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其の1
何故、こんな事になったのだろう。
少年は頭を掻き毟って、苛立ちを露わにした。
シースナー皇国の第二皇女、ウル姫親衛隊はいつも通りの朝礼を迎えるはずで、隊員たちも当然寝耳に水の通達だった。
主君であるウル姫が、婿探しを宣言した。
詳細は夕刻に再度集まって通達するとは言われたが、少年の聞き間違いでさえなければ…
「ひとりずつ候補者の元に赴いて、この王宮まで警護し連れてくること」
概要としてはそうなのだが、少年の重きは「ひとりずつ」という一点に於いてだった。
「冗談じゃねえ」
何度目かの悪態が口から零れる。
「セージ、何で怒ってるの?」
隣から、か細くも明らかに自分に向けられた声に目を向ける。
「リンは聞いてたか?今朝の」
「聞いてたけど…姫様の…任務で…」
「あのなあ」
セージはずんずん歩いていた足を止め、体ごとリンに向き直った。
「ひとりずつ、だ。どこの国…いや、どこの大陸に飛ばされるかも判らないの!俺たち別々にさせられるの!」
「…うん」
きょとんとした大きな瞳で頷く弟に、セージは肩を落とした。
「だって任務だし…言われたことは、やらないと」
「兄ちゃんは心配なの!可愛い弟のリンが俺と離れてたったひとりで…」
「う、うん…でも」
「どこの国のどんな奴かも判らない人間と…自力で戻ってこないとならないんだぞ!?何日、いや何ヶ月かかるかも判らないんだぞ!?」
「そうだけど、でも」
ウル姫の発した命令は、これから候補者を選定し、担当する隊員を割り振るという。
セージとリンは揃って十五歳。
数ヶ月前に入隊したばかりで、任務らしい任務は初めてとなる。
特にセージのほうはリンに依存ともいうべき過保護で、片時も離れようとしない。
ひとり一室与えられる部屋も、壁を撤去して一緒に生活しているほどだ。
揃って母親を失い路上生活していたところを、偶然城下視察に来ていたツァンルーに保護され現在に至る。
厳格なツァンルーもふたりの境遇からくる関係性には黙認している。
ふたりとも、同じく頭部に一対の白い翼が生えている。
多種多様な種族が存在するこの世界ではほかに見ないが、そういう種族もいるだろうと特段気には留められていない。
母親は違うというが、恐らく血縁も近しいのだろうと、周囲の人間はふたりを「羽兄弟」と呼んでいる。
誕生日はセージのほうが一日早く、それもあってセージも自らを兄と呼び“弟”であるリンを大事にしている。
「お前がひとりで、なんて…」
「まだ判らないよ…すぐ近くかもしれないし」
愚図るセージを懸命に宥めながら、リンは困り果てていた。
確かに、物心ついてからというもの、ほとんどの時間お互いが視界にいる生活だったので、リン自身も不安はある。
セージに守られ続けてきたので、何人かの隊員とは親しく話すものの基本的に他人は苦手だ。
果たして見ず知らずの土地へ行き、見ず知らずの人間と言葉を交わし、的確に主旨を伝え本国に戻ってこられるだろうか。
セージに向けた言葉は、自分自身への言葉でもある。
せめてすぐ近くの…城下町とかであってほしい、などと。
朝礼では、まるで何かを読み上げているだけのようなツァンルーも気になったが、その後の兄もこんな状態で、自分もなんだか落ち着かなくて。
「と、とにかく、夕方の集合まではどうすることもできないよ…ね?」
セージもまだもごもごと口を動かしていたが、その通りなので頷くしかなかった。
***
「…お疲れ様」
ルピナスが冷たい飲み物を差し出す。
「…ああ」
ツァンルーはそれを受け取ると、先ほどまで隊員たちで埋め尽くされていた会議室を見渡す。
これからもっと疲れる事は必至だというのは判っている。
勿論、心身共に。
「夕方まで休んでなさいよ。…リストアップ…は、私がやるから」
「いや、いい…。働いていたほうが、気が紛れる」
「…そう?」
ルピナスは肩をすくめた。
実際、リストアップなどというのは簡単で、数分で済む。
シースナー皇国のは魔法大国とも呼ばれ、大抵のことは魔法でどうにでもなる。
どの国家よりも早く住民の情報をまとめ、どの街の誰がいつ生まれ、どの程度の魔力を有しているかなどは管理出来ている。
ほかの大陸も次々にその制度を導入し、国同士の承認があれば他国民の情報も判ってしまう。
主君の命令とはいえ、せめて婿候補の男たちの名前を大量に見るのは辛かろうと、最終的にはルピナスが指揮を執って動くことにした。
「…見せられないわね。色んな意味で」
分厚いリストをざっと見たルピナスは、早速隊員たちの振り分けに取り掛かった。
***
三日後、正式な御触れとしてウルの婿探しが発令された。
各地の新聞に報道され、国内は勿論、遠く離れた別の大陸でも話題になった。
「うーっ…」
唸るか溜息か、それしか口から発さなくなっているセージに、リンは気まずい気分のまま数歩後ろを歩いていた。
「…セージ…」
「判ってる!任務だ!判ってるよ!」
だんだんと大股になり、早い歩調で部屋へと向かう。
それをリンが小走りで追う。
「はあ…クソッ、俺が南の群島で…リンが西の大陸!?しかも出立が明日!?明日って…ああもう!」
判っているといいながらブツブツ文句を言い、とうとう自室へ辿り着いた。
これからふたりで荷造りをする。
「う、うん…急がないとね、準備。あ、でも…セージは、少し遅いんだよね」
「…は?」
「セージは、最後だから、何日か後なんだよね」
「え、ちょ…!?」
クローゼットから鞄をふたり分引っ張り出したリンは、目を見開いている兄の顔をきょとんとして見つめた。
「最後って、何だ?」
会議を適当に聞き流し、自分と弟が離れ離れになる、というあたりばかり耳に入っていたので、そのほかの内容など最早どうでもいい。
「もう…」
リンは自分の机の上に置いた書類を取りに行き、目の前にリストを突きつける。
相当、分厚い。
「姫様のお婿さん候補が、一万人でしょ?」
「…そうだっけ?」
その言葉にリンはきゅ、と眉根を寄せた。
「城下に住んでない人を、僕たちが迎えに行くんだよ」
「それは聞いてた…俺が南…で、リンが、西」
「うん、それでね。僕がここ」
細い指先がつ、と書類の上を滑る。
第三候補者の欄の横に“リン・ツンベルギア”とある。
セージが間違えるはずも無い、最愛の弟の名前。
「僕、三番目の人を迎えにいくの。…三番目ってことは、きっと魔力もすごいんだろうね…」
「…そうだな。なんて読むんだ、コレ?…シ?」
「たぶん…“シグマ・シェフレラ”で、あってると思う。あとね…、五百番目くらいの人も、かな」
「ふたりも担当すんのかよ!?」
「距離的に近いから、みたい…。えっと、アルス・オライオン…かな」
「そんな…大丈夫なのかよ本当に」
弱々しくなるセージの声をよそに、リンは何枚にも綴られた最後の紙をめくる。
「…で…、ここ、セージの名前…」
名簿を作るスペースが中途半端に足りなかったのか、若干ギリギリの余白に“セージ・ユッカ”とある。
「なんだよそれ!俺、一万番目なの!?つか、…それって絶対、大した人材じゃねーじゃん!」
「そ、そうかな…でも、候補に入ってるんだし…」
「いや、断言する。つまんねー奴だと思う!」
やっぱり、噛みついてでも拒否すれば良かった!とセージは髪を掻き毟り、絶叫した。
「おーい、何叫んでんのー?」
ふいに扉がノックされ、廊下から声がした。
「先輩だ!」
リンが扉に駆け寄り、部屋の中へとその人物を案内する。
入ってきた男は、青みがかった黒髪を短く切りそろえ、隊服の袖は他の隊員より丈が短くデザインされている。
見るからに身軽そうな風貌だった。
名前はファ・メイピン。
親衛隊長であるツァンルーの義理の弟で、セージとリンからは「先輩」と呼ばれて慕われている。
「ちゃんと、準備してる?」
様子を見に来たメイピンは待機班なのでまだまだ出番は無い。
「ねえねえ、俺も手伝おうかー?」
「えー、先輩がぁ?先輩の部屋って超汚えじゃん。アテにならない」
「汚くないよ!ちょっと本が散らばってるだけだろ!」
「全部エロ本のくせに!」
「な…!」
全く進まない準備に、リンの溜息が部屋を静かにする。
「…セージ、ちゃんとやって」
「わ、判ったよ」
そそくさと鞄に着替えを詰め込み始める。
「先輩」
「あ、ああ…ごめん!俺も手伝う手伝う!」
「エロ本って、何ですか?」
「そっちかよ!」
***
翌日は、セージの心とは裏腹に清清しい快晴。
リンは荷物を手に、魔法転送装置のある部屋へと赴く。
任意の場所へ瞬間的に移動出来るこの装置は、シースナー皇国の誇る魔法文明の結晶とも言える。
問題点があるとすれば、装置があるのはこの国だけなので、行きは良いが帰りはどうしても自力での旅となる。
肝心なのは、その帰路だ。
リン以外にも数名、同日に出立する隊員が待機していた。
「じゃあセージ、行ってくるね」
「リンッ!連絡ッ!連絡は絶対によこせよ!毎日だ!いいか!?」
気を抜くと一緒になって装置に飛び込んでいきそうな剣幕のセージをメイピンが取り押さえ、早く行けと口の動きだけで合図した。
「では、リン。気をつけて帰って来いよ」
「はい」
ツァンルーがリンの頭にポンと手を乗せる。
「お前の任務は、候補者を無事にこの城へ連れてくることだ。勿論、お前も無事に、だ」
「…はい」
ツァンルーは出立する隊員たちに向き直る。
「諸君にはそれぞれに、魔法通信装置を支給する。城内の通信室を経由して、定期的に状況を報告するように」
「「了解!」」
「現金の支給もされているとは思うが、交通や宿泊は、出来る限り国家指定業者及び商店の利用を心がけること」
「「了解!」」
ひとりひとりに、身分証明のバッチと、召集令状が手渡される。
国王の印とウルの印が押されており、間違いなく婚約者を募る書状であることを証明している。
「では、順番に魔方陣の上へ」
リンが、最初に魔方陣の上に立つ。
「リンッ…!」
セージはいよいよ泣きそうになり、メイピンのセージを拘束する力が増す。
「こーら!ダメだっつーの!」
じたばたと抵抗するが、体格と力の差が大きいため振りほどけない。
「連絡ッ…!しろよ!」
リンは僅かに笑顔を作って、魔方陣から発せられる淡い光の中に消えた。
漸くメイピンの腕から逃れたセージは、力なく床に座り込んだ。
「リン…」
ツァンルーは小さく溜息をつくと、先程のリン同様、セージの頭に手を置く。
「お前も、三日後に出立だ。リンが、指定したルートどおりに戻れば、東の大陸あたりで合流出来るだろう」
「…本当?」
「それには、お前も予定通りの行動をきちんととる必要があるがな」
先日の剣幕は影も無いセージの視線に、多少の罪悪感が生まれる。
すかさずルピナスがフォローを入れた。
「いい子にしてれば、すぐに会えるわ。セージはいい子?悪い子?」
「いい子だッ!当たり前だろ!」
その元気があれば大丈夫ね、と笑顔で返す。
「じゃあ、荷造りの続きをしなさい。夕飯前にはリンから定時連絡があるでしょうし…支度をしていれば夜なんてすぐよ」
リンからの連絡、と聞いてセージに笑顔が戻る。
「うんッ!」
ウル姫の婿候補は、招集がかけられたばかり。
シースナー城への来訪者は、まだ、ない。
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