主観的な物語

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   不快な話なんだ、聞いてくれ。    これは俺がとある民間の軍事施設で過ごしていた時の話だ。本当にそんな施設あるのかって?信じられないかもしれないけど実際あったんだよそんな施設がさ。俺はそこで少年兵として暮らしていた。初めのほうは、鬼のような訓練を受けながら、ひたすら地雷や拳銃を組み立てたりしていた。与えられた仕事を淡々とこなす作業は俺には向いていたみたいで、それなりに好成績を収めながら比較的穏やかな状態で日々を送っていた。  そのうち戦場へ赴くようになった。初めは後衛だった。そこで戦場の雰囲気を味わった。腕がなくなっているもの。足を吹っ飛ばされたもの。既にこと切れたもの。中には返り血に浴びながら精神がぶっ壊れているものもいた。そこは地獄だったんだ。  そうしている内に俺は前線へまわされるようになった。ひっきりなしに響く銃声や爆発音。精神が崩壊する前に鼓膜が崩壊しそうだった。硝煙の臭いや血と臓物の臭いに鼻が捻じ曲がるかと思った。あたりは死体が無数に転がっていた。俺が作った地雷が敵兵を吹っ飛ばしていく様を初めて生で見た。目を覆いたくなるような光景だった。こんな経験をして生きていくぐらいならさっさと死んでしまったほうがいいのではないかと思えるほどだった。それでも人間、なんでも慣れてしまうようなものみたいで、何回か繰り返している内に、戦場に驚きを見いだせなくなっていた。恐らく心がそれなりに崩壊していたのだろう。もしくは、あまり考えたくないことだが、元々素質があったのかもしれない。そうして、命じられたことに疑問を抱かず、淡々と目の前の作業をこなしていった。たとえそれが、人殺しだとしても。これに関しては、訓練によって“そういうときにはそうすべき”と脳内にプログラムされたおかげだろう。 「こいつを殺すのはおれなんだ、おれがこいつを殺すんだ」なんて考えて、相手を一人の人間として意識して思考が止まってしまう前に、反射として相手を殺す。そして罪悪感なんてものが湧き上がってくる前に次の行動を考える。油断して考えることを止めた愚か者か、運の悪いものから死んでいく、それが戦争だ。常に油断せず、思考が止まらないように己をコントロールし、最善策に基づいて行動する。そういったことを続けていると、運も味方してか俺はそれなりに有力な軍人として名を挙げていった。  そんな時期にある戦場に行った。木に囲まれた森の中でスナイパーには絶好の場所ともいえるだろう。運が悪いことに相手には凄腕のスナイパーがいて、こっちにはいなかった。なにしろ小規模な民間の軍事会社だ。逸材は少ない。ともあれ相手の戦力は少なく、そのスナイパーさえ殺せば勝利したといっても過言ではない状態だった。  その時俺は戦隊とは離れたところにいた。スナイパーを仕留めるためだ。それなりに名を馳せていたのでそのような大役を務める一人として選ばれた。とはいえ味方が撃たれた方向から、位置を推測して仕留めて来い、というクソみたいな仕事だった。そんなゴミみたいな仕事も、与えられた任務なら忠実にこなすのが軍人としての俺の流儀だ。その当時は否定的な意見を考えるような心もなかっただけなのかもしれんがな。俺は味方が撃たれるのを待って、スナイパーの位置を特定することに務めた。  恐ろしいほど狡猾なやつで、巧妙に姿をくらましてくるものだから、何人もの味方が犠牲になっても見つけられなかった。しかし、一人の若い軍人が狙撃されたとき、ようやくスナイパーの位置が特定できた。撃たれた人間は昨日隣の寝袋で寝ていた人だった。確か嫁と幼い息子がいたはず。この戦争で退役すると言っていた。哀れに思いながらも俺はスナイパーがいると思われる位置に移動した。  目立たないように、見つけられないように、細心の注意を払って移動したつもりだった。臭いを消すためにその辺の泥を体中に塗りたくったりまでした。音を極力たてないためにそれなりにゆっくり進んだ。背後で味方がどれだけ撃たれようとも速度を変えなかった。失敗することは負けにつながるのだから。 なんとか目的の地点までたどり着いた。案の定スナイパーは木の上でライフルを構えていた。あとはこいつを殺すだけ。それでこの戦場は俺たちの勝利だ。そう頭によぎった。その瞬間木の上にいるスナイパーと目が合った。お前にもわかるだろ?勝利を確信して油断してしまった時が一番危ないんだ。俺もその時わずかな瞬間油断してしまった。それが命取りになった。頭上のスナイパーはライフルをこっちへ向けて撃ってきた。サイレンサーがついているのか音はない。取り合えず当たらなければ御の字と思い、俺は転がった。その一撃は運よく当たらなかったようだ。だが、まだ油断できる状態なんかじゃない。急いで立ち上がろうとしたそばで人の気配がした。あのスナイパーだ。いつの間にか木の上から下りてきたらしい。そいつは立ち上がろうとした姿勢の俺の腹を蹴り飛ばし、持っていた銃を蹴り飛ばした。そのままマウントポジションをとられた。そうそう丁度今の俺とお前のような体勢だ。もっとも、立場は逆だったがな。  その時考えたことは、“ここが死に時”ということだ。訓練で何回も刷り込まれているから冷静に合理的に判断できる。ここで、こいつを殺せれれば“俺たち”の勝利だ。たとえ“俺”が死んだとしても。この戦場で死んだ仲間の意味を勝利という結果で残すことはできるはずだ。それだけでも、俺が今まで生きてきた価値はあるだろう。懐に持っていた手榴弾のピンを迷わず外した。その時生暖かい液体が上から落ちてきた。その日は快晴だったので不思議に思い、つい上を見上げてしまった。  その男は泣いていた。真冬の曇り空を切り取ったかのような目から、雫があふれていた。     「俺にも息子がいた。生きていたらお前と同い年だった」  その台詞を言い終わった後、俺の表情を確認し、満足したかのように頷いた。そして緩慢な動作で、拳銃を自身のこめかみにあてて、そのまま引き金を引いた。 飛び散った奴の脳漿が俺の顔面にかかった。気色悪かった。  その戦場は奴が自殺したおかげで俺たちが勝利した。後から調べたんだが、その男に息子なんていなかった。嫁すらも。その男は囚人だったらしい。なんでも母親の目の前で子供を殺して、悲しみに暮れた母親をいたぶり殺したらしい。そこまでで何とも気持ち悪いことだが、もっと気持ち悪いのが、その殺された息子ってのが俺とほぼ同い年だったってことだ。どうだ、気味が悪いだろう。ぞっとしないか。つまりそいつは自分が殺した赤の他人を勝手に自分の家族に見立てて、まるで被害者のように、死に際ふるまっていたってことさ。笑えるよなあ。勝手に使われた家族も殺された上にそんなことに利用されたとなっちゃ気の毒で仕方ないよ。  誰でも戦場にいると自分は何やってんだろうな、こんなことをやるぐらいなら死んだほうがましなんじゃないかって頭をよぎることが幾度もある。きっとこの男もそうだったんだろう。そういったことを考えている内に己の人生の意味を考えてしまう。こっからは俺の推測に過ぎないんだが、きっと奴は自分のクソみたいな人生に絶望したんじゃないかな。そんな中、自分が殺した少年がそのまま育っていたら同年代ぐらいの若い少年兵が現れる。彼はそこに希望を見出してしまったのかもしれない。あるいは絶望か。まあ表裏一体だよな。それで最後だけは綺麗な人間を演じたかったんだよ。それは俺にも理解できる。だが、妄想の範囲に留めておいて欲しかったよ。勝手にクソみたいな物語に組み込まれてしまった俺やその哀れな家族のことを考えて欲しかった。気持ちよく死ぬためのズリネタに使われたようで、非常に不愉快だった。  だから、俺は、もしそんな思考に至ってとして、そんな状況で死ぬことがあったとしたら、飛びっきりゴミくずみたいな自分という人間を、ありのままに出して、唾棄して恨まれて当然といった印象を残して死にたいと思ったんだ。  この気持ち、君はわかってくれるよな。なに、分からない?そりゃ残念だ。
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