其の10

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其の10

アルスの旅立ちにあたり、色々と準備が必要とのことで、リンとシグマは首都にもう一泊することになった。 シグマはアスターに手紙を書き、一番早い馬でルナリア村に届けるよう手配すると言って街へ出て行った。 何もすることが無くなったリンは、何度も肖像写真を眺めては溜息をつく。 アルスの返事については本国の了承を得たし、シグマも暫くは同行してくれるというので、一先ず安堵したものの、心の拠り所であるセージとの連絡が出来なくなったことはリンの中に影を落とした。 (頑張らないと…) 窓の下を見ると、街から帰ってきたシグマが剣を振っている。 (毎日ああやって鍛錬をしてるから、シンは強いんだ) 暫くそれを眺めた後、リンは隊服を脱いで寝室を出た。 居間の中の広い空間に立ち、大きく深呼吸をする。 ツァンルーに習った体術の型を、ひとり静かに繰り返した。 *** 翌日、四人で首都ハイドランジアを出て半日ほど歩いたが、リンは新しい同行者たちに改めて驚いた。 アルスもロメリアも魔物との闘いに慣れているようで、シグマとふたりの時よりも更に頼もしい。 アルスの持つ剣は、シグマのものより少し幅が広く重そうではあるが、軽々と振るっている。 ロメリアの武器は細身で短く、剣というよりはナイフに近いが、彼女の軽やかな身のこなしに合っているようだった。 「…すごい、ですね」 思わず漏れたリンの声に、アルスはぱっと笑顔になる。 「ね、リンちゃん、僕かっこよかった?これでも時々、魔物の討伐には行ってるんだよね!」 「調子に乗るんじゃありません」 ぴしゃりとロメリアが言うと、唇を尖らせながら剣を鞘に納めた。 ロメリアからリンは男の子であることをきちんと説明された筈なのだが、アルスが変わらずちょっかいをかけてくるのは「びっくりしたけど特に気にしてないよ。可愛いし」との事で、リンの容姿を気に入っているらしい。 「それにこの目で確かめたわけじゃないしね」と、聞き捨てならない事まで言い放ったせいで、引き続きロメリアはアルスの言動には目を光らせている。 「リンさん、魔法での援護ありがとうございます。流石ですね」 ロメリアはリンに対して笑顔を向けることが増え、姉のように接するようになった。 今も、まるで頭を撫でているような柔らかい声で彼を褒め称える。 正直なところ、リンは体術で戦力になりたいと思っているのだが、三人の剣技の前に出ることが出来ない。 本来護衛するべき相手に褒められているような状況では、まだまだ足りない。 アルスとロメリアが荷物を持ち直している隙にこっそり唇を噛むと、シグマだけがその仕草に気が付いた。 「元気出せ」 「…シン」 「順調に進めるように、手伝ってやるから」 「……!」 「兄貴に会うんだろ」 「はい…っ」 寂しいと打ち明けてしまっている事を思い出し、リンは自分に言い聞かせるように強く頷く。 少しだけ鼻を啜って、自分も荷物を持ち直した。 「車が使えたら良かったんですが…歩きになってしまい申し訳ありません」 ロメリアがアゼリア共和国の地図を取り出して言った。 乗り合いの車は決められた運行をしており、この日は旅の進行方向とは逆の村に行ってしまって二日間は戻って来ないらしい。 「定期便の本数は見直した方がいいね。利用者は年々増加してるようだし」 アルスが真面目な発言をしたので、ロメリアは少し驚いたように瞬きした。 「どうしたの?ロメリア」 「…いえ…、きちんと関心を持っているんですね」 「前に街の女の子に聞いて、気には留めてたんだよ。それに、実際に利用する立場になると、身を以て国民の気持ちが判るね」 「…抜け出す癖も、たまには役に立つんですね」 ロメリアが、先程リンに向けたのと同じ笑顔を見せた。 「さて、リンさんに見せていただいた経路は、途中の街や村が少し省略されていましたので…。できるだけ安全な道を私がご案内します」 「は、はい。お願いします」 「詳しい人が居ると助かるな。俺も、首都より西は行ったことがないんだ」 シグマが地図を覗き込む。 頭の少し上でシグマとロメリアとアルスが話し合っていて、中心に居るリンは地図の上を目で追った。 目指しているのは、西の大陸の端にある港町。 そこから、船で順調に東の大陸に渡れれば、そこでセージと合流が叶うはずだ。 リンは真剣に話を聞いて、これからの経路を懸命に頭に叩き込んだ。 「この足並みだと、少なくとも今夜は野宿じゃないか?」 初めての道に、シグマが心配気味に言った。 「いいえ、地図にはありませんが、少し先に村があります。陽が落ちる前には着けると思いますよ」 *** 辿り着いた村は、ルナリア村と同じく、魔物を避ける高い壁と門があった。 ロメリアは慣れた手つきで、仕掛け付きの錠を解く。 「おい、いいのか?村人の許可は――」 「…ええ。私の故郷なので」 ロメリアの答えにシグマが驚き、不意にアルスと目が合うと、少し困ったように薄く笑って返されただけだった。 「定期的に私が確認しに来ていて、今の所は魔物に壊されるようなことも起きていません」 「ロメリアさんが、確認…?」 リンが首を傾げたが、ロメリアは黙って門を開けた。 もう陽が落ちかけて薄暗くなっているにも関わらず、村は静かで、ひとつの灯りもなかった。 人の声も姿もない。 それどころか、崩れた家屋が多く、住人が居るとは思えない雰囲気だった。 「…もう、廃村なんです」 振り返り、ロメリアが静かに言った。 「先の戦争で」 シグマの予想通りの言葉が続いた。 この国で廃村ということは、つまりは被災地なのだ。 「幸い、私の家族や生き残った村人の何人かは首都に移り住むことが出来ました」 「…ロメリアはこの村の村長の家系でさ。僕の父さんが大統領になったばかりの頃から交流があったから、お互い知ってるんだ。父さんが口利きして、今は家族ごと公邸で仕事してるってわけ」 「まあ、幼馴染というやつです」 ロメリアが先頭に立って歩き出すと、残りの三人は慌てて後を追った。 「私の元の家はなんとか残っていますので、今夜はそこへどうぞ。寝台は多少汚れていますが、無いよりはマシかと」 人の営みの残骸というものを、リンは初めて見た。 燃え焦げたであろう木の柱や家財道具が、戦後十年の雨風に晒されて痛々しく転がっている。 もう辺りが暗くて判りにくい所もあるが、歩きながらつい眺めてしまう。 シグマに目をやると、険しい顔をしている。 ルナリア村も被災した村のひとつと聞いていたので、思うところがあるのだろう、リンは声を掛けるのを躊躇った。 「こちらです。どうぞ中へ」 村の奥の一番大きな家に着くと、今はもう鍵が必要のない扉を開け、ロメリアが促した。 家具は残っているものの、棚の中はほとんどが空で、生活の匂いはしない。 移住の際に、必要なものだけを持ち出したらしかった。 居間の暖炉とランプに火を入れ、簡易的な食事を準備する。 流石にアルスも、静かだった。 食事が済むと、リンたちは二階に案内される。 「寝室は三つです。狭くてすみませんが、リンさんとシグマさんは私の両親の部屋を使ってください」 夫婦用の寝室のためか、寝台は大きなものがひとつ。 ランプの灯りで照らされた壁紙の一部が白く切り取られたように色が違っていて、絵画が掛かっていた跡だと判る。 「一緒で、構わないか?」 シグマが確認すると、リンは小さく頷いた。 誰かと同じ寝台に寝るのは母親かセージ以来だったので少し緊張するが、我儘も言っていられない。 アルスが少しだけ拗ねた顔をした。 「僕が、リンちゃんと一緒がいい」 「それが一番駄目です」 「信用ないなあ…」 「ええ、していませんから。アルスは客用の寝室です。場所は知っているでしょう?」 リンの保護者と化したロメリアは手厳しい。 アルスとロメリアが出ていくと、リンとシグマは二言、三言軽い会話を交わしてから横になった。 リンは隊服を、シグマは外套を掛布代わりにする。 もう使う者の居ない寝台からは、埃とかびの臭いがした。 「お休み」 「…お休みなさい」 リンは目を閉じたものの、寂しさと村の雰囲気からなかなか眠れず、シグマもまた昔を思い出して何度も寝返りを打った。 暫く経った後、ふたりは廊下を誰かが歩く気配を感じたが、それが誰なのかが判っていたので、確かめに行くことはしなかった。 「ごめんね、ロメリア」 「…何がですか?」 アルスとロメリアは一度はそれぞれの寝室に行ったものの、どちらともなく居間に来て、今はふたりで暖炉の火を見つめながら座っている。 「この村を放っておいてしまって…」 「もう誰も住んでいませんし、後回しになるのは仕方のないことです」 「でも、君の友達の墓だってきちんと整えられてない状態だし、…ここをこのままにしておくわけにもいかないよ」 「…ハイドランジアが、ようやく首都として再び機能してきているんです。…今は、大事な時期です」 「せめて墓だけでも首都に移すとかさ…、僕から父さんに…」 普段は不真面目な面ばかりを見せるアルスも、世間に向ける目は真っ直ぐ未来を目指していることをロメリアは知っている。 アルス本人は、それが無自覚なのかもしれないが。 考え込むアルスに、ロメリアは微笑んだ。 「じゃあ、貴方が大統領になったら、それを最初のお仕事にしてくださいな」 「えー…?と…」 「ね?」 「うーん…なれたら、ね」 アルスは苦笑いで返した。 「なれるわ、アルスなら。ずっと昔からの約束だもの」 「…はぁ。ずっと昔から、僕の付き人は怖いなぁ」 暖炉の中の薪が、小さく爆ぜた。
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