悪役令嬢は、婚約破棄の場面でヒロインにかどわかされる。

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「エメライン! 君との婚約を破棄する!」  ああ、やはりこうなってしまったのか。  婚約者であった第一王子の言葉に、エメラインは内心でひっそりとため息をついた。  貴族としての嗜みとして、決して表情には出さなかったが。  第一王子の背後には、黒髪の少女が青ざめた顔で立っていた。  遠き異国より現れたという〈聖女〉。  名前は、確かみどりといったはずだ。  彼女が現れてから、第一王子は変わってしまった。  四六時中、みどりと共にいるようになり、婚約者であるエメラインをぞんざいに扱うようになった。  次期国王としての勉学も滞るようになった。  その事を注意すれば、憎しみのこもった目をエメラインに向けた。 「お前は、みどりに嫉妬して嫌がらせをしただろう! それどころか、命さえ奪おうと刺客を送ったな!」 「申し上げます、殿下。それは私ではございません」  何度も何度も言ったが、王子は聞く耳を持たなかった。  元々、短慮な所はあったが、思い込みの激しさに拍車がかかったようだった。  刺客を送った者がいるのなら、〈聖女〉を亡きものにしようと画策しているものがいるのだ。  犯人を捜すようにと進言したのだが、エメラインの仕業だと思い込んでいる王子はそれすらしなかった。  〈聖女〉の身に何かあれば、この世界は滅ぶかもしれないというのに。 「エメラインを捕らえよ! 〈聖女〉を害し、この国を滅ぼそうと企む極悪人だ!」  この場にいる誰もが、エメラインに救いの手を差しのべようとはしなかった。  確かに、王族に歯向かうなど愚かな事ではあるが。 その時であった。 「みどり!?」  王子の背後から、〈聖女〉が飛び出した。  止めようとする取り巻き達を振り払い、エメラインの元へと駆け寄る。    どういうつもりなのだろう?  困惑するエメラインの前に、みどりは跪いた。 「申し訳ありませんでした。エメライン様」  瞳を潤ませながら、みどりはエメラインを見上げた。 「ああ、君はなんて優しいんだ。自分の命を狙った相手に……」  王子がみどりに近寄り、その手を取って立たせようとする。 「だが、こやつは君の命を狙ったのだ。危ないから離れ……」 「エメライン様は犯人じゃない、と何度も言いましたよね……?」  地の底を這うような、低い声がみどりの口から漏れる。 「み、みどり……?」  みどりは立ち上がり、王子の手を振り払った。 「犯人は宰相! あんたのおじさんなの!」 「な、何を言うのだ!?」  みどりに名指しされた宰相が声を荒げる。 「あと、私に嫌がらせしていたのは公爵令嬢とその取り巻き! 何度も何度も言ったよね!?」  第一王子は、みどりの言う事さえ聞いていなかったのか。  こんな時だというのに、エメラインはみどりに妙な共感を覚えていた。  みどりはエメラインを振り返った。 「本当に申し訳ありませんでした、エメライン様。どうにかしてストーリーを変えようと頑張ったのですが……」 「ストーリー……?」  戸惑うエメラインにかまわず、みどりは言葉を続けた。 「この、ノータリンポンコツ王子とアホの取り巻きどもが、ちっとも役に立たないんです!」  みどりが捲し立てるのを、全員が呆気に取られて聞いている。 「こっちにその気はないって言っているのに『照れているのか』とかぬかして! それでも、エメライン様を救えるならと思って我慢していたら調子に乗りやがって!」 「み、み、みどり? どうしたのだ……?」 「べたべた触ってくるし、相手の合意がなければセクハラだからな、それ!?」  ぎっ、とみどりが王子を睨み付ける。 「そもそも、婚約者がいるのにほかの女にちょっかい出すような男は願い下げなんだよ!」  浮気男などちょんぎってしまえ、とか、モラハラ男など滅んでしまえ、とか、目の座った状態でみどりはぶつぶつと呟いている。  あまりの事に、誰もみどりに声をかける事が出来なかった。 「みどりさん。落ち着いてくださる?」  エメラインは、そっとみどりの肩に触れた。  よく分からないが、みどりだけはエメラインをかばってくれた。信じてくれた。  振り向いたみどりが、ぱっと顔を輝かせた。 「エメライン様!」  肩に触れているエメラインの手を両手で握り、みどりは叫んだ。 「一緒に逃げましょう!」 「え……?」 「こんな国、滅んでもいいですよね! 父親は婿養子だから本来の後継者はエメライン様なのに、後妻である義理の母親と妹に迫害されていても知らんぷりだし、使用人達だって立場もわきまえず、エメライン様に冷たくあたるし!」  何故、そこまで知っているのだろう。 「それでも、最後まで気高くあったエメライン様は本当に素敵でした! 私の最推しなんです!」  きらきらと目を輝かせるみどりに、エメラインは言葉を発する事が出来なかった。  どれだけ努力しても、こちらが歩み寄ろうとしても、誰一人としてエメラインを認めてくれる者などいなかった。 「わ、私は……」  ああ、いけない。声が震えてしまう。  貴族の嗜みとして、感情を表に出す事などあってはならない。  けれど。  目頭が熱くなるのを、エメラインはどうしても止められなかった。  エメラインの顔をのぞき込み、みどりはにかっと笑った。 「大丈夫。これからは、私がエメライン様を守ります」 「みどりさん……」  みどりに握られた手から、まるで力が湧いてくるようだった。    この国に、人に、何の未練がある?  まるで、霧が晴れていくようだった。  これが〈聖女〉の力なのだろうか。  エメラインは、みどりににっこりと笑ってみせた。 「貴女と行くわ」 「はい!」  みどりはエメラインの手を握ったまま、王子を振り返った。 「じゃあね、バカ王子。こんな素敵な婚約者をないがしろにした事を、一生悔やんでいなさい」  みどりとエメラインの姿が光に包まれた。  そして、二人の姿は王宮から消えた。 「ねぇ、本当にあの国は滅んでしまうのかしら?」  焚き火に当たりながら、古ぼけた布で杖を磨いていた女性がふと顔を上げた。   「どうだろうねぇ……」    同じく、己の武器である手甲の手入れをしながら黒髪の女性が首を傾げる。  あれから数年が経ったが、今の所そのような話は聞こえてこない。 「ストーリー、変わっちゃったしなぁ」 「そうなの?」 「滅びるきっかけは、〈聖女〉の血筋であったエメライン様を処刑したから、だったもの」 「ええっ!?」  突然の爆弾発言に、エメラインが声を上げる。 「私が〈聖女〉の血筋……?」  ああ、そうか。とみどりが頭をかく。 「エメライン様は知らないんだっけ」  みどりの話によれば、エメラインの遠い祖先が〈聖女〉だったのだそうだ。  その血が今まで国を守っていたのだが、婿養子であるエメラインの父親はその事を知らず、また母親は事実を告げる前に亡くなってしまったのだ。 「エメライン様が処刑されて、国が滅びかけるのを、ヒロインと攻略対象が救うんだけど……」  そもそもヒロインがいなければ、処刑されてないわけで。  鶏が先か卵が先かって話だよねぇ、とみどりがため息をつく。 「黒幕は宰相なんだけどね」 「あら、まぁ」  あの国はどうなってしまうのか。  いや、もう自分には関係のない事だ。 「そろそろ休みましょうか。明日の依頼は、少し大変そうですし」 「そうだね」  頷くと、みどりはエメラインの顔を見てにかっと笑った。 「でも、大丈夫。エメラインは、私が守るから」 「なら、私が〈聖女〉様をお守りしますわ」 「ああー、その呼び方やめてぇ! 死ぬほどハズい!」  両手で顔をおおうみどりを見ながら、エメラインはくすりと笑った。                
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