聖か邪か

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 沖が言うには、一度だけ土地神に供物として人間が捧げられたことがあったらしい。  ご神体と神社が造られ、土地神の六代目の子孫が生まれて間もない頃のことだった。  当時は土地神の子孫が神社を管理し、神事を司ることとなっていた。五代目の子孫は直系では女一人だった。その女が結婚し、婿が神主として神社を守っていた。女では務まらないわけではなく、むしろ村と神社は性別の問題に関して寛容であった。しかし、婿は神社の仕事に前向きで、対して妻は体が強くなかった。若い頃は巫女として日頃から土地神に仕えていたが、結婚して間もなく妊娠してからは神社から足が遠のくようになった。  婿はよく学び、務めを果たした。常に境内や神殿は清められ、村人たちが祈る場としての機能を整えた。彼の義両親も安心して神主の代替わりをした。  それでも、土地神を先祖に持つとされ、神社を建て守ってきた一族は何か不思議な力を持っているのか、あるいは感覚が鍛えられているのか、神主一族は妙に勘が鋭かった。神社の空気やご神体の陶器の艶、境内のカラスの鳴き方などの些細なことから異変を悟っていた。参拝人の体の異変に気付いたり、嵐を予感したりしたという例が残っているらしい。  一族とは血縁関係にない婿はもちろんその勘を持ち合わせてはいなかった。だが、それでも神社の神主は務まるし、何の問題もないように見えた。  そんな婿がを聞いたのは、神主となってから三年後のことであった。  本殿で祝詞を唱えていると、渦の中に巻き込まれるようなめまいがした。空間が伸び縮みし、跳ねたり回ったりするような感覚が彼を襲い、たちまち意識を失ってしまう。  脳が元の位置に着地した感覚で、婿は目を開けた。床に転がってよく磨かれた床に頬を貼りつかせた彼の目の前につるりとした白いものが立っていた。倒れた彼を見下ろすように、台に載せられていたはずのご神体がそこにはあった。  体を起こす。美しい顔立ちのご神体はぴくりともしないが、その薄い唇の角度が心なしか上がっているように見える。  婿は訳が分からずそのまましばらく動かずにいた。すると頭が熱を持ち、また床に倒れそうになった。  熱でぼんやりとする頭の中で、何者かの声がした。幻聴ではなく、確かに聞いたのだ。  「近々、災が起きる。村人の多くが死ぬ。防ぎたければ生贄を一人用意するのだ」  低く深みのある美声が簡潔に言葉を告げ、聞き返す前に婿の視点が変わった。次の瞬間、彼は先ほどと同じように床に寝ていた。  慌てて起きると、ご神体はいつもの位置で、いつもの表情で鎮座していた。  もうめまいもしなければ、頭も冴えている。ただ床にぶつけた肩が痛むだけだ。  婿はかしこまってご神体に頭を下げた。
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