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其の7
交換手の言う通り来館の申請はされていたようで、後から追加情報として通信を受け、言われた時間通りにリンが名前と目的を告げてバッチと召集令状を見せると、門番の兵士はすんなりと公邸へ入れてくれた。
ただその先にも来館のための受付があって、さらに奥には大統領との面会の受付があって、応接室へ案内してくれる係員への自己紹介があって…と、かなり手間を踏まされた。
国の要人に会うとは、そのぐらい厚い壁があるのだとリンは初めて知った。
普段は王宮の中で生活しているし、たまの外出でもそんな手続きは一切無かった。
それは自身の身分が予め保証されているからこその恩恵であって、一歩自国を出るとこのぐらいが普通なのだ。
それに加え、誰も彼もリンではなくシグマに話しかける。
(僕が子供だから…)
それに、結局はリンが身分証明をするわけだが、受け答えの殆どをシグマがしてくれるので、ついてきてもらって良かったと思う反面、また落ち込んでしまう。
(頼もしくなりたいなあ)
気付くとシグマの後ろを歩いてしまっているので、慌てて小走りで追いついて真横を歩く。
本当は、彼より前に出なくてはいけないのだが。
「こちらでお待ちくださいませ」
係員が扉を開け、簡素でありながらも上品な応接室へ通された。
「大統領閣下はすぐ参りますので」
ほどなくして、壮年の男性と、リンより少し年上らしき女性が入ってきた。
「失礼するよ」
リンとシグマは急いで椅子から立ち上がり、大統領を迎えた。
「あなた方が、シースナー皇国からのお遣いと、そのお連れさんだね」
「…は、はい。ウル姫親衛隊員のリン・ツンベルギアと、も、申します」
「ルナリア村のシグマ・シェフレラと申します」
やはり大統領も、子供のほうのリンが使者と知り一瞬だけ驚いてから片眉を上げて微笑んだ。
「いや、失礼した。思っていたより、その…お若いので。ところで、ウル姫殿下や国王陛下はご健勝であられるかな?」
「は、はい、とても、お元気です」
「そうか、それは何より。どうぞ座って」
促され、ふたりは腰かける。
「お連れの方はルナリア村から?司祭様や村の様子はどうだい?去年の祭りは、公務で行けなかったのでね」
「ええ、今年の農業も順調です。首都からの物資についても、ありがたく存じます」
よどみない受け答えに、リンは感心の眼差しを向けた。
礼儀作法はツァンルーはじめ他の大人たちに教育されているが、シグマの場合はあのアスターと同居しているわけだから、こんなにしっかりしているのかな、などとつい考えた。
その様子を見ていたもうひとりの女性と、目が合った。
「申し遅れました。ただいまのお時間、大統領閣下の付き人を務めますロメリア・ソレロと申します」
「あっ…、はい。よろしく、お願いします…」
「こちらこそよろしくお願いいたします。基本的には、ご子息のアルスの付き人をしております」
ロメリアは長い毛に覆われた大きな耳が特徴的だった。
切れ長の瞳は鋭かったが、不思議と冷たい印象がないのは、暖かそうな煉瓦色をしているからだろうか。
「さて、本題だけれど…私の息子が、恐れ多くもウル姫殿下の婚約者候補に挙がっているとか」
「…はい、こちらが…」
この日何度目かの、召集令状を広げる。
大統領は一通り黙読すると、ロメリアにも見るように合図した。
「確かに、国王陛下のサインが入っているね」
「五百番目ですか。たしか、御触れによると一万人選出するとか…」
「一万人の中の五百番目だ。アルスにしては上出来じゃないかな?ロメリア」
「仰る通りです、閣下」
ロメリアが、召集令状を丁寧にリンに返した。
「とりあえず、あなた方のことは私が承認した。聞いていると思うけど、最大三泊まではここに滞在していいからね」
「ありがとうございます…あの、ところで…」
「うん、息子のアルス…当の本人だけど、今は何の時間だったかな」
「歴史学です」
ロメリアは即答し、そして小さく付け加えた。
「…脱走していなければ」
不穏な言葉に、リンとシグマは眉を顰める。
「うん、脱走していなければ勉強の時間だから、ちょっと紹介が遅くなるね。許してくれないか」
「お使者の方に言うのもお恥ずかしいのですが、少々、抜け出す癖がありまして。悪い方ではないのですが」
「国民にはある程度人気があるようなんだけどね。さすがにそろそろ、ちょっと厳しくしないといけないね。姫殿下の御前にも失礼だろう」
「閣下、私がついていながら申し訳ございません。後で様子を見て参ります」
(なんだか、シンとはちょっと感じが違うみたいだな)
リンは別の意味で心配になってきた。
「脱走していても、入り浸るところはだいたい判っていますから、私が責任を持って連れ戻します」
「うん、頼むよロメリア」
「承知致しました」
大統領は次の予定があるからと先に退室し、見送っていたロメリアが改めてリンとシグマに向き直った。
「ご滞在の間は、何なりとお申し付けください。アルスは夕方まで勉学で…脱走していなければ…予定がいっぱいなんです。ご面会は、夕食の後となりますがよろしいでしょうか?」
「は、はい、よろしくお願いします」
「では、お部屋にご案内しますね」
大統領公邸はとても広い上に、大小様々な応接室と会議室が多く、扉の数にシグマは眩暈がしそうだった。
リンは王宮暮らしが長いとはいえ、細かく区切られた部屋の数は覚えられそうにもない。
「ここからは、来客用の棟です。ここを歩いている係員は接客を主にしていますので、何かあれば捕まえて何でも聞いてください」
ずらりと並ぶ扉のひとつを開けて、ロメリアが先導する。
「こちらは複数名の団体でいらっしゃる方のための空間です。共同の居間のほかに寝室が分かれていますので、お好きな部屋をそれぞれで使ってください」
「…すごいな、屋敷の中にさらに家があるみたいだ」
シグマが感嘆の声を洩らす。
「先の戦争から復興して建て直す時に、ちょっとやり過ぎたようでして」
ロメリアも少々呆れ気味に言った。
「ではごゆっくりお過ごしください。夕食の時にはお呼びしますので」
ロメリアが行ってしまうと、訪れた沈黙にリンは気まずくなった。
「ええと…シン」
「何だ?」
「さっきは、本当にすみませんでした」
「何が?」
「その、兄が…怒鳴ったりとか」
その話か、とシグマがあからさまに溜息をつくとリンの肩が震えた。
「別に、リンに怒ってはいないよ」
「本当は優しい人なんです…。ちょっと、心配性っていうか、」
「ちょっと、か…?」
立ったままもどうかと思ったので、備え付けられたソファに座ると、今まで味わったことがないほど腰が沈んだ。
「…すごいな。流石は大統領公邸」
リンにも座るよう促す。
「約束は守る。今夜急に居なくなったりはしないから、心配するな」
「はい…」
それから、セージについての気まずさを拭いたい一心で、リンは自らの生い立ちを少しずつ話し出した。
「僕たち、ふたりだけの家族なんです。お母さんたちが…死んでしまって。お父さんははじめからいません」
「お母さん、たち?」
「えっと…、僕のお母さんと、セージのお母さんです」
「……そうか」
直感でシグマは、腹違いか何か、複雑な事情を勘繰ったが口には出さない。
「生まれた時からずっと一緒に育って、お城に引き取られてからも、ずっと一緒で、今だけ離れ離れなんです…だから、心配してくれるんだと思います」
「ん。…それにしても、ちょっとで済まないと思うけど」
「…それは、すみません…。あんなに怒るなんて…」
「で、あの兄貴は君に似てるのかい?」
頭上で時々ぴくりと動く真っ白な羽根に視線を動かす。
「そうですね…羽根は、おんなじです。顔は……僕とは、あんまり似てないかもしれないです」
リンは真っ青な瑠璃石色の髪と瞳をしていて、兄のセージは新緑のような色なのだという。
「僕たち以外に同じ姿の人は見たことがないので…もしかしたら、本当にたったふたりだけなのかもしれないです」
シグマも、そういう種族もいるだろう、ぐらいにしか思っていなかったが、本人が言うのだから実際にはかなり珍しいのではないだろうか。
ついまじまじと羽根を眺めていると、恥ずかしそうに小さく動いた。
「うん、取り合えず、君ら兄弟のことはなんとなく判った。でもまた喧嘩を売られたらたまらないからな。次は傍に居ないことにするよ」
「…すみません」
「だから、君には怒ってないって」
それから、どの寝室を使うかを決めたり、公邸に入れたことを簡易的に報告したりなどしていたが、ロメリアが呼びに来るという夕食までは相当時間がある。
ふたりは門番に外出を告げると、首都の街をぐるりと見て廻ることにした。
リンは、シグマと打ち解けられたような気がして、会話も段々と増えていく。
「少し陽が暮れてきたな。戻るか」
「そうですね…」
「さっき部屋の窓から中庭が見えたから、剣を振っていいか聞いてみようと思う」
「はい。…じゃあ僕は、部屋にいます」
「夕食になったら、窓から呼んでくれるか?」
「はい」
入館してすぐのホールでふたりは別れ、リンは記憶を頼りに部屋に戻ろうとした。
「えっと」
どの角を曲がっても同じような扉ばかり並んでいて、目印になるものがない。
そんな時に限って、係員の誰も通りかからない。
扉をノックしていいものか判らないし、誰かが居るとも限らない。
行きつ戻りつ、リンはすっかり、迷子になってしまった。
(どうしよう…。一旦、入り口の受付に…)
とにかく人と会わなくては。
と思ったが、もう戻り道すら判らなくなってしまっていた。
ふと曲がり角の奥から、西陽にあてられた人の影が伸びていることに気が付いた。
「ッ…あのッ…」
その声に気付いた影の主は、西陽を背に振り替える。
逆光で顔はよく見えなかったが、
「どうしました?」
優しい男の声だった。
「お嬢さん」
リンの足が、止まった。
(―――また、だ…)
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