらえさえすればそれでいい。  それなのに、あんな事故が起きてしまった。 「危ない!」  これから高校でどんな大学を目指すのか、大学は何を勉強する場所なのか。車のなかでも会話が弾んだ。そんななか、悪ふざけなのかなんなのか、ガードレールの上を歩いていた若い男がバランスを崩し車道に落ちた。  お父さんが慌ててハンドルを切り、対向車線のトラックに正面から突っ込んだ。 「キャア!」  わたしと妹は悲鳴をあげた。トラックがボンネットの上に乗り上げ、バンパーがお父さんと助手席のお母さんを踏み潰しながら目のまえで止まった。 「すまない。ブレーキを踏んだが間に合わなかった。救急車と警察はもう呼んだから、来るまで待っていてくれ」  程なくして警察と救急車が来た。運転手さんは警察官の誘導のもと、そろりそろりとトラックを後退させて車から下ろした。お父さんとお母さんが車から引っ張り出され応急処置をされたのちに救急車に乗せられて、わたしたちも病院に同行させられ検査を受けた。 「申し訳ございません。最善は尽くしましたが、助けきれませんでした」  そりゃそうだろうと、わたしは事実をありのままに受け止めた。ストレッチャーに乗せられるとき、ふたりとも首があらぬ方向に曲がっていて、耳や鼻からドロドロとした血ではないものも混ざっていたであろう液体を垂らしていた。  自分自身の冷静さが、感情が麻痺するくらいにショックを受けたからだろうなと自己分析を進めていた。 「大変だったな。これからは、うちに居なさい」  両親の葬儀が済むと、わたしたちはお母さんの弟夫婦の家に引き取られた。叔父さんは、真面目だった母と違って若いころから遊んでいて入籍後も子どもを作らなかったらしい。 「いい車だろ? 乗り心地はどうだ?」  数日後、わたしたちは叔父さんが新しく買ったらしい車に乗せられた。大きな逆三角形のフロントグリルが特徴的で、走ってるとこをあまり見た覚えのない車だった。 「はい、いいと思います」 「良かった、きみたちの伯父さんからはきみたちのために使うようにと言われてたんだ」  この言葉が何を意味していたのかを、わたしたちはあまり間を置かず知ることとなった。 「歩ちゃん、仕事は見つかった? まさかこのままタダ飯食べて生活するわけじゃないよね?」 「何の……、話ですか?」  月が変わってもうあと数日で入学式というところで、唐突に叔父に聞かれた。 「いやさ、歩ちゃんもう義務教育終わったでしょ? なのに家に居てばっかりだからさ、叔父さん不安になっちゃったんだよね」 「学校に、行きながらですか?」 「歩ちゃん、もしかして、まだ高校に行くつもりだったの? きみの両親は、残念ながらもう死んじゃったんだよ。ちょっとは考えてよ」  そのために、両親の貯金は全て受け取ったはずだよね。 「養育費として、遺産は全て受け取りましたよね?」 「遺産っていっても何百万ぽっちじゃん。車買ったら、もうほとんど残らなかったよ」  なにを言っているんだろう。 「歩ちゃんも茜ちゃんも、乗せたら喜んでたじゃん。そのお金はちゃんときみたちのために使ってあげたんだよ」 「家族で生活するのに車は必要でしょ? 私たち、自己破産してるからローン組めないのよね」  夫婦がふたりで畳みかける。こんなことなら、お世辞なんて言うんじゃなかった。 「茜ちゃんはまだ義務教育だから仕方ないけど、きみはもうお金を稼げる歳だよね?」 「出世払いで、支払います。高校には行かせてください」  わたしはムダにしたくなかった。勉強だけに打ち込んできた今までの人生を。 「そうだな。もし時給千円のフルタイムのバイトをやってれば額面月15万は稼げるはずだから、こっちが受け取る金額がそれを下回ったときは年利15パーの借金として扱う。学費と生活費は自費だ。もし1ヶ月でも家に金を入れきれねぇ月があったら、即座に追い出すからな」 「わかりました」  わたしは今になって実感した。もう両親は、この世から居なくなってしまったんだと。
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