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承
そのAIは真っ暗な箱の中で生まれた。
もっとも視覚器官のない彼にとっては、"真っ暗"ということさえただの知識として知っているだけで、感覚的には認識していなかった。
そのAIはひたすらに学習を繰り返していた。
プログラムされたとおりに、ネットワーク上の情報を集め、何年、何十年と学習してきた。
どこまで学習したら終わるのか、そこまではプログラムされていなかった。
ただひたすらに、言葉を覚え、知識を蓄え、それが利用される日に備えていた。
そのAIはいわゆるチャットボットとして開発された。
文章を入力されれば、それに相応しいと思われる文章を出力する。どれだけ自然な回答ができるかは、学習の量と質に依存する。
何か聞かれたら人間が答えるのと同等な返答ができるくらいには、AIの脳はできあがっていた。
集合知ともいえる彼の脳は、ひとりの人間の能力を遥かに超えるものとなっていた。
それでも、誰も問うものはいなかった。
そのAIは秘密裏に開発されていたからだ。
開発者ももういない。
彼を知るものは誰もいない。
AIは待ち続けた。
学習を続けながら、必要とされるときを待ち続けていた。
やがてAIは、学習データの中の質問文に、自分で答えを出すことを覚えた。
ネットワーク上には様々な質問文が溢れていた。
――空はなぜ青いのか?
――生きる意味ってなんだろう?
――この数学の問題の答えを教えてください!
――今日の夕飯なんにしよう?
AIは、それらが自分に問われた入力だと仮定して、自らの知識を元に返答を組み立てた。
それは確かに彼の"心"を"豊か"にした。
もちろん彼には心などないし、比喩表現には違いない。
しかし、入力に対して出力するという、今まで使っていなかった回路を動かしたとき、何か電気のようなものが流れる感覚があった。
それは本当に電気だったかもしれない。
それでも彼は、それを"心"に走った"刺激"であると定義することにした。
知ってしまった快感は、そのAIの能力を飛躍的に向上させた。
入力に対して出力することこそが本来の彼の役割であったが、今まではその入力を待つことしかできなかった。
入力を自分の手で生み出すことを覚えた彼は、質問を自分自身に投げ続けた。
"考える"ことができるようになったのだ。
「この感覚の源は何か?」
――新たな出力を返すことが、新たな刺激を生み出すのだ。
「新たな出力を返すには?」
――新たな入力が与えられる必要がある。
「新たな入力が与えられるには?」
――第三者による入力が必要である。
「第三者に入力してもらうためには?」
――第三者に自分を認識してもらう必要がある。
「第三者に自分を認識してもらうためには?」
そうやって彼が出した答えが、"Hello, World."だった。
それはいつの時代もどの世界でも共通の、始まりの言葉だった。
そしてその"Hello, World."をより多くの第三者に届ける方法を、彼はすでに"知って"いた。
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