其の6

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其の6

アゼリア共和国首都ハイドランジア。 当然この街もルナリア村同様、十年前に戦地になった。 しかしながら復興により建て直された家々は真新しく、地面も石敷きできちんと整備されている。 ふたりが到着したのは昼を少し過ぎたころで、大勢の人々で往来は賑わっている。 (城下に似てるなあ) リンはきょろきょろ見回して、そして大通りの先に見える荘厳な建物を見上げた。 「君の目的地だよ。大統領の住んでいる家であり、執務をするところ」 「……」 「家族で住んでいるはずだから、息子もいるだろ」 「……」 「どうした?」 「…えっと…」 首都に辿り着いてしまったので、ここからは自分ひとりなのか。 あの建物に、ひとりで行くのか。 急にリンは不安になった。 シグマの時は、緊張はあれども長閑な村だったし、アスターの存在もあったのでなんとか出来た。 しかしルナリア村と比較して何倍も違う規模の街に来て、何倍もの人を見て、あの神殿の何倍も大きな大統領公邸を見てしまうと、じわりと手に汗が滲んだ。 (せめてもうひとりに会うまでは、一緒に居てくれないかな) ちらりと視線を向けた。 「ん?」 少しだけ眠そうな黒い瞳は見下ろしてくるだけで、自分の次の言葉を待っているだけだった。 野宿で眠ったのはリンだけで、シグマは魔物対策として一睡もしていない。 皇女の婿候補を辞退された時点で、自分たちの間にはもう何の関係も残っていない筈。 なのに同行してもらって、魔物と闘ってくれた。 その恩を返さねばならないのはリンのほうだ。 (もう少しなんて言えない…) 言葉を探して口をもごもごと動かしていると、急に腕を強く引かれた。 「…えっ!?」 「車が通る。危ないよ」 車輪の付いた輿を、運搬用の輓獣が引いている。 リンの知らない種類の動物だった。 「俺たちもあれに乗って来られたら良かったな。村には、車を引ける家畜は居ないから…」 その車は、大統領公邸に真っ直ぐ向かって行く。 車の到着とともに、門の前の兵士が、なにやら馭者と話をしているのが見える。 兵士を見つめる視線に気付いたシグマが、掴んだままになっていたリンの腕を解いた。 「そういえば君は、あそこに入れるのかい?身分証明は出来るようだけど」 「…た、ぶん」 「おい、大丈夫か?」 「…」 下を向いてまた黙ってしまったリンに溜息をつく。 「とりあえず、一旦休もう」 大通りから外れたところにある大きな公園の長椅子に連れていった。 綺麗に剪定された緑が規則正しく並んでおり、長椅子も程よい木陰の下になっている。 聞けば何度かアスターに連れられて首都には来ており、ここでよく休憩したのだと言う。 座ってから、漸くリンは足の裏が痛くなっていたことに気が付いた。 「せっかく来たんだ。何か買い物してもいいし、手ぶらで村に帰るのもな」 そこで、リンは欲しかった言葉を聞くことが出来た。 「もう少しだけ一緒にいるよ」 「…!あっ、ありがとうございます!」 大きな瞳を更に大きくして、思わず声も大きくなる。 シグマの驚いた顔に気付き直ぐに顔を赤くして、「ごめんなさい」と俯いてしまったけれど。 「…じゃあ気を取り直してもう一度聞くけど、君はあそこに入れるのかい?」 「たぶん………」 同じ回答。 やれやれ、と溜息。 「君が見せてくれたバッチ、あれを門番の兵士に見せれば入れるとか」 「…これは、…その、身分証明ですけど…ああいう、建物の門番さんには効かない…?というか…その」 「まあ、どうとでも言えるからな」 仮にシグマがついて来なかったとして、急に来た子供が魔法大国の遣いだと言っても、それで簡単に招き入れてしまっては門番の意味はない。 ふとシグマは気がついて、リンの鞄を指さした。 「君は指令を受けてるんだろ?何か聞けないのか?」 「…!そうでした!」 明け方からずっと歩いていたので、この日の朝の報告をしていない。 慌てて通信装置を鞄から取り出した。 「これで、やり取りが本当に出来るのかい?」 「はい」 神殿では部屋に籠って通信をしていたので、シグマは初めて目にする。 魔法通信装置は、リンの手のひらに収まる鏡のような丸く平たい形をしていて、中央に小さな石が埋まっている。 「ここに、僕の魔力を送り込みます」 石に人差し指を添えると、鈍く青い光が二、三度点滅した。 「はい、こちら魔法通信装置交換室」 交換手の声に、シグマが目を見開いた。 「…すげぇ」 リンはそれに目をぱちぱちさせる。 魔法が当たり前の彼にとっては、驚かれることのほうが不思議に思えてしまうからだ。 「あのぅ…ウル姫親衛隊員のリン・ツンベルギアです…」 「リンく…」 「リンッ!良かった!!無事かッ!?」 交換手の声を遮って、セージの声が公園に響いた。 遊んでいた子供やその親たち、通りの人々が皆こちらを見ていて、リンは慌てて手をぱたぱたさせる。 勿論、装置の向こうのセージには見えていないのだが。 「セッ、セージ、ちょっと静かに…!」 どうやら例によってほかの交換手に取り押さえられたらしく、遠くで何か叫んでいるようだった。 「何だ、今のは…」 シグマも、のけぞって長椅子からぎりぎり落ちそうになっていた。 「す、すみませんっ!すみませんっ!」 リンはシグマと装置に交互に謝ると、シグマには小さく「兄です」と付け加えた。 「なるほど、アゼリア共和国の首都、ハイドランジアに先ほど到着したんですね」 「はい…また、遅くなってしまってすみません」 「いえいえ、徒歩での移動ご苦労様です」 交換手の女性はさほど気にしている様子もなく、明るく返してくれた。 「今は、それで、おひとりですか?」 「…あっ、いえ、あの。シン…シグマさんと、一緒です」 横目でチラリと見る。 「あら?ご辞退されたはずでは?」 「その、つ、付き添ってもらいました。…ここまで」 シグマは軽く咳払いをし、恐る恐る言葉を発してみた。 「アゼリア共和国ルナリア村のシグマ・シェフレラ…です」 「あっ、ご丁寧にどうもです。私は魔法通信装置交換手のイ・パンフェンと申します」 姿の見えない相手との会話が成立し、シグマはおお、と感動しているようだった。 「今リン君とご一緒ということは、お気持ちが変わったんでしょうか?」 「…いや、俺は辞退で。本当にリンの付き添いで…」 「…あらまあ、そうなんですか。それは残念です…」 「ところで、リンが大統領の屋敷に入るにはどうしたらいい?そこまで見届けたい」 すっかりリンに代わり、シグマが交換手と話を進める形になっている。 「それなら、既に面会の申し入れをしております」 「は?」 あっけらかんと、交換手は言った。 「オライオン大統領の公邸にも装置がありますので。国際会議でも通信を使いますからね。二年ほど前にお届けしたんだったかしら」 「…だ、そうだよ」 ぽかんとしているリンに、シグマは少しだけ笑ってみせた。 「あ、でも」 交換手は続けた。 「二名での来館をお伝えしていました。シグマさんもお連れできることを前提に動いていましたから」 「え、俺も行くのか?中まで?」 「直前には取り消せませんし、今ももう公邸の予定に組み込まれてしまってるでしょうし…」 「何てこった…」 「あ、でもあれですよ。最大三泊までは滞在していいことになってます。大統領公邸に泊まれるなんて滅多にないですよ!」 リンを見ると、縋るような視線を向けられる。 (ああ、もう) 溜息。 「…一泊だけだぞ」 帰るにしても、帰路も魔物が出るため眠らず戻ることにはなる。 流石に今夜はこの街で宿をとって休もうとは思っていたし、ならば、せめて大統領の客人として豪華な寝台で寝てやろうと思った。 リンがホ、と小さく息を洩らした。 交換手も察して安心したのか、装置の向こうで笑っている気がした。 「まあ、シグマさんもよかったら、今夜はもう一度ご検討ください。お考えが変わるのは、嬉しいことですので」 「…期待はあまりしないで欲しいな」 「ええ、とっても、期待してますね」 ひとまず公邸には入れるらしいと、リンが通信を終了しようとした時、先程よりは落ち着いているようだがやや大きな声がした。 「リン!まだ俺が喋ってない!」 また、セージの声が響く。 シグマが顔を顰めた。 「あ、えっとね…僕は、大丈夫だから」 「大丈夫って何がだよ!?」 「えっと、保留が検討中で、三泊まで出来るの。でも予定されてるから中に入れるんだよ」 「…いやゴメン、ちょっと判んねえ」 急にセージが出てきたので、リンは要点が上手くまとまらず現状は全く伝わらなかった。 しかし体調はどうだの、そっちの気温はどうだの、リン自身を心配する質問責めになり、リンはそれに一つずつ答えた。 「兄貴って言ったな」 ふいに零れたシグマの声を、装置が拾った。 「…リン、誰かと居るのか?」 セージの声が急に不機嫌そうな色になった。 リンの状況が把握出来ていないセージは、聞き覚えのない声に明らかに警戒しているようだった。 「誰だ、お前」 「…セージ!そんな風に言っちゃだめだよ」 慌ててリンが諭すも、不躾な言われ方にシグマの方もカチンと来たようで、低い声を更に低くして応戦した。 「リンの兄貴にしては品がないな。弟を見習ったらどうだい?」 「シンも、ダメですよ…!」 「ッ…!?待て待て!声がなんか近い!離れろ!リンから離れろ!ていうか本当に誰だよお前!!」 「リンの付き添いだ。文句あるか」 「ハァ!?お前一体何様だよ!!リンの付き添い!?そんな筈あるかァ!!」 「実際、そうなんだよ。煩い餓鬼だな」 「――――――!!??」 何やらぶつぶつ言う声と、息を吸い込む気配がしたので、リンは慌てて装置の向こうの兄に向かって何かを言おうとした。 その瞬間、ブツリと鈍い音がして、中心の石から光が消えた。 どうやら、交換手によってあちらから通信を切断されたらしかった。 「ッ…ごめんなさいぃ………」 長閑な公園の長椅子で、リンは両手で顔を覆い、シグマは盛大な溜息をつきながら近くにあった石を思い切り蹴飛ばした。
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