階段下のてるてる坊主

10/10
前へ
/10ページ
次へ
 やれやれ、というふうに私は大きなため息をついてみせる。 「逆さてるてる坊主なんてちょっとした冗談じゃん。体育祭なんてくだらないこと、ダルくてやってらんないよ」  こちらに向けられている沢山の黒い瞳は、みな一様に「訳がわからない」と語っていて、反論をしてくる生徒は一人もいなかった。  多分、半透明の膜の向こう側にいる彼らには、そんなことを言う人間がいるなんて文字通り理解できないのだろう。  私は自分の鞄を手にすると、シンと静まり返る教室を後にした。  校舎から出てみると、薄い水色とも白ともつかない微妙な色の空が頭上を覆っていた。ジットリと垂れ込めるその色は、私の心の中まで侵入してきて、何もかも覆い尽くしてしまうような、そんな気がした。  私がガシガシと大股で歩いていると、後ろから追いかけて来る足音があった。 「山下さん!」  聞き慣れた足音が私の直ぐ後ろで止まる。  振り返ると、少し苦しそうな竹田君の白い顔が目の前にあった。  一重瞼の奥の黒い瞳が、ゆっくりとアスファルトの地面に向けられる。 「ごめん……。あれ、俺なんだ」 「知ってる」 「えっ?」 「毎日、階段の上から見てた」 「ええーっ。マジか……」  そう言って竹田君は頭を抱えてみせる。 「でも……。何で逆さてるてる坊主なんて作ったの?」  少し考えてから、竹田君はブラウンに染めた頭をポリポリと掻いた。 「俺さ……。実は中学まで陰キャだったんだ」 「えっ?」  竹田君の言葉に、思わず私はその白い顔を見つめた。  竹田君は明るくてパワフルで、いつだってクラスの中心にいた。それでいて細やかな心遣いができる彼は、まさに人の上に立つべき人だと思っていた。 「中学までずっとクラスにいるのかいないのかわかんないような存在だったんだ。でも、高校入学を機にキャラ変しようって決めて、髪も染めて、標準語の練習もして、流行ってることも一杯調べて……。受験勉強よりも頑張ったよ」  そう言ってへへっと笑ってみせる竹田君に、私も思わず笑いが漏れてしまう。 「そしたらさ、世界がガラッと変わって、毎日がすっげー楽しくなった」 「……でも、それがどうして?」  竹田君は本当に楽しそうだった。竹田君の笑顔には嘘がなくて、捻くれ者の私にも嫌味に見えなかったんだ。 「俺、元々学校ではあんま喋んなかったから、直ぐに話すネタがつきちゃって。毎日、明日喋ることを必死に準備して、学校ではハイテンションを常に維持して、ってやってたら疲れてきちゃって」 「そうなんだ……」 「じゃーもうバラしちゃえ、って思ったんだけど、でも毎日楽しいことは楽しくて、中学に逆戻りは嫌だなって思うし。嘘ついてたのがバレたら、みんなにそっぽ向かれるんじゃないか、って思うと怖いし。自分でもどうしたいのか良くわかんなくなっちゃったんだ」 「うーん。で、何で逆さてるてる坊主?」 「だから、賭けをしたんだ。体育祭が中止になったらバラす。開催になったらそのままの自分でいくって」 「ふーん」  でも、逆さてるてる坊主を吊るしたってことは、竹田君的にはバラしたいって思いの方が優勢ってことかな。 「鈴木が作ったてるてる坊主を吊るしてみたら、頭が中の重みで下がってきちゃって……。でも、それが今の自分にはちょうど良いなって。上向きでも下向きでもなく。どっちにも決められない自分みたい、って。自然の成り行きに任せてたんだけど、次の日に見てみたら、完全に頭が真下を向いてたんだよね」 「あー」  ……それは私だな。 「これはバラせとの神からのお告げなのかと。このまま黙ってたら、いつかバレて酷いことになるぞって言われてる気がして。これはもう体育祭を中止にして、みんなに話すしかないって」 「……ごめん。神は私なんだ」 「へ?」 「毎日、竹田君の吊るしたてるてる坊主を真下に向けてたのは私。だから私が逆さてるてる坊主を吊るしたのと同じことだよ」 「そうだったんだ」 「……ごめん」 「つまり……、共犯ってことだよね?」  竹田君は一重の瞼を細めて悪戯っぽい笑顔をみせる。 「まあ……そうかな」  私もつられて笑顔を向けた。 「でも……、こんな優柔不断なの情けないって思うだろ?」 「そんなことないよ」 「山下さんは周りに流されることなく、いつも自分の意見をしっかり持っててカッコイイな、って思うんだ」 「そんなことは……」  自分としては、上手く周りに溶け込んでいるつもりだったけれど、竹田君にはバレていたのか。さすが竹田君。 「さっきも、騒ぎ立てるみんなを一瞬で鎮めてくれて、本当にカッコイイなって」    そう言う竹田君の白い頬が、ほんのり赤く染まっているような気がして、私は慌てて白っぽい空に視線を向けた。  まあ、鎮めたっていうか、引かれたって感じだけど……。 「でも、無理はしてたのかもしれないけど、高校に入ってからの竹田君も嘘って訳じゃないよね」 「えっ?」 「事前に準備してきたこととはいえ、一生懸命話を振って楽しませてくれる、細かなことにまで気を遣ってくれる、そんな竹田君が好きなんだと思うよ」  そう言ってから私は慌てて「」と付け加えた。  頬が何だか熱を帯びているような気がするけれど、これは誰かを励ますなんて、柄にもないことをしたせいなんだと思う。きっと……。 「明日の雨の確率は50%だって。だから体育祭が潰れる可能性は充分にあるよ」 「そっかー。でも俺、山下さんに話したらスッキリしたから、もうどっちでも良くなった」 「何それー」  50%の可能性をはらんだ湿っぽい風が竹田君のブラウンの髪を優しく揺らしてゆく。  笑顔を向けながらも私は「やっぱり明日は晴れると良いな」と思ってしまった。  だって体育祭が行われれば、の竹田君を独り占めできるから。          〈完〉
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加