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夕方、在宅の仕事を終えたユキが『スパイク』へ行くと、ちょうど卓が割れたところだった。派遣で倉庫内作業をしている山藤が帰り、村田がひとりで待っている。
「もう少ししたら、誰か来ると思うから」
タカヒロは村田に冷茶を出し、待つように言った。だいぶ前に定年を迎え暇を持て余している村田は、そうかい、と言って冷茶のグラスを手に取った。
コーヒーを飲みながら待っていると、入口のドアが開いた。見知らぬ女。新規の客だ。
タカヒロからルール説明を受ける新規の女を、ユキは観察した。歳は20代前半くらいか。金髪ショートの髪に、意志の強そうな眉と瞳。胸はかなり大きい。
お客様カードに記入された名前を見た。黒崎アンナ。それが、彼女の名前だ。
ルール説明が終わり、ゲーム開始となった。
「こちら、ご新規の黒崎アンナさん」
「よろしくお願いします」
軽く頭を下げて、アンナが言った。ユキも挨拶を返した。
対面の村田が起家となった。上家がタカヒロで、下家がアンナという並びだ。
東一局は、タカヒロが村田から2000点の1枚をアガった。タカヒロは、アンナを警戒している。牌捌きや姿勢から、アンナがかなり打てるのはユキにもわかった。
東二局、ユキに手が入った。ドラは八筒。
7巡目に、テンパイした。
二五八筒待ちのタンピン赤ドラドラ。なにをツモっても跳満。二筒なら三色が付き、出ても跳満だ。村田狙いでリーチをしたかったが、ダマにした。リーチで二筒ツモなら倍満。一発や裏しだいでは、三倍満もあり得る。タカヒロに、親被りさせたくなかった。テンパイのサインは、出しておいた。
次巡、タカヒロから五筒が出たが見逃した。ツモは三索だった。好都合だと思いながら、手牌の三索と入れ替え空切りした。
直後に、アンナから二筒が出た。
「ロン。12000の1枚」
「ふ~ん。面白いことするなあ」
アンナは見逃しに気づいたのか。高目かツモを狙った、と言えなくはない。だが、言い訳はさらなる憶測を招く恐れがある。
ユキは黙って、アンナの出した点棒とチップを受け取った。
その半荘は、ユキがトップ、タカヒロが2着、アンナはラスで終わった。
次の半荘からは、アンナの独壇場だった。
ほとんどひとりで、アンナがアガり続けた。さらに、アンナは村田からは見逃し、ユキとタカヒロからの出アガリか、ツモアガリを続けている。
通しを使うのは控え、それぞれが、全力でひとつでも上の着順を目指した。それでも、 ユキとタカヒロは3着かラスを取り続けた。
アンナが5連勝したところで、村田が席を立った。
「この姉さんにはかなわん。今日は帰るよ」
アンナの着順操作によるものか、5連続2着の村田はそれほど負けてはいないが、思うところがあるのだろう。よたよたと歩いて、店を出ていった。
ユキとタカヒロは、ともに2万円以上負けている。二人合わせれば、5万円近くの負けだろう。
「すみません。今日はもう誰も来そうにないので、卓割れということで……」
タカヒロが、アンナに断りを入れた。
ユキは時計を見た。22時を少し過ぎたところだ。この時間になって誰も来ないのでは、確かに今日はもう無理だろう。客が来たとしても、精神的に参っていて、まともに打てそうもない。それほど、アンナに打ちのめされた。
アンナが席を立って、タバコに火をつけた。
「こんなご時世だ。個人経営の雀荘が苦しいのはわかるが、『通し』は感心しないな」
「……気づいてましたか」
拳を握りしめ、タカヒロが言った。
「1戦目、そこのお姉さんがサインを送った時からな。確認のため、二筒を切ってみたんだ」
サインを送った時点で、見抜かれていた。ユキはうつむき、唇を嚙んだ。
煙を吐き、アンナは言葉を続けた。
「雀荘は、客を守り、育てるもんだ。こういう状況でも来てくれる少ない客から搾り取るようじゃ、先はないぜ」
「はい。心に、刻みます」
拳を握りしめたまま、タカヒロが言った。ユキはただ、頷いた。
アンナは無言のままタバコを灰皿に落とし、店を出ていった。
外階段に響く足音が聞こえなくなるまで、二人とも無言だった。
「思い出したよ」
タカヒロが、不意に言った。ユキはタカヒロの方を見た。
「プロだった時、岡部ユウイチと同期だったって言ったろ?」
「え、うん……」
「飲みの席で、岡部に訊いたことがあるんだ……。プロ以外で、これは強いと思う打ち手に会ったことがあるかって」
「まさか、あの子が?」
「金髪ショートの女の子で、裏でもその名を知られる打ち手がいる。自分より上だろう、って。名前は……黒崎アンナ」
「岡部ユウイチが、そう言ったの?」
「ああ。確かに言った。その時は、そんな女がいるもんか、って思ったけどさ」
「……わたしたちじゃ、かなわないわけね」
タカヒロが苦笑して頷き、サイドテーブルを片付けだした。ユキも、無言で手伝った。
あとは洗牌だけとなり、ユキは帰ることにした。
「今夜は、ひとりで過ごしたい」
ユキが言うと、タカヒロは頷いた。少し寂しそうな顔をしたタカヒロにキスをして、ユキは『スパイク』を出た。
タカヒロとの『通し』は、いつか露見すると思っていた。仕方がない、と自分に言い聞かせてきたが、できればやりたくなかった。相手がアンナで、よかったと思う。心が少し軽くなっているのを、ユキは感じた。
アーケードを出ると、ユキは夜空を見あげた。
星は、ひとつも見えなかった。
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