裏メンの女

3/4
前へ
/8ページ
次へ
     3  夕方、在宅の仕事を終えたユキが『スパイク』へ行くと、ちょうど卓が割れたところだった。派遣で倉庫内作業をしている山藤が帰り、村田がひとりで待っている。 「もう少ししたら、誰か来ると思うから」  タカヒロは村田に冷茶を出し、待つように言った。だいぶ前に定年を迎え暇を持て余している村田は、そうかい、と言って冷茶のグラスを手に取った。  コーヒーを飲みながら待っていると、入口のドアが開いた。見知らぬ女。新規の客だ。  タカヒロからルール説明を受ける新規の女を、ユキは観察した。歳は20代前半くらいか。金髪ショートの髪に、意志の強そうな眉と瞳。胸はかなり大きい。  お客様カードに記入された名前を見た。黒崎アンナ。それが、彼女の名前だ。  ルール説明が終わり、ゲーム開始となった。 「こちら、ご新規の黒崎アンナさん」 「よろしくお願いします」  軽く頭を下げて、アンナが言った。ユキも挨拶を返した。  対面の村田が起家(ちーちゃ)となった。上家(かみちゃ)がタカヒロで、下家がアンナという並びだ。  東一局は、タカヒロが村田から2000点の1枚をアガった。タカヒロは、アンナを警戒している。牌捌きや姿勢から、アンナがかなり打てるのはユキにもわかった。  東二局、ユキに手が入った。ドラは八筒(パーピン)。  7巡目に、テンパイした。13ba0437-34b4-4946-86e4-eca742d6d95c  二五八筒(リャンウーパーピン)待ちのタンピン赤ドラドラ。なにをツモっても跳満(はねまん)。二筒なら三色が付き、出ても跳満だ。村田狙いでリーチをしたかったが、ダマにした。リーチで二筒ツモなら倍満。一発や裏しだいでは、三倍満もあり得る。タカヒロに、親被りさせたくなかった。テンパイのサインは、出しておいた。  次巡、タカヒロから五筒が出たが見逃した。ツモは三索(サンソー)だった。好都合だと思いながら、手牌の三索と入れ替え空切りした。  直後に、アンナから二筒が出た。 「ロン。12000の1枚」 「ふ~ん。面白いことするなあ」  アンナは見逃しに気づいたのか。高目かツモを狙った、と言えなくはない。だが、言い訳はさらなる憶測を招く恐れがある。  ユキは黙って、アンナの出した点棒とチップを受け取った。  その半荘は、ユキがトップ、タカヒロが2着、アンナはラスで終わった。  次の半荘からは、アンナの独壇場だった。  ほとんどひとりで、アンナがアガり続けた。さらに、アンナは村田からは見逃し、ユキとタカヒロからの出アガリか、ツモアガリを続けている。  通しを使うのは控え、それぞれが、全力でひとつでも上の着順を目指した。それでも、 ユキとタカヒロは3着かラスを取り続けた。  アンナが5連勝したところで、村田が席を立った。 「この姉さんにはかなわん。今日は帰るよ」  アンナの着順操作によるものか、5連続2着の村田はそれほど負けてはいないが、思うところがあるのだろう。よたよたと歩いて、店を出ていった。  ユキとタカヒロは、ともに2万円以上負けている。二人合わせれば、5万円近くの負けだろう。 「すみません。今日はもう誰も来そうにないので、卓割れということで……」  タカヒロが、アンナに断りを入れた。  ユキは時計を見た。22時を少し過ぎたところだ。この時間になって誰も来ないのでは、確かに今日はもう無理だろう。客が来たとしても、精神的に参っていて、まともに打てそうもない。それほど、アンナに打ちのめされた。  アンナが席を立って、タバコに火をつけた。 「こんなご時世だ。個人経営の雀荘が苦しいのはわかるが、『通し』は感心しないな」 「……気づいてましたか」  拳を握りしめ、タカヒロが言った。 「1戦目、そこのお姉さんがサインを送った時からな。確認のため、二筒を切ってみたんだ」  サインを送った時点で、見抜かれていた。ユキはうつむき、唇を嚙んだ。  煙を吐き、アンナは言葉を続けた。 「雀荘は、客を守り、育てるもんだ。こういう状況でも来てくれる少ない客から搾り取るようじゃ、先はないぜ」 「はい。心に、刻みます」  拳を握りしめたまま、タカヒロが言った。ユキはただ、(うなず)いた。  アンナは無言のままタバコを灰皿に落とし、店を出ていった。  外階段に響く足音が聞こえなくなるまで、二人とも無言だった。 「思い出したよ」  タカヒロが、不意に言った。ユキはタカヒロの方を見た。 「プロだった時、岡部ユウイチと同期だったって言ったろ?」 「え、うん……」 「飲みの席で、岡部に訊いたことがあるんだ……。プロ以外で、これは強いと思う打ち手に会ったことがあるかって」 「まさか、あの子が?」 「金髪ショートの女の子で、裏でもその名を知られる打ち手がいる。自分より上だろう、って。名前は……黒崎アンナ」 「岡部ユウイチが、そう言ったの?」 「ああ。確かに言った。その時は、そんな女がいるもんか、って思ったけどさ」 「……わたしたちじゃ、かなわないわけね」  タカヒロが苦笑して頷き、サイドテーブルを片付けだした。ユキも、無言で手伝った。  あとは洗牌(せんぱい)だけとなり、ユキは帰ることにした。 「今夜は、ひとりで過ごしたい」  ユキが言うと、タカヒロは頷いた。少し寂しそうな顔をしたタカヒロにキスをして、ユキは『スパイク』を出た。  タカヒロとの『通し』は、いつか露見すると思っていた。仕方がない、と自分に言い聞かせてきたが、できればやりたくなかった。相手がアンナで、よかったと思う。心が少し軽くなっているのを、ユキは感じた。  アーケードを出ると、ユキは夜空を見あげた。  星は、ひとつも見えなかった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加