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第4話 優しさ
家族で話す時間も減り、どうにか空気を変えようとした。
(このままじゃうちの家は終わってしまう)
そう思ったから。
だから、僕はお母さんの誕生日の日にスノーボードを作った。
「お母さん、誕生日おめでとう。いつも、ありがとう」
って渡したら、
お母さんが僕に
「ごめんね」
って言って、そのまま誕生日の日に家を出ていった。
「あなただけが生き甲斐よ」
「もうダメ、私耐えられない」
そう言ってた。
あんなにお兄ちゃんの事が大事なのに、あんなに
「あんたの話なんて聞いていない」
といった口で、
「あなただけが生き甲斐なんだ」
ってどこの口が言ってるんだって思った。
僕は、虚しさと、憤りと、家を出ていく悲しさと、黙ってお母さんが家を出ていくのを、見ているしかできない無力感がとても情けな
いと思った。
僕は自分が悩んでいることを何も相談出来なかった。
すでに、中1の頃、自分の性別について悩んでいた。
悩んでいたんだけど、こんな家だからこそもだし、僕が発言をすることはいけないことだと思うし、僕のことで誰にも迷惑かけたくないという気持ちが強かった。
話は変わるけど、当時、僕は好きな人がいた。
その人は、僕の先輩であり演劇部の部長をしていた水野明莉さんだ。
優しくて、演技も上手い、たまにおっちょこちょいもあるけど、それが可愛くみえたりする。
当時の僕の生きる意味っていうのが、好きな先輩と話すこと、友達の夢を代わりに叶えることだけだった。
だから、声優になる為に色々しようと思った。
でも、僕の家は借金だらけでお金もないから専門学校とか通えないし、どうにかしようと思って色んな人に連絡をとったりした。
実際に声優業をしている人の家に行ってみたりとか、スタジオに行って、声優がどんな職業か実際に見たりしてどんなに大変な職業なのかって事を僕は知った。
声がいいだけじゃダメだし、演技が上手いだけじゃダメだし、人には必ず運とかってよくある。
声優の仕事だけで生きていける人なんて、本当に日本で数えられるほどしかいないんだって……。
でも、僕には諦めるっていう選択肢がどこにもなかった。
そんな時に、スノーボードを受け取って出ていったお母さんが帰ってきた。
僕は初めて声優になりたいんだって話をした。
そしたら、案の定
「お前には絶対無理だ」
「好きなことを夢に出来る人間なんて限られた人数しかいないんだ」
「いつまでも、夢を追いかけられるかも分からないんだから、無難な人生を生きなさい。諦めなさい」
と否定された。
悔しくて、でも諦めないといけなくて、声優の人に頭下げて謝って
レッスンを渋々、辞退した。
その時、その方からある言葉をもらった。
「僕が君に優しくしようと思ったように、誰かに君が優しくされたなら、その人に優しさを返すのは当たり前だけど、それだけじゃなくて、君がその人にされたように誰かに優しくしてあげなさい。僕はそれだけで十分だ」
って……。
僕は高校3年生になった今でも、それを、心に留めて、生きている。
「優しい人間でいよう。それだけは曲げずに生きていこう」
そんな思いを抱いたまま日々頑張っている。
真っ直ぐ生きたいと思う僕の気持ちとは裏腹に、僕の家はどんどんねじ曲がっていった。
お母さんの鬱病は悪化していって、すぐに包丁取り出すし、目を離すと死のうとしたりして、薬飲ませて布団で寝かしてそんな毎日を過ごしてた。
もう、とっくに僕の心は限界を迎えていた。
お母さんが包丁を持って
「殺してやる」
ってお兄ちゃんに向けてた。
お兄ちゃんは包丁を持っている手を握ってお父さんが止めに入った。
僕はまた見ているだけで何も出来なかった。
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