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其の9
「念の為に今一度確認するけど、君は闘えるんだよな」
「…好きでは、ないですけど」
「昨日のアレは?」
「習った体術が、咄嗟に…」
「咄嗟に、ね…。習ったとかいう程度じゃない気もするけど」
魔物との実戦でもじゅうぶんに通用するのではないかというリンの見えざる実力に、シグマはそれを見てみたいとさえ思えてきた。
「兎に角、街の外は魔物だって出るし、なんなら人間にだって悪い奴は居るんだ」
「はい…。でも、人はなるべく傷つけたくないです…」
「自分を護るためだろ」
「はい…」
なんだか、叱っているみたいだ。
と、シグマはばつが悪そうな顔をした。
(本当に村に帰るか…?)
シグマは自問した。
そうこうしているうちにリンの報告の時間になり、シグマは少し離れた場所で見守ることにした。
約束どおり一泊したし、今後どうするかを決定しなくてはいけない。
(…迷ってしまっている。俺もお人好しだな)
別に、今すぐにここを出て行ったとしても良いのだ。
「はい、こちら魔法通信装置交換室」
聞き覚えのある交換手の声がした。
「あっ、リン君。お疲れ様です」
「お疲れ様です…あの…」
リンが、ちらりとシグマを見たが、肩をすくめて返されるだけだった。
意図が判らず困っていると、交換手から話しかけられた。
「アルス・オライオン氏とは会えましたか?」
「あっ、はい…会えたんですけど、まだちゃんと…話せていなくて」
「この後来る」
シグマが小さめな声で、助け舟を出した。
リンへの気遣いと、またセージに声を聞かれては面倒という気持ちからだった。
「こ、この後、ちゃんとお話しします」
そうですか、という相槌を聞きながら、リンは頭を下げて感謝の仕草をした。
シグマも軽く頷く。
「シグマさんは?お考え、変わったでしょうか」
リンが考えたくなかった質問も案の定飛んでくる。
また視線を送ったが、少しの沈黙の後、
「保留」
と返された。
リンは一度だけ強く瞬きをすると、意味を理解してこくこくと頷いた。
「ほっ、保留です!」
嬉しくて、思わず頬が明るくなった。
現時点での報告が一通り終わったので、そろそろセージの元気な声がすると思ったが、何も聞こえてこない。
「あの…、セージは…?」
「ああ、セージ君でしたら、今日出立したそうです」
「………えっ…」
「今日が最後の組の日でしたので、親衛隊の朝礼後、そのまま出られたそうです」
「…!……そう、ですか……」
小さくなるリンの声に、ふたりの仲の良さを知っている交換手は励ますように言った。
「リン君が頑張っているから、セージ君だって頑張りますよ!どこかで合流できるかもしれませんし!」
「…はい…」
そういえば、とリンは思い出す。
自分の三日後にセージが出立することになっていた筈。
つまり、本国では予定通りに運んでいる。
「持ち出し用の通信装置同士では繋げませんから…今日からは直接お話出来なくなってごめんなさいね。でも、私たち交換手が状況を共有していますから!伝言もお預かりしますからね!」
「…っ…、はい…!」
姿も丸三日見ていない。
声も、もう暫くの間は聞けないらしい。
生まれた時から常に一緒だったふたりは、本当に離れ離れになってしまった。
リンは涙をシグマに隠しながら通信を終えた。
***
通信が終わった途端、寝室に籠ってしまったリンの様子をどう確認しようかシグマは迷った。
アルスが、間もなく部屋に訪ねてくることになっている。
流石にそろそろ声を掛けなくては、とノックをした。
「リン、入っていいか」
「あ…はい」
小さく返事があったので、そっと中に入る。
「そろそろあの人たちが来るよ」
「あっ…そうですね。ちょっと、ぼーっとしてました…すみません」
寝台に座って、何かを手に持っている。
リンは気付いて、それを見せてきた。
「兄のセージです」
肖像写真だった。
姿を写し取り、紙に出現させる道具―――「写真機」は魔力駆動式で、操る人物が魔法を使えないといけない。
そのため、大きな街くらいでしか店もないし、商売としても成り立たない。
「…色が着いてる」
シグマの一番の驚きはそこにあった。
肖像写真自体は見たことがあるが、白黒や薄い紅茶色のものばかりで、実物そのものの色が着いているのは初めてだった。
これもシースナー皇国の文明の結晶かと、魔法通信装置に続きシグマは目を丸くする。
リンの髪の色も、目の前の本人と同じで、青く鮮やかに写っている。
「親衛隊に入隊した記念で撮ったんです」
リンの隣には、同じくらいの背丈の少年がもうひとり。
聞いていたとおり、白い羽根が頭部から生えている。
顔立ちはあまりリンとは似ていない。
眼鏡をかけて、癖のある緑色の髪を後ろで束ねている。
「暫くの間、通信でも話せないって言われて…、寂しく、なっちゃいました」
「そうか…」
シグマは自分も姉とはもう会えない身なので、少しだけリンに同情した。
ここで本当に自分が村に帰ったら、リンはどうやって自国へ帰るのだろうか。
アルスは首を縦に振るのだろうか。
彼がついて来るのであれば、恐らくは自動的にあの付き人のロメリアもついてくるだろうし、また変な目には遭わないよう注意を払ってもくれるだろう。
先刻、再度保留宣言をしてしまったので、次の街くらいまでは同行してもいいと思っている。
ではその先は?さらにその先は?考えを巡らせる。
「リン、もし…」
言いかけた時、扉が叩かれた。
「お早うございます。アルスをお連れしました」
ロメリアの声だ。
シグマが扉を開けると、少ししょんぼりした様子のアルスと一緒に入ってくる。
「お早うございます」
対面で、再度ロメリアが挨拶をする。
直後、アルスがリンに駆け寄って両の手を握った。
「お早う!リンちゃん、昨日はごめんね!」
「ッ…!お、お早う…ござい、ます」
ロメリアは顔を顰めながら、シグマに向かって
「あの後、こってり叱っておきました」
と、何故か拳を強く握りしめて言った。
「叱られてあれなのかい?」
リンの手を握ったまま、あれこれと話しかけている。
と思いきや、突然腕を広げて、抱き着こうとした。
「アルスッ!」
ロメリアが叫ぶとほぼ同時に、
「―――あれっ!?」
アルスが空中で回転し、床に叩きつけられた。
リンがアルスの胸倉を掴み、背負うように投げつけたのは一瞬の出来事で、アルス本人も何が起きたか判らない顔をしている。
ほんの少しの沈黙ののち、リンが深々と頭を下げた。
「ごっ………ごめんなさい!僕、咄嗟に…!」
「…投げ技も出来るのかよ…」
「…正面から攻撃されそうになったら、こうしなさいって…習ったので」
***
リンとシグマが並んでソファに座り、その対面にロメリアが座った。
アルスだけは床に正座している。
否、させられている。
「アルスには私から、リンさんがここに来た経緯は話しています。ウル皇女の御触れも、勿論存じております」
リンが改めて召集令状をアルスに見せると、ふうん、と一読して返された。
「そっかあ、僕がね。魔法の勉強はここ二年くらいで始めたばかりなんだけどな」
「ですから、何度も言っているでしょう。貴方には素質があるんです。真面目に授業に出ていれば、もっと上位だったかもしれないんですよ」
呆れたように言っているが、ロメリアは本心からアルスを気に掛けているようだった。
溜息をひとつつくと、ロメリアが自分の隣をぽんぽんと叩いて、アルスに座るよう促した。
正座を解かれてそそくさとソファに座り直す姿は、果たしてどちらが偉いのか判らない。
シグマは吹き出しそうになるのを堪えた。
「それで…、その…」
リンが、言葉を振り絞って切り出した。
その声にアルスはぱっと笑顔になる。
「勿論、行くよ!」
「ただし」
やや食い気味に、ロメリアが続ける。
「…リンさん、すみません。シースナー皇国には、参ります。ただ…」
「…はい?」
「ウル皇女の婿候補という件に於いては、お返事は保留とさせていただけませんか」
「…!」
ハッとしてロメリアの顔を見つめるリンと、片眉を上げるシグマ。
アルスは苦笑いしながら頭を掻いている。
「大統領閣下や私は、アルスをこの国の次期大統領として教育してきました。ありがたいことに、国民からの人気もあります」
「…そう、ですか…」
「それに、皇女の御前にお出しするには、まだまだ躾が足りないとの判断でもありますので」
「ちょ、ひどいよロメリア!躾って!」
「…先ほどまたリンさんに不埒なことをしようとした人は誰ですか?」
静かな声でアルスを黙らせると、ロメリアはまたリンに向き直った。
「ですので…、この機会に、アルスをシースナー皇国へ遊学という形でお連れいただけませんか」
リンは目をぱちぱちさせると、シグマの方を見た。
「何で俺を見るんだ…」
「えと、あの、こういうのって…」
「連れていけることには変わらないだろ」
「……」
自分が何をどう返事をしていいのか判らず、リンは下を向く。
(どうしよう…また、保留って。でも…)
誰もが自分の言葉を待っている気がして、汗が滲んできた。
その様子を察したロメリアが、いくらか優しい声音になった。
「リンさん」
「…はい…」
「正式なお返事は、シースナー皇国に着いてからでは、いけませんか?」
「…えっと…」
「勿論私も同行しますので、おかしな真似はさせません」
アルスがとても小さな声で「やっぱりついてくるんだ」と言ったが、ロメリアの自慢の耳はその声を確実に捉えていた。
「道中も勉学はさせますので、その間でなにかお答えを出せるかもしれません。それに、広い世界を見ることはどのみちアルスには必要ですから」
リンは少し考えてから、自分の言葉ではっきりと言った。
「本国に、確認します」
***
再度報告のため自分の寝室に引っ込んだリンを見送って、三人は待つことにした。
「ところでさ」
アルスが足を組み直しながらシグマに話しかける。
「君もシースナー皇国の人?」
「いや…、俺はルナリア村の者だ」
「ここまで、リンさんに付き添ってきたそうです」
「ふうん、じゃあ…」
どこまでも察しのいいロメリアは、次の言葉を許さない。
「シグマさんも、ウル皇女の婿候補だそうですよ」
アルスは悔しそうに唇を噛んだ。
「私だけなら何とかなるとでも思いました?」
そしてロメリアが目を細めてシグマに合図を送ってきた。
アルスを抑制しろ、という意味が込められているのが判った。
シグマが元々一泊したら帰るつもりだったことはロメリアに伝えていなかったので、これはタイミングが良いというか悪いというか。
「…俺は、リンの護衛も兼ねてる」
最早、名乗り出てしまった。
アルスの真似ではないが、シグマも少しだけ唇を噛んだ。
(俺も、たいがいお人好しだ)
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