Ⅱ ガーネットとリーゼント

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Ⅱ ガーネットとリーゼント

 ガーネットがこちらへ来るというのは、窓の外の景色を見ていれば自然とわかることだった。なにせ、赤い髪と紅色の傘を持った少女が、雨のせいで白い靄でもかかったような中に歩いてくれば映える。  彼女が玄関の前に立ったと思われるタイミングで扉を開ける。今まさにベルに手を伸ばしていた彼女は驚きつつ、困ったような笑みを浮かべた。 「ねえイリヤ、予告もなく訪ねてしまって申し訳ないけれど、上がらせてくれる? こんな服で歩いてきたものだから、びしょびしょだわ」  そう言って彼女は、コートからはみ出すふわふわした白いワンピースの裾を摘まんでみせる。それは確かに濡れるだろう、と納得しながら、イリヤは彼女を招き入れた。  ありがとう、と言ってガーネットは傘を畳み、玄関扉を潜る。扉を閉めようとしたイリヤはそのとき、彼女の指先が小刻みに震えているのに気づいた。  今日はそんなに寒い日だろうか、と空を仰ぎ見る。曇ってはいるが、いくら雨に打たれたとはいえ、寒さに震えることはないだろう。  やっぱり、とイリヤは思い、そしてガーネットを見た。  今精一杯の平静を保とうとしている彼女の心の裏は、どうなっているのだろう? 結婚事とは無縁なイリヤにはおよそ理解しかねる感情が、そこには眠っているのだろう。そいつを飼うことに疲れたから、彼女はここに来た。 「寒い?」  とイリヤが聞くと、ガーネットは数秒考えてから答える。 「ええ、そうね。少し寒い。我慢できないというほどではないのだけど」 「居間でストーブがついてるから、先に行って温まってなよ」 「そうするわ」  ガーネットが居間に入っていくのを見送った後、イリヤは台所でお茶を沸かす。  昔からローズティーが好きだった、とイリヤは思い出した。一日に一度は必ず、ガーネットはローズティーを口にする。いかなるときでも、その日課を彼女が欠かしたのを、イリヤは見たことがない。  けれどきっと、今はそれすら絶っているのだろう、と推測する。ガーネットはその場の空気に染まりやすい。きっとルーベンスの緊張した距離感に引っ張られて、余計な気力や体力を浪費しているはずだ。  淹れたてのお茶を、ガーネットが来る度に使うカップに注ぎ入れて運んでいく。  こういう普通でないときこそ、自分はいつも通りに振る舞おう、とイリヤは考えている。ガーネットは突如舞い込んできた婚約話に目を白黒させて疲れているだろう。だからこそ、私は変わらないのだと教えてやらねばならない、と。  うん、間違いない、ともう一度頭の中で反芻する。これが、「イリヤ」が下すべき決断で正しいはずだ。  居間に行くと、ガーネットはストーブの側で小さくなって座り、腕を擦っていた。所帯無げなその姿を痛ましく思いながら、イリヤは声をかける。 「お茶持ってきたけど、いる?」 「ありがとう、いただくわ」  そう言って立ち上がり、側にあった椅子に腰かける。イリヤかは受け取った茶器を口に運び、そして。 「なによ、これ」  大袈裟に顔をしかめた。それにイリヤは、しまったと手で己の頬を叩く。 「こんなに熱くちゃ飲めないじゃない。飲み手の気持ちを考えなさいよ」 「ごめん。寒いって言ってたから、熱めに作ったんだけど」 「限度ってものがあるでしょう」  すぐには飲めないわ、と言って、カップを目の前の小さなテーブルに置く。イリヤは部屋の隅から椅子を引っ張ってきて、ガーネットの正面に腰を下ろした。  ガーネットは、椅子の背にかかっていた膝掛けを体に巻いて、やっと落ち着いたようだった。ため息をひとつ吐き、ゆっくりと舐めるように話し出す。 「私、どうすればいいのかしら」  ガーネットとルーベンスの婚約が決まったのは、四日前のことだった。本当に突然、本人たちにすら知らせないまま、ガーネットの母が一人で決めた。  最初は勝手な行動をとった母に憤慨し、白紙に戻そうとしたガーネットだったが、そのうち仕方なく受け入れた。しかしそれが決して彼女の本意でないことを、イリヤはよく知っている。  婚約が決まってから二日間、ガーネットはイリヤが一人で住む家にやって来ては、文句ばかり言っていたそれでも自分に突きつけられた現実がわからないほど、彼女も子供ではない。荷物をまとめ、今から二日前、ルーベンスの家に引っ越した。  ただ、彼女にとってその場所は、残念ながら居心地の悪い空間だったようだ。
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