大坂からの依頼ですねん

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大坂からの依頼ですねん

「暇だねー、しかし。幸太郎くん、こんなに暇なんだから君も本業の方に戻ったっていいんだよ?」  東京に戻ってから二日経っていた。その間、これといった依頼もなく、だらだらと過ごしている。 「いやいや、たまに戻ってちゃんと仕事してますよ?ご心配なく。それに探偵の助手だけが自分の役割じゃないですから」  そう言って幸太郎は温かいコーヒーを二杯入れ、一つを孔明の前に置いてからソファーに深く腰を沈め、一息すすって至福のため息を吐いた。どうも私の世話に没頭しているようには見えないんだけどな、と思いながら孔明も一口すする。  一族経営はしないと公言している松下グループだがそれでも忖度はなくならないのか、こんな幸太郎にも二、三の会社が任されている。孔明の付き人は一族としての正当な仕事とは言え、たまに心配になるが、よほど優秀な人材が揃っているのか業績が落ちたという話しは聞いたことがない。 「しかしまだ慣れないよね、ここ」  孔明は事務所の中をぐるりと見回して言う。 「え?あぁ、この新しい事務所ですか?いいじゃないですか。前のとこより広くて」 「そうかなー。私は前の方が好きだったなあ」  数ヶ月前、孔明はある事件に巻き込まれたあげく銃で撃たれて死んだ。個人や少数グループ以外、組織化した集団に命を狙われたのは久しぶりのことで、向こうはもう殺したと思い込んでるだろうから大丈夫だろうと思われるが、不良グループに詳しい孔明の高校教師時代の元教え子、花村くんによるとかなりやっかいな組織らしいので、念のため事務所を引っ越すことにした。新しい事務所は建物自体も新しくて前のところよりもずいぶんと広い。「探偵物語」や「私立探偵濱マイク」などドラマの影響で探偵を始めた孔明としては、それが逆に気に入らないところであった。 「でも最終的にここで決めたのは先生でしょう?今回は結構こだわって決めたように見えたけど……。あれも何だったんですか?ウチの関連会社に龍の置物置いてくの」 「あぁ、あれね。今回はそっち方面にこだわったから建物自体にこだわれなかったってゆーか」  そう言ってもう一度カップのコーヒーをすする。ブラックのコーヒーは孔明がここ数百年の間で一番気に入った飲み物である。 「まぁ詳しいことは省くけどさ、幸太郎くんもさすがに陰陽師の基本、木火土金水の五行は聞いたことあるでしょ?木は火を生んで火は土を生んで土は金を生んで金は水を生んで水は木を生む、的なやつ」 「あぁ、ま、なんとなく」 「陰陽道ではこれに色んなもの、事柄を当てはめるのね。例えば方角であったり干支であったり体の部位であったり色であったり」 「はあ」 「で、ここはね、ちょっと距離的にばらつきはあるけれども東西南北全てに松下傘下の会社があってね。五行の色別において東は蒼、蒼龍、南は朱、朱龍、西は白、白龍、北は黒、黒龍、そして中央のここは黄色で黄龍、それぞれ五龍に全方位を守ってもらって、とどめは鬼門と裏鬼門にそれぞれ神社があったから、お願いして私の符を置かせてもらったの。まさに鉄壁」 「はぁ」 「最近さ、死にすぎだなとは思ってたわけ。戦が頻繁にあった頃ならともかくさ、凶器の携帯も禁止されてる現代日本において、いくら何でも死にすぎじゃない?って。それで考えてみたら、ここんとこ自分の拠点はずいぶん適当に選んでたなぁと思って」 「死にすぎがどうしたの?」 「わぁ!……何だ、さつきちゃんか。驚かせないでよ」 「玄関で声かけたよ?はい、京都土産、生八つ橋」 「わ、嬉しいな。大好物だよ、私これ。これならさすがにコーヒーよりお茶の方が合うね。幸太郎くん、温かいお茶入れてくれるかい?」 「はい。さつきさんもいりますか?」 「うん。お願い幸太郎」  そう言ってさつきはソファーに腰を下ろす。  もちろんさつきの方が十ほど年下だ。しかも今は依頼者でもなければ従業員でもない、ただここに来てトラブルに巻き込まれれば自身の格闘技の腕が上がると思い込んでいる格闘技マニアである彼女の方が態度が大きい。年上でもあり探偵事務所の、より正式に近い助手である幸太郎は嫌な顔一つせず、むしろ実戦ともなればピタリと息が合うのだから意外と良いコンビなのかもしれない。 「どうぞ」  幸太郎はそれぞれの前にお茶を置いて自身もソファーに座った。テーブルをコの字に囲んで三人掛けのソファーが二つに二人掛けソファーが一つと、以前の事務所より座席がグレードアップしているので三人ともがゆったり座れる。孔明がいつも座るのは二人掛けの席だが、テレビが正面にあるから気に入っている。孔明は早速八つ橋を一つ、口の中に放り込んだ。海外在住の経験もある孔明だが千年のほとんどを日本で過ごしている身として、やはりあんこの甘みというのは特別である。恍惚の表情で噛みしめていると、自分を凝視するさつきの視線に気付いた。 「な、なに?私の顔にあんこでも付いてる?」 「いやー、羨ましいなあと思って」 「何が?」 「何にも食べなくても餓死とかしないんでしょ?ダイエットし放題じゃん」 「いや、でも普通にお腹は減るからね?」 「そもそも太ることあんの?何か必要ないから何食べても体に吸収しなさそう。いくら甘いもの食べても健康被害とかはないんでしょ?」 「太るよ!不思議と。そして病気にもなる。不思議と。辛いのよ、事故とかで死ぬより、肉体的には。ほら、長いでしょ?私の場合いつの間にか治ってたり、一回死んでから回復したりすんだけど、その間ずっと苦しいからね。君が思ってるよりずっと健康に気づかってるよ?わたし」 「ふーん、そうなんだ」  そう言ってさつきは八つ橋に目をやり、手を付けようとはしない。 「何?やっぱダイエットとか気になんの?」  一般的な女子と同じ感覚があることが意外だった。 「そりゃなるよ。身長がもっとあればさ、脂肪を付けて体格を生かした戦い方をするのもありだけど、背が低いから余分な肉をそぎ落としてスピードで勝負するしかないじゃん」  あ、そういうことね。 「八つ橋か……」  甘い匂いに誘われたか、或いはさつきの声に誘われたか、長光が奥の部屋から事務所兼リビングに入ってきた。 「お供えしとかなくていいのか?」  長光に言われ、孔明はそうだったそうだったと呟きながら八つ橋を一つ小皿にのせ、奥の部屋へと入っていく。なんとなくさつきも付いていった。奥の部屋は孔明の寝室兼陰陽の祭事などを行う部屋であるが、松下家の力を借りて大きくリフォームした。部屋のど真ん中に螺旋階段を設置したのである。階段の先にあるのは畳一畳ほどのスペースだけ。強度のため四方に梁をめぐらせてロフトっぽく見えなくもないが、あるのは素っ気のない真っ白な床、その中央に十二体の人形が置いてある。言わずもがな十二神将をイメージした人形であるが、四神の龍、虎、鳥、亀、のように動物に当てはまる神はまだいいが、それ以外はアニメキャラのフィギアでイメージに近いものを無理矢理当てはめた。  孔明は階段を上り、八つ橋の乗った小皿を人形たちの前に置く。 「そういうのって意味あんの?」  ドア付近で壁に寄りかかり、様子を見ていたさつきが聞く。 「お供えのこと?あるよ、もちろん」 「でも食べれないじゃん」 「まぁ物理的にはね。でも味は感じるらしいし、食べた気にはなるらしいよ?だからご先祖とかにもちゃんとお供えはした方がいいよ」 「ほんとに?誰が言ってたの?」  そういえば何故私はそんなことを知っているのだろう。孔明は空中を見つめた。  いくら神と一体化しているとはいえ、人間の体を持つ孔明に千年分の記憶をキープする能力はない。脳のシステム的に考えればおそらく奥の方の引き出しに仕舞ってはあるのだろうが何百年も開けていなければ鍵も錆び付いているだろう。そこそこ大きな出来事でも覚えていないことが多々ある。 「そういえばご先祖で思い出したけどさつきちゃん」  リビングに戻り、孔明はそう切り出した。 「あれ、どうだったの?君のご先祖の話」 「ああ……、あれ?」  さつきは今現在、母親と二人で暮らしているが、母親が離婚するまでは蘆屋という姓だった。つまり京都に住む父方の家系が蘆屋。陰陽の力を増幅させる不思議な力を見ても、安倍晴明最大のライバルとして数々の物語に登場する陰陽師、芦屋道満と無関係とは思えず、お父上に尋ねてほしいと頼んでいたのだ。 「っつーか、そんなの物語の登場人物でしょ?実在したの?」 「それがさ、幸太郎くんにウィプペ……、ウィビベ……、ウィ……、ウィ……。……あれで調べてもらったら実在したことはしたらしいのよ。まぁもちろん詳しいことは分からないし晴明と実際関わっていたのかも分かんないんだけどさ」 「だからって聞けないよ?ウチのご先祖は蘆屋道満ですかって?家系図見せてもらったところでそんな昔まで辿れるはずもないしさ。どうしたどうした娘よって心配されちゃうよ」 「いや、ご先祖どころか下手すりゃ道満さんも不老不死になって生きてたりするんじゃないの?」 「それはないんじゃないか?不老不死なら生殖機能がなくなるはずで子孫はできないだろう」  長光が横から口を挟む。天正法位伝一族も長年孔明の傍で歌舞伎や浄瑠璃、或いは書物などで蘆屋道満の名は知っている。 「分からないじゃない。私の場合がそうなだけであって、決して不老不死あるあるではないのかもしれないよ?」 「え?孔明ちゃんはそうなの?」  孔明の代わりに幸太郎が黙って頷く。 「ふーん」  そこで玄関のチャイムが鳴った。これも前の事務所とは違い、コンビニのドアで流れるような爽やかなメロディーだ。  幸太郎が返事をして玄関へ行く。  普通の住居用マンションと同じ作りなのでキッチン付きのリビングからドアを隔てて廊下沿いにトイレと風呂場、その突き当たりに玄関がある。 「あれ!?」  玄関から幸太郎の声が漏れ聞こえた。 「あ、どうぞどうぞ」  幸太郎の、巨体による大きな足音のあとに小さな足音が続き、リビングのドアが開いた。 「あれー?あなたは……」  誰だっけ?入ってきた人物を見て数秒間を空けた後、すぐに思い出した。大阪で夜サンたちに絡まれていたサラリーマン風の男ではないか。 「あれ?先生もこちらの方ご存じなんですか?」 「知ってるも何も、私が大阪で拉致られる原因になった人だよ」 「そうなんですか?先生が車に乗せられたのを教えてくれたのはこの人ですよ?」  へへ、その節はどうも、と男は照れくさそうに笑う。  細身で孔明より少し背が低いが、手の甲が三分の一ほど隠れてしまうような大きいスースを着ているため、実際より小柄に見える。黒髪、黒縁眼鏡、少し突き出た歯で陰気なイメージを感じてしまうのは孔明も現代の、偏見に近い人物評に悪影響を受けている証拠か。 「どうしてここが?」 「あー、そちらの方から名刺を貰いまして」  孔明の問いに、男は幸太郎の方へ視線をやった。 「確かに。話を聞いた人にはここの名刺を渡しています。その方が皆さん、興味を持っていただけるので」 「まぁとりあえずお掛けになってください。ってかひどくないですか?秒で逃げるって。あのあと私、大変だったんだから」  「とりあえず」と発した時点で腰掛けた姿を見て怒りが再燃した。どうやらいくら長く生きても人間の器は大きくならないようだ。 「なんかひどいことされましたか」 「ひどいも何も、生き埋めですよ。殺されましたよ!」 「うわ、そらひどい。まぁ死なんで良かった」  他人事のように言い放ち、テーブルの生八つ橋に手を付ける仕草を見て、さらに苛つかされる。 「その……、そんときあいつら何か言うてませんでしたか?……その、……モモコちゃんのこととか」 「モモコちゃん?」  淀みなく喋っていた男は急に照れくさそうに下を向き、口の中で言葉を転がすような、聞き取りづらい声を出した。 「すんません、喉が渇いてしもて。お茶か何か貰えますか?」  幸太郎から茶を受け取り、一口飲んで、ふう、と一息ため息をつく。 「ふーん、つまりあんたは女絡みでそいつらに絡まれたんだ?」 「ええ、まぁそういう……、え?」  突然横から高校生らしき少女に、しかもかなり高圧的な態度で口を挟まれたことに驚いて男は顔を上げた。 「あんたって……、あ、わたし一条いいます。一条守夫、どうぞよろしゅう」  そう言って一条は孔明と幸太郎に名刺を渡す。名刺にはキャピタルホーム、営業課、と書いてある。不動産の会社らしい。 「一応全国にある会社なんで。今は出張でこちらに来とります。まぁごくごく普通の会社員ですわ。仕事が終わったらあの辺の安い居酒屋で一杯やるんだけが楽しみの。あ、あの辺ね、安くておいしい店がぎょうさんあるんです。また行くことあったらわたし店教えるんで是非行ってください」  今回あんたのせいで行けなかったんだけどね、と喉まで出かかった。 「で、あの日もいつものように安い居酒屋で飲んだあと、給料日やったこともあって二件目に行ったんです。いわゆるキャバクラ、的なところへ。そこでわたしに付いてくれたんが、モモちゃんです。美人というよりは可愛い感じで、少し垂れた目とふっくらした頬がわたしの好みにどんぴしゃで。で、他の子みたいにあまりはしゃがないんですよね。不慣れなのかボディータッチもしないし、ぐいぐい飲み物を勧めることもしない。自分の飲み物もねだってこないもんだから気を遣ってこっちから聞いたくらいで。でもそういうところがまた……」 「で、守夫はその女にまんまと騙されちゃったわけだ」  さつきが我慢しきれずに口を挟んだ。ここ最近の思春期の女子というのは男が、とりわけ中年以上の男が女性に性的な意識を持つことに異常なまでの嫌悪感を示すことがよくある。これ、仮にもお客さんですよ、とたしなめても矛を収める様子はなく、冷たい視線を一条に向けた。 「パンダをね」 「パンダ?」  突然出てきた動物の名前に皆が首を傾げる。 「あ、モモコちゃんの方からわたしを誘ってくれたんですよ。店が終わったらどっか行かないかってね。それで安いラブホテルに案内されたんです」 「いきなり!?あんたそれ、おかしいと思わなかったの!?」 「恥ずかしながらそっち方面は不慣れなもんで。それに最初から掴み所のない不思議な感じの子やったんでそういうこともあるのかな、と」 「で、パンダっていうのは?」  さつきに話しの主導権を取られてなるものかと、孔明が話しの間に入る。 「ホテルに入ってしばらくはテレビを見てたんです。どうやってそういう流れに持ってっていいのかも分らへんし、ぽつりぽつりと話しながら。そしたら動物番組でパンダが出てきまして。彼女、そのパンダ見て「パンダの目の模様って泣いてるように見えるよね」って。それ聞いた瞬間、なんちゅうーこう、胸がキューン、となって。ところがそこで奴らの登場ですよ。バーン!て。バババ、バーン!て。誰の女に手を出しとんじゃい、と。ものごっつ怖い人の女やぞ、と。まぁ当然金をよこせ、と。ない、と。じゃあ知り合いのサラ金から借りろ、と。嫌だ、と。殺すぞ、と。分かりました、と。で、その道すがらやっぱり嫌だと揉めてるところに……」 「私が通りかかった、と」 「はい。でもどうしてもモモコちゃんのことが忘れられなくて」 「え?ちょっと待ってちょっと待って。守夫、あんたの依頼ってさ、自分を騙した女に復讐したいとか、そいつの仲間ごと捕まえたいとかそういうことじゃないの?まぁあんたを脅してた連中にはもう天罰が下ってんだけどさ」 「え?それはどういう……」 「どっちにしろさすがに大阪まで調査は行けませんよ?私たちだって暇じゃないんですから」  暇だが。孔明は先ほどの苛立ちをここでぶつける。 「いや、それがね、その子、東京の子なんですよ」  よくぞそこを突いてくれたと言わんばかりに一条の目がキラリと光った。 「標準語やったんでね、東京の人?って聞いたら、そうだって言うんです。もう東京に戻るんだ、とも言ってました」 「嘘に決まってんじゃない」 「そうだね。それにもし本当だとしてもさすがにそれだけで人探しはできませんよ?」 「いやいや、もちろん他にも手がかりはあります。歌手になりたい言うてました。何の歌かは分かりませんけど口ずさんでまして。なんとも引き込まれる良い声なんで素直に「うまいね」って言うたら「歌手になりたいんだ」ってそんとき初めて笑って……。あれは絶対嘘じゃなかったと思うんです。あれだけの歌声です。きっともう小さくてもステージに立って、界隈じゃ結構噂になってるんじゃないかと」 「だからってそれだけじゃなー。写真なんかも、もちろんないんでしょ?」 「頼んます!見つからんかっても文句は言いません。探すだけ探してみてください!」 「やってやれよ」  そう言ったのは長光だ。尾は一つになっている。言葉として聞こえるのはさつきと孔明だけだ。 「涙ぐましい人間の恋路じゃないか」  嘘だね。そのモモコという女性に興味があるだけだもんね。さつきちゃん、ここに他のどんな男よりも女性に異性としての視線を向ける化け猫がいるよ! 「あいたーーー!!」  いつの間にか長光が孔明の足下に来て、孔明のすねに爪を立てた。聞かれていたか。 「先生、これはまたあの人の出番じゃないですか?」  ずっと黙ってパソコンのキーを叩いていた幸太郎が口を開いた。やらない方向に話を進めようと思っていたのに。 「あの人?」 「手島さんですよ。手島おさむさん」  手島おさむは孔明が漫画家のアシスタントをしていたときの兄弟子で、漫画の才能はないが似顔絵の才能はある未だにデビューのできない小さなおじさんである。以前にも手掛かりのために描いてもらったことがあり、その腕の確かさを再確認したところだった。 「一条さん、まだ時間は大丈夫ですか?今からプロを呼んで似顔絵を描いてもらおうと思うんですが、その、モモコちゃん?その人の顔は思い出せますか?」 「もちろん!」  一条は即答して早くもうっとりした表情で目を閉じる。  幸太郎に、手島と連絡を取ってもらう。秒で電話に出た。一時間以内に来れるという。頼もしさと同時にもの悲しさがこみ上げるのを抑えられない。 「あんたさ、美人局やってるような人間にまじで惚れてどうすんの?バカなの?」  少し目を離した隙にさつきが再び一条を詰めていた。 「いや、あの子は本当はそんな子じゃないんです。多分何かの事情で無理矢理やらされてたんです」 「はぁー、おめでたいねー。仮にそうだとしてもあんたのやってること半分ストーカーだよ?その女追いかけるために無理矢理出張してきたんでしょう?」 「いや、まさか!それは偶然です。出張は元々決まってて。それもまた運命を感じさせるというか……。それに見つかったとして、会ってどうこうという訳やないんです。ただ何でそんなことをせなあかんようになったのか。それを知って、できればその道から抜け出す手伝いをしたい、そう思ってるんです」  それからしばらくして玄関のチャイムが鳴り、幸太郎に案内されて手島が入ってきた。電話をしてから四十分しかたっていなかった。 「いやー、孔明くん、立派な事務所じゃない。探偵って儲かるの?」  目を丸くして部屋の中をキョロキョロ見回す。手島は孔明が松下グループと繋がりがあることを知らない。隠しているわけではないが、手島がそのことを知れば気絶しかねない。 「先輩、わざわざすみません」 「いいのいいの。ちょうど賞に応募する作品も書き終えたところでさ、一段落付いてたから」  じゃあ、ということで手島を一条の正面に座らせ、その背後を孔明と幸太郎とさつきで取り囲み、似顔絵ができていく様を見守る。一条はうっとりした表情のまま特徴を述べていく。  少し垂れた目、ふっくらした頬と厚ぼったい唇、ストレートの黒く長い髪、若干ハの字に下がった眉。まるでほんの数秒前まで見ていたかのごとく詳細に伝え、似顔絵はみるみる出来上がっていく。 「何かこの子こそが泣いてるパンダみたいじゃない?」  出来上がりを見たさつきがぼそっと言う。 「確かに」  目も眉も下がっているのでそう感じるのかもしれない。一般的な感覚で言う、華のある美人ではないが、どこか引き込まれる魅力があるのも分かる。 一条は褒められてると受け取ったのか、でしょう?と嬉しそうな顔をした。 「いや、しかし見事なもんですな。ホンマにそっくりです。ホンマにデビューもしてはらへんのですか?」 「似顔絵と漫画はまた違いますからねえ。ストーリーとかキャラクターとか構図とか色んな要素があるし。でもね、僕はやっぱり絵の仕事からは離れられない運命なんだなあと最近思いましたよ」 「何かあったんですか?」  孔明が聞いた。  孔明は手島を尊敬している。嘘偽りない気持ちである。  人より遙かに長い時間生きている孔明は気持ちを継続させる難しさを誰よりもよく知っている。周りから馬鹿にされ、ときに自分を疑い、何度も心が折れそうになりながらも踏ん張って何十年も努力を続ける。自分にはできないことだと孔明は思う。 「最近さ、漫画の資料で色々昔のこと調べることが多くてさ、ついでって訳でもないけどうちの家系のことも調べたの。そしたらさ、少なくとも分かる範囲においては各世代に一人は必ず絵に携わる職に就いてたんだよね。売れっ子ではないけれども浮世絵師であったり、奉行所勤めで人相書きを描いてたり、母親が美術の教師をしていたのは知ってるけど、その父親、つまり僕のお爺ちゃんも若い頃は紙芝居で食ってたらしい。実は絵師のサラブレッドだったんだよ、僕は」 「へぇ、そりゃすごい!」  背後三人の声が重なった。 「そりゃ手島はん、運命でっせ。手島さんが絵の道に進むのはきっと運命やったんです」  一条が深く頷きながら言った。 「そやからわたしもモモコちゃんのことは運命やと思ってるんです。そりゃそういう下心が無いといえば嘘になるけど、彼女は歌手になるべき運命の人間で、わたしはそれを傍で支える、応援する運命の人間やと感じたんです。それは何年かかっても、お互いが年をとっても」  一条と手島が帰ったあと、一瞬の静寂があったが、最初に口を開いたのは長光だった。 「どうした孔明、羨ましいのか?」  尾は二本になっている。幸太郎とさつきの視線が孔明に向いた。 「羨ましい?どうして?私の心にそんなことが浮かんでたのかい?」 「別に心は読んじゃいないさ。ただ、最後のあいつの話のとき、表情が曇ったからな」 「孔明ちゃんが?守夫のことを?何で?恋してるから?」 「何年たっても、お互い年をとっても、ってところさ。こいつにはできないことだからな。そりゃあ何年でも傍にいてやることはできるだろう。だがそれは本当の意味で寄り添ってはいないのさ。生き物には時間に限りがあるだろう?やがて確実に来る最後のときに怯え、苦しみ、開き直り、だからこそその中で掴んだものに喜びがあるし執着もする。思い出にしたってそうさ。そりゃ時間はたっているわけだから思い出話くらいできる。でも普通の人間の思い出っていうのは今の自分にはもう無い、二度と取り戻せない時間だろう?だからこそそれを思い出すとき切なさがあり、その一瞬を慈しむ気持ちも同時に生まれる。同じ時間を過ごしても死ぬ人間と死なない人間では感じ方が全然違うのさ」 「考えすぎだよ長光どん。いつから人間の気持ちにそんな詳しくなっちゃったのさ」  ふん、と長光は鼻で笑ってさつきの隣に座る。 「まぁよく分かんないけどさ、守夫なんかの言うことまともに聞いちゃ駄目だよ。応援したい、なんてさ、下心ありきの後付けに決まってんだから」  そう言ってさつきは長光の白い背中を撫でた。 「でもどうなんですかね?陰陽師的に、或いは神の使い的に運命ってのは本当にあるんですか?」 「あるよ」  意外だったのか幸太郎が「え?」と目を丸くする。 「ねえ長光殿?」 「あぁ。ただ人間どものイメージする運命と少し違う気はするがな」 「どういうことですか?」 「言ったって分かりゃしねえよ」  幸太郎は困った顔で孔明を見るが、孔明の答えも素っ気ないものだった。 「だね。君が今の生活の中で運命を感じていないのだとしたら、ちょっと言葉で理解するのは難しいかもね」 「そうですか……」  口をへの字に曲げて今度はさつきに視線を送るが、なんだかさつきは理解しているような表情で、幸太郎はますますへの字の口を鋭角に曲げて、そこから三十分ほど拗ねた。
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