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出会いその二 端山と筒野
青年と出会ったのは金曜日なので翌日は土曜日で学校は休みだ。
だからこうして屋敷の客間で一人座って待たされていても、時間はたっぷりとあるのだ。
青年と出会った橋のある屋敷に敬陽は招かれた。招いたのは女性下着屋に入れなかったジャケットの男である。
昨日、タクシーから降りて家に入ろうとした敬陽の前に車が止まり、下げられた車窓から彼が声をかけてきた。家の前だったので悲鳴を上げれば家族が助けてくれると思ったが、ジャケットの男は降参するように――武器を持っていないことを示すように両手を顔の高さに挙げた。
「さっき一緒にいた着物のお兄さんとは知り合いかな?」
質問に、迷わず頷く。男の眉尻が下がり、ひょうきんな顔になった。人に好かれそうなおじさんという印象だ。
「君はあのお兄さんの名前を知ってるのかな? いつ知り合いになったんだ?」
その質問には答えられなかった。前者については知らないし、後者については言いたくないし、しかし咄嗟に嘘を吐けるほど頭は回らない。
「おじさん誰ですか」
男は車窓の枠に肘を横たえ、その上に顎を載せた。彼の笑顔には少年の機嫌を取ろうとするような媚びがなく、意外にも敵意が感じられなかった。
「田山郎太です。山田太郎を漢字にして逆さまにしたって考えると覚えやすいよ」
田山は敬陽の名前を聞いたりはしなかった。ただ、明日は暇かと聞いてくる。
「あのお兄ちゃんを探している人がいるから、その人たちと話してやってほしいんだ。居場所を教えろ、っていうんじゃないよ。ただ、お兄ちゃんがナニモンなのかってことを知っておいてほしいんだ。君はもう、関わっちまったから」
田山は明日車で迎えに来てやると言う。家の前だと人に見られたら不審に思われるから、どこか良い待ち合わせ場所はないかと相談してくる。
敬陽は駅の近くの老人ホームの裏を指定した。大人が小学生相手に真面目に意見を聞いてくるということが新鮮で、ついじっくりと考えた末に人の少ない静かな場所を選んだ。
車が去った後、話に乗ってしまったことにまずいと思ったが、それでも行こうと決心した。とにかく行けば、もう二度と見ることができないだろうと思っていた青年への糸が手繰り寄せられるだろう。
ふかふかの座布団で敬陽は宙に持ち上げられている気分だ。慣れない正座で足が痺れて冷えを感じる。
足を動かそうとしたとき、客間の襖が開いた。慌てて姿勢を正す。
「待たせてごめんね。足、崩していいよ」
そう言われながら、敬陽は身動きすることを忘れた。足の痺れもたちまち感じなくなる。
ただ一つのものに視線と心が吸い寄せられるという体験は昨日味わったばかりだ。青年が自身に与えた衝撃はまだ胸の内で脈打っている。
では、「見るべきもの」が二つ同時に現れたとしたら、どうなるか。
敬陽は現れた二人を交互に見ながら、そのたびに心が彼らに引っ張られ、その姿に縫い付けられた。
その男女は、男は三十歳以上で女は昨日の青年と同じくらいの若さに見えた。
男がまず敬陽の向かいに腰を下ろし、その隣に女が落ち着いた。
男は豊かな焦げ茶色の髪を後ろへ撫でつけた髪型だが、整髪料が足りないのか、髪の勢いが強いのか、ところどころから房がふわふわと浮いていた。その柔らかさと無造作な髪型が彼の精悍な顔を引き立たせる。綺麗な曲線を描く眉の下の目は大きく鋭い。茶色く濃い瞳をさらけ出したその目を反り返ったまつ毛が縁取る。彼の持つ線はどれも美しく、鼻筋や唇、輪郭、首筋や肩、腰に至るまで全てが丁寧に彫られ、やすりをかけたようだった。
彼は袴を着ていた。刀を佩いていても違和感がなさそうだ。
その隣の女は濃い紫色のワンピースを着ていた。丈は先ほど見た限り、膝下辺りだった。それが今は品よく正座をしていて隠れている。
彼女の瞳は奥まで覗けるほどクリアだった。清水を透かして見ているような気分にさせられる。肌も唇もみずみずしく、薄いまぶたや唇、耳たぶに触れれば水が滲み出て零れそうなほどだ。髪などは本当に濡れているのではないかと思うほど黒く艶めいていた。
風の神と水の妖精が目の前にいる。敬陽は畏れを抱いた。
厳しそうに見える風の化身が表情を緩ませ、敬陽に頷きかける。
「こんなところへ呼んでおいて待たせてごめんね。お茶、遠慮せずに飲んでいいんだよ」
敬陽の前には冷たいお茶が置かれている。緊張で存在自体を忘れていた。
「ジュースもあるから、後で持ってくるね」
水の精が言う。
頭が破裂しそうだった。これから尊い二人からお告げが下されるのではないかと、余計に力が入ってしまう。
二人は顔を見合わせ、無言で互いを促す。男が負けたように少年へと向き合った。
「まずは自己紹介をするね。私は端山澪汰。この屋敷の持ち主だ。よろしく」
端山は子供に慣れていないようで、どう接したらよいかわからない様子だが、それでも対等に話そうという気概が見えた。
端山よりもリラックスした態度でワンピースの彼女が続く。
「筒野岳です。おばあさんみたいな名前だよね、タケって。よろしくね」
あなたの名前は何ですか、と聞かれる。
「後藤敬陽です」
「敬陽くんね。何歳?」
「九歳。小学三年生です」
「そうなの。じゃあ私とは九つ違いね」
筒野が茶を啜る。敬陽もやっとグラスに口を付けた。
「さっそくだけど」
端山が口火を切る。彼は筒野をちらりと見たが、彼女が何も言わないので諦めたように説明役を務めた。
「田山から君が津彌と一緒にいたと聞いたんだが――ああ、田山は昨日君に話しかけたおじさんのことなんだけどね、私たちは津彌のことを探しているから、君に話を聞きたいと……いや、それもあるけど、津彌のことを知ってほしくてここに呼んだんだ。敬陽くん、津彌と昨日一緒にいたって本当かな」
青年の姿が頭に浮かぶ。白、着物、影、太陽……。
「津彌っていう名前なんですか」
「そうか、名前は知らないんだね。着物を着た綺麗な顔の男なんだけど、心当たりはない?」
「昨日、一緒にいました」
ツミという名前なのか。苗字なのか、下の名前なのか、どちらにしても変わった名前だ。
端山が重たげに頷く。
「彼の名前が津彌だ。今、私たちは津彌を追っているんだ。津彌がここから逃げて、もう一ヶ月が経つ」
えっ、と敬陽は声を上げた。どうして追っているのかも気になったが、それよりも意外なことを聞いた。
「お兄さん……津彌さんはこの屋敷の門から出てきたんですけど」
「何だって?」
端山の声が太くなった。敬陽の体が萎縮する。筒野が端山の背中を叩いた。齢が離れている割に友人のような間柄に見えた。
端山は驚かせてごめんねと敬陽に謝り、もう一度確認した。
「津彌はここから出てきたのか」
敬陽は青年と出会ってから別れるまでを順番に話していった。
話す前に津彌の頼りない顔がこちらを見ているような気がしたが、目の前の神秘的な二人と目が合った瞬間には口が開いていた。話しているときも視線が絡むと動揺して話の順序が乱れ、何度も説明し直す。端山も筒野も急かすことなく、たまにお茶を薦めながら辛抱強く小学生の話を聞いていた。
タクシーに乗せられて津彌と別れたところまで話終えた後、敬陽の体は興奮で熱く火照っていた。そして魂が声と共に少しずつ出ていき、二人の手に渡っていく心地がした。
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