聖か邪か

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 「その生贄の子どもであり、新しい神主となった人物の子孫こそ、この俺ってわけだ」  そう言って、沖は話を締めくくった。  敬陽は彼をまじまじと観察する。目の前のはきはきとした青年のご先祖様に思いをはせる。ご先祖様も動きや話し方が大げさだったのだろうか。  「すごい人なんですね」  素直にそう言うと、沖は誇らしげに笑みを浮かべた。  「そうだろう。俺の自慢のご先祖様だ。いきなり村に呼び寄せられて、神主として修業させられて、それでも立派に働いたんだから」  そうして何代にもわたって受け継がれていった。昔は親の仕事を子どもが継ぐということはよくあったのだろうが、サラリーマンの父を持つ敬陽にとっては想像もつかないことだった。  ただ、一つ疑問に思ったことがあった。  「どうして生贄の子どもを神主にしたんですか」  「それはなぁ、まず生贄になった人が残していった恋人とその子どもが生きていくために、村に呼び寄せてくれたんだろうな。子どもに仕事と地位を与えて、少しでも生活に困らないようにしてくれたんだと思う。それともう一つ、土地神様の子孫が別の仕事に取り組むためだ」  冷房の風が止まっている。とうに室内の温度は設定温度まで冷えているからだ。また暑くなれば風が吹いてくるだろう。今の温度が敬陽にとってちょうどよかった。  津彌が勝手にお茶のおわかりを持ってきた。敬陽に渡し、自分の分を飲み始める。「俺にも用意してくれよ」と沖が文句を言い、立ち上がった。  「あの、仕事っていうのは?」  津彌が飲み物を取りに行った沖の代わりに教えてくれる。  「ご神体を取り戻して土地神様にお返しすることだね」  「それって、神社にいた方がやりやすくないですか?」  津彌がにやりと笑う。頬の肉が持ち上がり、艶やかで柔らかそうな餅ができた。敬陽は衝動的にそれをつつきたくなってしまう。  「敬陽君。スパイってわかるかな」  敵の陣地に味方のふりをして忍び込み、情報を盗む人の姿を思い浮かべる。敵の大将にひどく気に入られ、重要な情報を手に入れてしまう、いかにもあやしい存在。漫画やドラマでしか見れないような、無理やりな設定。  「俺のご先祖様はね、『邪なもの』の子孫を見つけて、詳しく調べて、最後には騙すためにスパイ計画を立てたんだ」  沖が二人の元に帰ってきても、津彌は語り続けた。    「邪なもの」には子孫がいる。  何者と子を為したのか、それは伝わっていない。ただ、ご神体に宿る邪悪なものを神と崇め、村に災厄が訪れてもその子孫一族だけが安泰な生活を送ることができていた。彼らは周囲の村人から生気を吸い取るように繁栄し、彼らと関わったものは衰退していった。  大国主命が祀られてからは子孫一族の力も弱まったが、富を得て大きな屋敷を構えるまでになった。  過去の神主の手記には大国主命のご神体を盗もうとしたり、壊そうとしたりなどの狼藉が記録されており、神社の敵のような存在として警戒されていたが、代々手に入れていった権力と金で人々を買収したためか、現在まで彼らは同じ場所に住居を構えている。  土地神の子孫と土地神の親族の子孫が結託して「邪なもの」とその一族を村から排そうと計画を立てた。  陶器のご神体を壊すのでは意味がない。また別のものに宿る可能性があるからだ。そしてご神体を壊すということは土地神様の還る場所をも奪うことになってしまう。  村総出で「邪なもの」に立ち向かうのはどうか。村人が信じてくれるわけがない。信じてくれたとして何をすればいいのだろう。巻き込んでしまって再び災厄に見舞われるだけだ。  考え抜いたすえに、神の子孫たちは「邪なもの」の子孫たちを探ってみようという結論となった。彼らを調べ、「邪なもの」の正体を知ることで、正しい対処方法がわかるかもしれないという望みをかけての決定だった。  潜入捜査に買って出たのは、親族の子孫だった。その少女はまだ幼さが残り、困ったように下がった眉毛が不安を呼び起こさせるが、使用人として奉公するにはうってつけの人材だった。  少女は屋敷に入り込み、屋敷の主たちの話を盗み聞きしたり、掃除をしながら箪笥や畳の下などを探り、何か手がかりはないかと探した。  彼女を筆頭として、「邪なもの」一族に土地神の親族が一人ずつ潜入するのが決まりとなった。  これももはや習わしのようなものとして続けられ、現在は筒野岳という女がその子孫にあたる。  「筒野さんがスパイ?」  敬陽はそろそろ頭がパンクしそうだった。先祖だの子孫だの、遥かに遠い過去からの血縁が入り混じり、こんがらがってくる。ましてや端山と津彌では主張することがまるで逆なので、それぞれから聞いた話が頭の中で混雑してめまいがするくらいだった。  「岳さんはスパイじゃないんだ」  そう答える津彌の顔は悲痛だった。  「スパイとして入り込んでいたのは岳さんのご両親なんだよ。そしてそのことを岳さんは知らない」  事情を知っている沖も沈んだ表情をわかりやすく浮かべている。室内の空気が重くなったのを感じ取った。  岳さんは、と津彌がためらいがちに口を開く。  「岳さんは、幼い頃にご両親を亡くして、以来ずっとあの屋敷で暮らしている」  「端山さんたちと一緒に、ですか」  「うん。端山と彼女は年の離れた幼馴染みたいなものだね。岳さんのご両親は岳さんが生まれて間もなく使用人として屋敷に入り、仕事をしながらスパイとして活動していたんだ。もちろん岳さんはまだ赤ちゃんだったからそんな事情を知るわけがない」  午前中の筒野の姿を思い出す。この世ならぬ美しさを持ち、川のせせらぎに身をゆだねているような清らかさと恵みの雨のような優しさを湛えた女性。そんな彼女にそのような過去があるなんて。  ただ、気安い態度で接し、気の合った端山との関係性は、幼い頃から共に暮らしてきたことが起因しているのだと腑に落ちた。  「岳さんが五歳のとき、ご両親のスパイ行為がばれた。俺の家族と繋がっていることが判明したんだね。それがばれてしまえば、ひっそり隠れて暮らしてる俺たちの居場所までつかまれてしまうかもしれない。どうにか守ろうとする岳さんの親と、俺の家族を見つけようとする端山の親とが激しく争った。……どういう争いをしたのかは俺にはわからない。だけどそれがきっかけで、岳さんのご両親と端山の両親は死んだ」  現在、屋敷を守っているのは端山澪汰だ。彼自身、親を亡くした当時は成人するかしないかという齢であり、突然当主になったのだから苦労はしたのだろう。しかし、彼の持つ野望は先祖代々から受け継がれた野望そのものだった。  「幼い岳さんはご両親が何者だったのか知らないまま一人になってしまった。俺の一族が助けに行ったんだけど、そのときには彼女は端山家に育てられることが決まってしまっていた」  どうにかして端山から筒野を引き離したかったが、親戚を名乗る見ず知らずの人間と、幼い頃から顔を見合わせてきた端山たちとでは決着は見えていた。筒野は戸籍に入りはしなかったものの、端山家の一員として落ち着くこととなった。  「端山は神社の歴史を岳さんに語った。成り立ちはそのままに、だけど登場人物は変えて。彼女は当然それを信じて、端山を土地神の子孫、俺を『邪なもの』の子孫だと認識した」  もともとスパイとして育てられるはずだった少女は、敵を家族同然と思い込み、本来親戚であるはずの津彌を敵視している。  敬陽はふと津彌の顔が険しくなっていくのに気づいた。弱々しい彼の雰囲気が変わりつつある。  津彌は拳を握りしめる。それは雪玉のように白くなっている。  「岳さんに真実を知ってもらわなければならない。そうして、本家に迎え入れて新しい生活をスタートしてほしい。そのためにはご神体に土地神様をお戻ししなければ。端山が崇めているご神体の中身が邪悪な化け物だと知れば、彼女も自分のいるべき場所がわかるだろう」  ご神体から「邪なもの」を追い出し、土地神様を迎え、本来あるべき神社を取り戻すのだ。
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