ソムと見た景色

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ソムと見た景色

ソムは(うつむ)いた。 「やっぱり、君とあの景色を見ておくべきだな」 そう言って彼はイシアの手を解いて、彼女の前に屈んだ。 「背負うから、乗って!」 「えっ、いいわよ」 「いいから!早く」 「だって私」 「あの景色を見ておかなきゃ」 ソムが一歩も引かないのを見て、イシアは彼の肩に手を乗せた。 「リスが潰れたらどうしよう」 「俺はそんなに軟弱じゃないの!」 イシアは彼の背中に恐る恐る乗った。 そしてソムが彼女を担ぎ上げると、ソムはもの凄い勢いで走り出した。 「きゃあ」 「掴まってろよー」 ソムはイシアを背負ったまま急斜面を駆け上がって行った。 まるで、すばしっこい動物のように。 風を切って木々の間を縫って登って行く。 イシアは自分の中から笑い声が出ているのに気が付いた。 「凄い、凄いわ!」 ソムはまるでカマイタチが風を切るように登って行く。 大きな岩に飛び乗った。 それは丘の上にある大きな岩だった。 「見ろ!この景色を」 そこに広がるのは広葉樹林の広がる、果てしなく続く森の景色だ。 遠くに見える湖がキラキラと輝いている。 「俺と見たこの景色を忘れるな」 「昔のようには見えないわ、もう眼は一つだけだもの」 「心で見ればいい」 「心はもう壊れてしまった。眼を失ったあの時に」 ソムは反対を向いてまた走りだした。 岩を降りて、石碑の前で止まる。 「双龍の義眼が眠る事を記した石碑だ。君のように眼を無くした龍の悲しみが(つづ)られている。君の気持ちが一番わかる奴だ」 「ソム…」 「わかるからこそ、コイツは再び光を見ることができるように自らの力を師匠に託したんだ」 「ソム」 「俺はたいした義眼技工士じゃない。でも少しでもその悲しみが和らげばいいと思ってる」 そう言って彼はまた走り出した。 そして丘を降りて岩穴の戸口にまで戻ると、イシアを下ろした。 「君は足腰が悪い訳じゃないから、どんどん歩いてこういう森の中でも歩けるように感覚を研ぎ澄ませるんだ」 そう言ってイシアの手を握った。 「大丈夫、俺が付いてる」 「ソム…」 「だから師匠の事は好きになるな」 そう言ってイシアの手を引いて歩き出した。 すぐにつまずいて、ソムに寄りかかる。 ソムはイシアが転んでもつまずいても、全く体をぐらつかせる事なく彼女を支えた。 その顔は微笑んでいる。 イシアの美しさに惹かれた男たちは皆、イシアの失った眼の事を知って去って行った。 誰一人残らずに去って行った。 しつこく結婚を迫っていた男たちが消えて行った。 自分にはもう何の価値もないと思った。 まるで役に立たないゴミのように思える。 ソムのように肩を貸す者は誰一人いなかった。
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