どちらを

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 彼は今日も今日とてジャケットを着ていた。  敬陽がカバンにつけていた防犯ブザーに手をかけると、彼は降参するように手をひらひらさせた。  「今回も任意同行です。敬陽様」  ニヤリと笑う彼に対し、一歩後ずさりする。  「山田太郎さん」  「違う違う、逆だよ敬陽くん。田山郎太だよ」  田山は熱を持った車の車体に寄りかかった。キーをクルクル回してかっこつけている。  「端山どのと岳さんが待ってるよ」  「行きません」  「そりゃどうして」  待ってましたとばかりに敬陽は胸を張る。  「僕は津彌さんを信じます」  その言葉に田山が失笑したのは心外だった。  くっくと笑いながら、涼しげに彼は言う。  「敬陽君、君、屋敷からお呼びがかかるの楽しみにしてたでしょ」  「そんなことない」  「えー? でも敬陽君、この前楽しそうにしてたじゃない。端山さんと約束してたしね」  そうだ、一昨日に屋敷で端山と筒野と食事しているとき、彼もいたのだ。その後は車で駅前まで送ってもらって、そこで津彌と会って……。  「もしかして、津彌に何か吹き込まれたのかな?」  首を傾げる田山に、軽く頭を下げて立ち去ろうとする。翻した視界の端で田山の車の後部座席が開くのが見えた。  目の端がチカリと痛む。星屑が眼球に突き刺さったような感覚がして、敬陽は光源の方につい顔を向けてしまう。  「やあ」  端山は今日も袴姿だった。弓矢を背負っていそうなほど威厳のある体と端正に彫りこまれた顔が敬陽を射抜く。見上げすぎて仰向けに倒れそうになる。  端山は後部座席のドアを押さえ、  「時間が許すなら、どうぞ乗って」  敬陽は脚の震えを唇に逃がし、もごもごとさせる。前にも後ろにも進めない。心臓が前後に鼓動して今にも爆発しそうだ。  「岳も屋敷で待ってる。今日はお昼は食べたかな。冷麦を用意してあるよ」  「僕は、津彌さんを」  そう言いながら端山の差し出した手を取る。冷房の効いた車内へ滑り込み、荷物を膝に載せる。隣に端山が腰掛け、座席が優しく跳ねた。  「今日は何してたのかな」  「……図書館に、自由研究の本を借りに行こうと」  「じゃあ、邪魔しちゃったね。やっぱり今度にしようか。次は迎えに行くよ」  図書館で降ろそうかと言う端山に、黙って首を振った。本当は縦に一度振るつもりだったのに。心より体が先に応えてしまう。  運転席から鼻歌が聞こえてくる。「何か流しましょうか」と答える前に勝手に音楽のスイッチを入れた。知らない英語の歌が流れてくる。ひどく上品なメロディだ。  端山の趣味だろうか、しかし彼は敬陽の方へ関心を向けていて、音楽がまるで耳に入っていない様子だ。対して運転手はワイングラスを交わすように優雅な音楽に合わせて小さく歌っている。彼の好みのようだ。  運転席に洋楽好きのジャケット、後部座席にこの世ならぬ美丈夫の袴、その隣にちんちくりんの小学生。  三人を涼しい風と優美な音楽で包み込み、車は炎天下を屋敷へ向けて走っていく。
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