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其の3
神殿に一泊させてもらうことになったリンは、空き部屋に通されると、与えられた寝台の上に鞄を置いて窓を開けた。
ここからも海が近くに見える。
その光景がすっかり気に入り、目的地到着の連絡を思い出す頃には、太陽が真上まで昇っていた。
シグマとアスターは祭壇のあるホールに戻ると、それぞれ胸の前で指を組み、祈る仕草で目を閉じた。
「今日も精霊コクのご加護を我が身、我が国、すべての命に」
シグマは真っ直ぐ祭壇に向いていたが、アスターはややシグマのほうを向いているようだった。
この神殿は、伝承にある精霊コクを祀っている。
そのため、首都から遠く離れた村であるにも関わらず、国からの援助も厚く村人たちは平穏に暮らしている。
―――ここ十年ほどは。
「ところで…どうしたものでしょうか、司祭様」
シグマは祈りの指を解き、溜息交じりに呟いた。
「そうですねえ…皇女のお婿さん探し…、いやまったく、他人事でしたよ」
「そもそも、結婚なんて考えたことも」
「…断るんですよね」
シグマは頷いた。
「俺には、相手が一国の皇女であれ、断る理由があります」
先刻までややふざけたように微笑んでいたアスターも、真面目な顔になる。
「俺も新聞は読みました。選別の基準は一定の年齢枠と…魔力の強さを検知した結果、とか」
「とんでもないですね、あの国の魔法文明は。でも君は魔法を使ったことも、習ったこともない。そうすると、魔力に置き換えられて選別に引っ掛かったと考えられますね。当然理由は…」
「…あのリンという子を首都まで送り届けるのは、言った通りにします。その先は」
「…ですね、心配ではありますが…」
「仮に大統領の息子にも断られたとして、…まあ、ある程度の所まではつき合ってもいいと思いますが、長くは、無理です」
「同じ任務の誰かとでも合流できれば、シンは引き返していいと思いますよ。あの子には悪いですが」
「…俺は、この村からあまり離れ過ぎるわけにはいきません」
アスターは頷いた。
「ええ、君はこの神殿そのものですからね」
***
ぼうっと海を眺めていたので、慌ててリンは鞄から魔法通信装置を取り出すと、窓辺に置いた。
手を翳し、魔力を送り込む。
淡い光の向こうに、女性の声がした。
「はい、こちら魔法通信装置交換室」
交換手の声だ。
「えっと、えっと…ウル姫親衛隊員のリン・ツンベルギアです…」
「ああ、例の任務の件ですね。フェン・ツァンルー隊長へのお言付けですね?」
書き物道具を用意したらしい交換手が、どうぞ、と促した。
「えっと、…アゼリア共和国のルナリア村に着きました」
「はい、今ですか?」
「す、すみません…二刻ほど、前です」
海を眺めていたなどとは言いにくかったが、遅れたのは事実だ。
叱咤される覚悟で身を固くしながら、相手の言葉を待った。
双方、声のやりとりは出来るが姿は見えない。
もしかするとツァンルーがあちら側に居て、鬼の形相でいるかもしれない。
「リン!」
大きな声が響いた。
「…えっ?セージ?」
まさかと、リンは驚いて聞き返す。
「良かった、リン!無事だったんだな」
「…困ります、セージ君。急に大きな声を出しては」
どうやら、向こう側で交換手に呆れられているらしい。
「リン君、彼は今朝からずーーーーーーっと、交換室に入り浸って、貴方の通信を待ってたんですよ」
「そ、そうなんです…か?」
「心配してんだから当然だろ!大丈夫か?怪我はしてないか?変な奴に会わなかったか?風邪とか引いてないか?」
「だいじょうぶ、大丈夫だよ」
部屋中に響く声に、シグマやアスターが駆けつけてこないか、姿は見えないと判っていても両手をパタパタと動かして静止しようとしてしまう。
セージはまだ何か喚いていたが、声がどんどん遠くなるので、どうやらほかの交換手につまみ出されたらしかった。
幸い、この時シグマとアスターは祈りを捧げている最中だったので部屋に入ってくることはなかった。
「…じゃ、報告の続きをどうぞ」
やれやれ、と溜息交じりの交換手。
「その…、シグマ・シェフレラさんと会えました。…でも…一日待って欲しいと」
「ふんふん、なるほど」
「えっと、どんなお返事でも、次の目的地の首都…までは、一緒に来てくれるそうです」
「とりあえず、首都、まで…は、と。そうですか…では」
リンの言葉を書き留めながら、交換手はリンの意図を読み取った。
「明日の朝の定時通信で、改めて返答を報告してください」
「はい…」
「で、返答に関わらず、アゼリア共和国の首都へ向かってくださいね」
「判りました…」
「今夜はどちらに?」
「えっと、村の、神殿に泊めてもらうことになりました」
「そうですか…、そういえば、ルナリア村は精霊コクの神殿がありましたね」
相手に見えないものの、リンはこくこくと頷いた。
精霊の伝承はほぼすべての土地で語り継がれているし、地理の基本中の基本として、四つの精霊が祀られている場所は広く知られている。
「良い所が担当になりましたね。次も首都ですから、ツァンルー隊長のお計らいかもしれませんね」
「…!」
そこで漸く、リンも気が付いた。
恐らくは、ある程度栄えていて治安の良い所を割り当てられていたのかもしれない。
担当は神殿に住む三番目の候補者と、五百番目とはいえ大統領子息という身元もしっかりした人物だ。
「引き続き、お気をつけて任務にあたってください」
交換手の声が最初よりさらに優しく感じた。
「…はい」
「お疲れ様です」
あちら側から通信を切られ、魔法の光が消えた。
一瞬ではあったもののセージの声が聞けたので、リンはほっと息をついた。
報告が遅れたことへの咎めも無かったので、まずはひと安心して装置を鞄に仕舞い込む。
同時に、扉を叩く音がした。
「リンさん?」
アスターの声に、リンは慌てて扉を開けた。
「はいっ…」
「一人ぼっちにしてすみませんね。お祈りが終わったので、改めて神殿の中を案内しましょう」
「…は、はい」
アスターに続いて、またホールに足を踏み入れる。
今朝は見渡す余裕が無かったが、改めて見るとステンドグラスがとても美しい。
描かれているのは、精霊たちの伝承だというのは直ぐに気が付いた。
「ここは、精霊コクを祀っています。先程も自己紹介しましたが、私はここの司祭を務めています。今は落ち着いていますが、お祭りの時は首都やほかの国からも人が大勢来るんですよ」
並べられた椅子の一つに、シグマが座っている。
また、黒い瞳と目が合ってリンは反射的にびくりとした。
「言い忘れてましたが、シン…シグマは、ここで一緒に住んでいます。彼はほかに家族がいないので、私が後見人でして」
「…し、シグマさん」
おずおずと声を掛けると、シグマは肩眉を上げて軽く笑う。
「別に、シンでいいよ。本名で呼ばれることもあまりないから、慣れない」
「…シン」
「うん」
確かめるように頷く。
「君のことは、リンでいいのかい?」
「…あ、はいっ」
シグマが、リンの少し上を見た。
羽根が気になるのか、凝視されると緊張してしまう。
「判った、リン」
するとシグマは立ち上がり、ホールを出て行った。
「また後でな」
「…えっ、と…」
素っ気無い態度にリンは居心地の悪い気がして、アスターに視線で助けを求めた。
「シンは、いつも裏手の庭で剣の鍛錬をするんです」
「はあ…」
「不機嫌なわけではないんですよ。誓って、優しい子なんです」
「はあ…」
「見学しに行っても良いですが、…折角だし私と村を一回りしてきましょうか?」
「は、はい!」
シグマの返答は一日保留されてしまっているし、優しい雰囲気のアスターと居るほうが安心すると思い、リンは承諾した。
司祭が出歩けば、村人たちは口々に挨拶をするし、隣に居る見慣れない子供を珍しそうに見る。
「あら、どなた?司祭様に妹さんがいたかしら」
「お嬢ちゃん、司祭様にお菓子でも買ってもらいな」
「可愛いわねえ、どこから来たの?」
口々に女の子として声を掛けられどんどん姿勢が低くなるリンに、アスターは人見知りで顔を隠すのかと勘違いし木陰の長椅子に座るよう促した。
「ふふ、大丈夫ですか?あまり他所から人が来ないですし、珍しい恰好ですからね」
「……」
「リンさんの羽根、綺麗ですね。シースナー皇国にはそのような種族もいるんですか」
「ぅう……」
小さな唸りにリンの顔を覗き込んだアスターは、口を歪ませて大きな瞳いっぱいに涙を浮かべる様に、ぎょっとした。
「ど、どうしました!?」
「…ふぅう……」
「リンさん?どこか具合…」
「ぼっ…僕…男、です…」
言った瞬間、大粒の涙がぼとりと零れた。
「えっ…、えっ…???」
懸命に謝り、リンを宥めるアスターの姿は、何人かの村人に目撃されており、司祭様が女の子を泣かせたと小さな噂になってしまっていた。
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