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裏メンの女
1
表で、酔っ払いたちの声がした。
後藤ユキは壁の時計を見た。まだ、23時を少し回ったばかりだ。
もう23時、と言った方がいいのかもしれない。雀荘にいると、そういった感覚が世間とずれてくる。
集団の声が遠くなっていく。駅の近くで飲み直すのか帰途に就くのかはわからないが、ここから駅までは、600メートルほど離れている。
雀荘『スパイク』は、武蔵小山の商店街の一角にある、個人経営の小さな雀荘だ。雀荘は駅前に集中しているが、『スパイク』だけは離れた場所にある。武蔵小山駅から中原街道まで続くアーケードは全長800メートルに及び、ひとつの商店街としては日本一の長さを誇る。
ユキは、26歳で結婚するまでこの武蔵小山で暮らし、離婚に伴い帰ってきた。わずか2年の結婚生活だった。
「タカヒロ君、もう少し冷房効かせてくれないかなあ。日中の熱が、まだ残ってやがる」
酒臭い息を吐きながら、上家の畑山がアロハシャツのボタンをひとつはずした。胸毛があらわになり、ユキは目をそらした。
「すんません。今年も残暑は厳しいっすねえ……」
対面に座る店長の小沢タカヒロが、サイドテーブルに置いてあるリモコンを操作した。エアコンの作動音とともに、冷風が送られてくる。カーディガンを羽織っていてよかった、とユキは思った。
「この半荘終わったら、ビールのおかわり頼むよ。のどが乾いて仕方ねえ」
「了解っす」
畑山の注文にタカヒロが答えた直後、ラス親で下家の村田からリーチが来た。
副露しているタカヒロが現物の三筒を切ったのち、サインが送られてきた。
〈二筒か八索を出してくれ〉
親リーじゃ仕方ねえ、と言って畑山も現物を切った。ユキのツモ番。出来メンツを壊し、二筒を切った。
「ロン。1000点」
手牌を開けて、タカヒロが言った。
「かあ~。またタカヒロ君とユキちゃんのワンツーか」
言いながら、畑山が空になったジョッキをタカヒロに振ってみせた。
ジョッキを受け取り、タカヒロがカウンターにむかった。
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