輪島の朝市

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輪島の朝市

翌朝七時、張さんは気温十三度という寒さにかかかわらず、Tシャツ姿でレンタカーに乗って僕らを迎えにきた。助手席にはすでに峰光が眠そうな顔して座ってる 。1535a71d-6a75-4dda-9f2e-516ea3d0a495 「奥能登にある時國家にいってみよう」 「時國家なんて良く知っとるなあ」  ツルベイが後部席で感心する。 「えっと、時國家ってなんなの」  峰光は稲刈りがとっくに終わって、空っぽの田んぼに向けていた視線を、ツルベイの広いオデコに移す。 「平家で、あらずんば人に非ずって、聞いたことない」 「ごめん、それ知らない」 「まあマレーシアで生まれ育ったんじゃあ、わからんやろなあ」  僕はちょっと残念におもった。日本史のウンチクを彼女に披露しても意味ないと分かったから。  平家であらずんば云々は、時國家の家祖である平時忠の言葉だ。平家の傲慢、奢りを表す言葉としてすっごく有名だ。元は貧乏貴族の時忠は姉である時子が武士の出世頭である清盛の二番目の妻となってから、清盛政権の幹部となる。しかし、平氏が没落すると当然ながら力を失って、この能登に流されてしまったのだ。  どうやって日本史の基礎知識がない峰光に説明すればいいんだろうと、悩んでしまう。 9caaf872-4ecd-44ac-919b-6e0a252581cf  僕がそうやって考え込んでいると 「十二世紀に日本は26年間くらい内戦の時期があった。源氏と平氏という二つの武士グループでの争いだね。そこで義経という戦の天才が現れて源氏が勝利した。負けた平氏の大物の一人、平時忠という人が、この能登半島にリュウファン<流放>された。それが今から行く時國家の祖先だよ」  張さんは僕の代わりにざっくりと当時の状況と時國家について説明してくれた。張さんみたいに分かりやすく峰光に説明出来なくて、悔やんでいると 「リュウファンって 何や」 と、ツルベイが質問した。 「日本語で言うと、遠くに追い払われるってこと、ええと、日本語ド忘れした」 「追放やろ」 僕が答える。 「良太誰かクラスで追放したい人でもおるがんね」 「ダラいうな」  ツルベイのバッドジョークに車内の気温が三度下降。 「それにしても、張さん、日本の歴史にも詳しいげんな」 「日本の大学で歴史学専攻してたからね」  張さんが運転する車はスムーズに能登半島の幹線道路である能登里山道路を北上していく。 「昨日話した脚本でAIへの反乱は日本でも起きるって展開を考えてるんだよ」 「へえ、日本も舞台なんや」  里山と呼ばれる田んぼに囲まれた集落が車窓の風景に現れては後ろに消えるのを見ている。 「日本では義経を反乱軍のリーダーにしようとおもってるんだよね」 「それで義経の義理の父親だった、平時忠の最後の地を訪ねるんですね」 「その通り 。良太君はほんと歴史好きだね」 「ええ、まあ」 「いい忘れた。時國家にいく前に輪島の朝市で食事しよう」  もちろん育ち盛りの僕たちは大賛成だ。 6d80501b-70a2-4236-908b-1d92804920d8  僕は輪島の朝市で熱々の地元の魚が入った荒汁をすすりながら授業で聞いた義経とクジラの伝説、そして一昨日発見した義経の変てこなサイトについてみんなに話した。 「それは奇怪で面白い。義経とクジラの謎のサイトか」 張さんが興味深げに呟く。 「歴史の授業でそんな細かいこと気付くなんてすごいね良太君。なにかミステリーの匂いがするよ」 峰光の声がいつもより一オクターブ高くなってる。 「峰光ってミステリー好きなの」 「そうなの。アガサクリスティとか殆ど読んだし、ダヴンチコードも結構好き」 「ただ素人が小説を発表してるだけやと思うけどなあ」  僕はちょっとずつみんなの期待が怖くなる。こういう小心なとこが、みんなに馬鹿にされる理由かもしれない。 「質問してみたらいいがいね」  ツルベイが冷静に僕に言った。 「え、誰に何をや」 「その管理者にサイトの目的はなんですかって」 「ああ、いいなそれ」  ツルベイのアドバイスはあまりにも真っ正直なやり方だが、やる価値はあると思った。 「ほんと、良太は歴史以外のことは気が回らんで困るわいね」 「アハハ、姉さん女房はいいぞ、良太君」 張さんが妙に馴れ馴れしく僕の肩に手を回す。 「キモいこといわんといてまん、張さん」 僕が強ばった顔で答えるのを峰光が見てクスクス笑った。ツルベイは容赦なく 「誰がこんなヘタレにうちの会社任すかいね」 と叫んだ。 「社長令嬢ご乱心」  僕がふざけると、ツルベイが肘を僕の脇につき当てた。滅茶苦茶痛くて、僕は十秒ほど体を海老みたいに丸める。
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