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「生贄って?」
敬陽は生贄という言葉を聞いたことはあるが、意味はしっかりとは理解していなかった。
津彌が教えてくれる。
「生きた人間や動物を神様に捧げること」
「生贄を捧げたらどうなるんですか」
「それはどうだろうね……大体は食べられたりするんだろう」
敬陽の背中がやすりで撫でられたように鳥肌が立つ。生きた人間が理解を超えた存在へと受け渡され、その世界へ連れて行かれ、食べられる……その人がこの世で生きた痕跡は残らないのだろうか?
沖がごほんと咳をする。天井まで響き、敬陽の頭まで降ってくる。
「ここまでは何となくわかったかな?」
「はい」
「ここで言っておきたいが、この町の土地神様が生贄を欲しがったんじゃない。じゃあ、何者が生贄を捧げるよう神主に命令したんだと思う?」
それは、一つしかないだろう。午前中に端山から聞いた話はしっかり覚えている。
「邪なもの」
沖は大きく頷く。そして津彌の肩を叩いた。津彌が「痛い」と顔をしかめる。
「もちろん、こいつの先祖じゃない。端山が言ったのは嘘だからな。むしろ端山こそが生贄を要求したものの子孫だ……とされている」
敬陽は津彌を見る。彼も力強く頷いた。手を伸ばし、津彌の手に触れると、握り返してくる。ひんやりとしていたが、人間の手でしかなかった。敬陽も頷き返す。
「敬陽君。『邪なもの』はどうして生贄を欲しがったんだと思う?」
沖の問いに、敬陽は津彌の手を握ったまま考える。
「人間を食べて、力を付けたかったから」
口に出すと、とても恐ろしいことだと改めて思った。自分たちも豚や牛を食べているが、その肉を人間に置き換えると、どうしても食べることを想像することができない。「腹が減っては戦はできぬ」という言葉を聞いたことがあるが、「邪なもの」も同じように、人間をエネルギーにしているのだろうか。
「正解だ」
沖が鼻から長く息を出す。その顔はとても疲れているように見えた。天井を見上げ、何かに思いをはせている。彼の視線は天井を突き抜け、遥か天高くへと昇っている。
「生贄っていうのはな、身寄りのない――つまり家族がいない人から選ばれることが多いんだ。生贄に家族がいなければ、悲しんだり困ったりする人が少ないから。みんな、自分や家族が生贄にされないように孤独な人を選ぶ」
蝉の声がふと止んだ。変わりにたくさんの人のさざめきのような音が外に満ちた。夕立だ。
天井を仰いだまま、沖は目をつぶり、言葉を続けた。
「そのとき選ばれた生贄もそうだった。両親も兄弟も亡くなって、村人たちの助けを受けながら生きてきた人だった。年齢も性別もわからないけどな。万場一致でその人に決まったみたいだ」
その孤独な人は、神社の供物となり、姿を消した。
彼の行方は、もう伝説では語られていない。
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