聖か邪か

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 の供物として身を捧げながら、後世に名を残すこともなかった生贄を糧にして、「邪なもの」は力を増すこととなった。  長い間土地神とご神体を取り合ってきた戦歴は、その瞬間に終わりを迎え、陶器の依代(よりしろ)は完全に「邪なもの」の手中となった。土地神は追放され、身を置く場所もなく辺りを浮遊し、神社から消えていった。  しかし、ご神体が乗っ取られたからといって土地神そのものがいなくなるわけではない。別のものに移ればいいだけだ。ただ今はそれに相応しいものがないうえに、より力を手に入れた敵の追撃の恐れがあるため、一旦神社から引くことになった。そして今も土地神は神社ではない場所で町と人々を守っている。  ご神体を、ひいては神社を支配してから、「邪なもの」は村に災いをもたらすようになった。  疫病が蔓延し、火事が頻発し、田畑が枯れ、飢餓が始まり、人が死ぬ。厄年は数年間続いた。村人たちは生きるために神に祈り、神主も彼らの願いを土地神に伝えたが、そこに鎮座しているのは土地神ではない。願いなど聞き入れられず、状況はさらに悪くなる一方であった。  それでも村が細々と生きながらえてきたのは、離れたどこかで土地神の加護があったからだろう。火事が起きれば雨を降らせ、飢餓が始まれば山に木の実を実らせる。あの手この手で「邪なもの」の悪行を阻害していた。  土地神の子孫の六代目が霊験あらたかなのは、土地神の力添えがあったからだとされている。一説では、六代目に土地神が乗り移っていたのではないかとも言われていた。  「邪なもの」がご神体をものにしてから数年後、成長した六代目は早々に代替わりして神主となった。前代である父親は善良であったため、若くして神主になりたがる息子から、その人知を超えた力でもってご神体の正体を告げられたとき、過去の自分の行いを深く後悔し、迷うことなく神主の座を降りた。彼がせめてもの償いとして書き残した手記こそ、後に伝説の根拠となっている。  こうして晴れて神主となった六代目が行ったことは、主に二つである。  一つは、大国主命を主神として神社に祀ったことだ。  国で最も有名な神の一柱である大国主命を祀る神社は全国各地にある。村の神社で祀ったとしてもおかしくはない。新しい神主により、本殿には大国主命の神が鎮座し、そのご神体の横で、邪悪な陶器が位置をずらして置かれるようになった。  大国主命が勧誘されてからは、少しずつだが村に安息が戻りつつあった。村人たちはこぞって大国主命に感謝を述べ、供物を捧げた。  もう一つは、神主の代替わりである。  六代目神主は大国主命を勧誘してから間もなく神主を辞めた。  彼の指示で新しい神主が神社を守ることになったのだが、その人物はなんと生贄となった人物の子どもだった。  生贄は身寄りのない村人が選ばれたが、人々が知らなかっただけで子どもがいたということが後にわかった。相手は村の外の人間で、生贄となった人物はその子どもの存在を知ることなくこの世を去っていた。  事実が発覚したとき、村人たちが何とも後味の悪く、後ろめたい気分になったのは言うまでもない。神主がその子どもと親を村に呼び寄せ、子どもに神事の手ほどきをし始めたときには、当然反対の声が多数上がった。それでも屈することなく神主は次世代を育て、全てを教えおわると同時に代替わりをした。  拙いながらも先代一族の助けを受けながら神主の務めを全うし、生贄の子どもはいつしか神主として村に受け入れられるようになった。早いうちに神主になり、長年に渡って信頼を築いたことが功を奏したのだ。  新しい神主のもと、村は大国主命と土地神を同時に崇め、長い時を経た。  神主は新しい血筋を受け継ぎながら今も神社を守っている。
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