聖か邪か

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 狭いプレハブに冷気が充満し、敬陽は腕をさすった。  その様子にいち早く気付き、神職の男が冷房の温度を上げる。袴姿の彼は半そでシャツ姿の二人より冷えにくいのだろう、彼は直に風が当たる位置にいても寒そうな素振りは見せなかった。  津彌から成り行きを聞いた神職は、ひっくり返りそうなほど大きく背中をのけぞらせ、背もたれに体重を預けた。  「よりにもよって小学生を巻き込んだのかよ、あいつら」  「俺のせいでもあるんだ……」  「うんにゃ、それは違うだろ。あの屋敷の前に小学生がいたら、そりゃほっとけないよな。しかし、君、津彌よりもしっかりしてんだな」  敬陽はどういうことかと聞き返した。優柔不断に津彌に接触し、ここまでついてきてしまったのに、しっかりしていると言われるのは意外だった。  「自分より二倍も長く生きてる男を連れて下着屋に逃げたんだろ。すげえよ。そんで次の日はあいつらと一対二で話し合ってさ」  すごい、すごいと繰り返され、さすがに照れた。津彌も申し訳なさそうな顔をしながらも頷いている。敬陽にはそれが何より嬉しいことだった。  「ところで、君、名前は?」  二人には名乗っていなかったことにそのとき気付いた。神職はともかく、津彌にも名前を教えずに一緒にいたのが信じられなかった。津彌は敬陽に名前を聞くことは一切なかった。  「後藤敬陽です」  「ケイヨウ君かあ。俺は沖繋馬(おきけいま)。よろしく」  沖は口の両端をにっと上げた。頼れるお兄さんという感じだ。  「ていうか、今まで敬陽君の名前知らなかったのかよ」  津彌は椅子を一回転させた。  「巻き込みたくないし。すぐ別れるつもりだったから」  「でも、もう後戻りできないんじゃないか」  その言葉に対し、返ってくるものは何もなかった。津彌は口を閉ざし、椅子を左右に捻っている。敬陽も何を言えばいいのかわからなかった。  特に行事のない日の神社はひっそりとしていて、地元の人がお参りに来ても、それが済めばさっさと石段を降りていく。授与所の窓口には呼び鈴がついているが、参拝者は見に来る様子もない。  神職と青年と少年が気まずそうに座っているのを知る人は誰もいない。  「どうするつもりだよ」  沖が呟くように言う。ぽつりと口に出した声も、彼の場合はよく耳に届く。  「敬陽君はもう帰らしたほうがいいかもしれない。けど、そしたらまた屋敷の奴らが敬陽君に近づくだろうな。さっさとこの問題を解決しないとお前だけじゃなく敬陽君にまで被害がいくからな」  「わかってる。だから敬陽君にはあいつらから手を引いてもらいたいんだ。それには本当のことを知ってもらう必要があるだろ。繋馬にお願いしたいんだけど」  「お前がしてない説明を俺がするわけ? いいけどさ、どこまで信じてくれるかな」  「僕、全部信じます」  椅子から浮いた足を揃え、膝にぎゅっと手を置く。足がどうしても揺れるのが情けない気もしたが、精一杯の姿勢を見せた。  「津彌さんたちが話すこと、しっかり聞きます。津彌さんが危ない目にあったら、力になりたいです」  初めて出会ったときのことが胸によみがえる。  錦鯉から目を上げた瞬間飛び込んできた白い肌と黒い髪。彫りが浅いが顔のパーツ一つひとつが際立って見える繊細な顔立ち。磨かれた肌を覆う緑の着物。不安を閉じ込めた眉間の皺に、恐怖に揺れる黒い瞳。  敬陽は逃げる青年に捕らえられてしまっていたのだ。  少年を解放しようとする青年に抗うには、青年を守らなければならない。  沖が目を細める。がしがしと頬をこすり、(うな)った。  「そうかぁ……そう言うなら教えるしかないよな」  沖が膝を一回叩く。乾いた音が響き、敬陽たちの背筋が伸びる。  「仕方ないな! 特別に話してやる。友達とか親とかには言うなよ」  沖は朗々と語りだす。その声はやはり隅々まで行き渡るような声音で、秘密が漏れるとしたら彼経由なのではないかと敬陽は思うのだった。
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