光る君

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光る君

子どもの頃から、ひらひらと舞う美しい蝶が好きだった。 気まぐれにそっと一瞬だけ肩へ止まってくれる。 捕まえようとすれば逃げられる。 だから、ほしくなる。 その頃の私は、愛することも、愛されることも知らなかった。 (異性に興味がないわけでもなかったが、 何となくそれらしい相手もいなかった) 全般的に人付き合いは、苦手だ。何を話していいかわからないから。 最低限度の職場でのつきあいは抜きにしても異性になるとダメだ。 昼は、銀縁眼鏡と白衣で武装し、夜になればそれを脱ぎ捨て、 夜の世界で知り合った仲間達と奔放に愉しむ日々を送っていた。 誰も私の素顔を知らない。 だから夜の世界で私が何をしていようと、 誰にも気づかれるはずがない、そう思っていたんだ。 なのに… なのにその『私』に気づく者がいた。 名前と顔は、一致しないが、見たことのある顔。 よりによってそれは、私が顧問をする部活の生徒の一人…。 春の午後の陽射しがさんさんと降り注ぐ。 閉めきった保健室に一人の生徒が入ってきた。 その生徒が誰なのかは知っている。 陸上部の部員で非常に人気のある生徒。 中性的な顔立ちに高い身長。 走るタイムも速い。 私は諦めたように椅子に座ったまま振り返ると、 その生徒は、私を見ていて、声を出されたくないらしく、 鼻の前でしーっと人差し指を立てている。 その直後数人の女子生徒がバタバタと廊下を走っていった。 「ふー…。行ったか」 その生徒は、安堵して呟く。 「…相変わらずモテモテだな」 何度言ったかわからない嫌味を言ってやる。 「先生、それ何度目? 嬉しくない…。もうちょいここにいていい?」 目上に対して口の聞き方を…と注意したいところだが、 夜の街で男と歩いていたのを見られているので言わない。 「光る君」 「え、先生までそれで呼ぶ? 名前で呼んでよ。仮にも顧問でしょうが」 心底嫌そうな顔をして言うが、そうは言われても…。 「名前、知らないのよ」 「はぁ?」 「…… すまん」 声に怒りが滲んでいたので謝ると意外そうな顔をされた。 「先生もそんな表情するんだね」 ころころと笑う生徒に調子が狂う。 早く追い出したくて私は直球で聞いた。 「何も聞かないのか」 「え?」 「見ていただろ」 あの夜、銀座で私が男に妖しく腰を抱かれていたのを…。 「え、あー…けど一瞬だったし、先生にもプライベートはあるし、嫌なとこ見ちゃった? …なんかごめん」 生徒から謝られるとは思っていなかった。 むしろ脅されるのかと少々構えていたというのに…。 「軽蔑しないの? 驚かないの? 保健医が…って」 見られたのは、この子だけど他の教員や、学園長、 生徒の保護者だったらどうなっていたのか。 改めて振り返れば、コンプライアンスに反している。 「え? なんで? しないよ、そんなの」 私が返ってくる言葉を待つ間に考えていたことを破るように、 何でもない風にキョトンという顔をする生徒に目を見開く。 「ありがとう!!」 私は思わず歓喜のあまりその生徒を抱きしめていて。 「え!? ちょ、先生…なに苦し…」 嫌がられた。そりゃそうだ。 20代とはいえ、おっさんに抱きしめられて嬉しいはずがない。 そこではたと気づいて慌てて生徒から離れる。 「!」 「もう、なんだよ…!」 抱きしめてみると異様に華奢だ。 背は高いけど男の私の中にすっぽり収るというか…。 それにいい匂いがした。 恐る恐る視線を下へ動かす。 「…き、君、女の子だったのか」 「おい!!」 その時、低い彼女の声が保健室に響いたのは言うまでもない。
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