出会いその二 端山と筒野

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 「津彌は神社のご神体を盗んだ」  端山の声は低く滑らかで、敬陽の胸をくすぐって耳まで這い上がってくる。話しているうちに子供に対する慣れない気遣いがなくなっていき、語尾が硬くなっていた。  敬陽が津彌についてを語った後、三人は筒野が持ってきたジュースを飲みながら少し他愛ない話をした。もうすぐ夏休みだねとか、堀の鯉に餌をあげてみたくはないかとか、屋敷の庭がどうだとかいう内容だった。  敬陽が座り方を崩し、端山の舌がほぐれてきたところで本題に入った。  津彌が神社のご神体を盗んだ――それはどういうことだろうか。  筒野が間に入る。  「ご神体って知ってるかな?」  ご神体とは神社で祀られる神様が宿る物体である。神様の本体と言っても過言ではなく、神社によって鏡だったり勾玉だったりと形は様々なのだと筒野は説明した。  「敬陽くんはあの神社を知っているかな」  端山が口にした神社の名前は敬陽もよく知っていた。年に一度の夏祭りには毎年行っている。小山の頂上にあるよく管理された神社だ。  「その神社は大国主命(おおくにぬしのみこと)――この国を造った神様って理解してくれればいいんだけど、その神様を祀っていて、大国主命のご神体が神社の中にあるんだ」  「それを盗んだんですか」  端山と筒野が揃って首を振る。  「大国主命を祀った神社だけど、もう一柱、祀っている神様がいるんだ」  大国主命を祀る神社は日本中にあるが、その神を祀っているのはその神社だけだ。謂わば、この町にしかいない神であった。  「その神様は昔、人間と結婚して子供をつくった。その子供もいずれ結婚して子供をつくって……その子供の孫が神社をつくって祖先である神様を祀ったのがあの神社の始まり。その後も神様の血は受け継がれていって、今」  端山が自分の胸に手を当てる。瞬間、彼の体から光が放たれたように敬陽は感じられた。白い、すべてを照らす光だ。  「私は神様の子孫として、この屋敷の主として、ご神体を守っている。岳は――」  彼が言おうとしたのを筒野が遮り、自ら打ち明けた。  「私はそのご神体の神様の親族の子孫と伝えられているの。はっきりとはしないけど、神様の兄弟の子孫って話らしいの。……わかるかな?」  敬陽には全てはわからなかった。素直に聞く。  「端山さんのご先祖様は神様と、神様と結婚した人間、ですか」  「そう。この土地の神様とそのお嫁さんだね」  「筒野さんは……神様と……?」  筒野は首を傾げながら、困ったように微笑んだ。  「実は、私もわからないのよ。土地の神様の兄弟が誰と子供を残したのか。人間と結婚したのかもしれないし、神様同士で結婚したのかもしれない」  敬陽の頭にチカリと閃光が走った。彼女の先祖が本当に神様だったのなら、そして人間と結婚することなく子孫を残していたとしたら。  筒野岳は人間ではなく神の類なのではないだろうか。  目の前の女は水の妖精よりも畏れ多い存在なのかもしれない、そう思ったが口にはしなかった。  神の末裔たちは少年の前で座布団に正座し、ジュースを飲んでいる。冷房の風が女神の濡れたような黒髪を揺らした。  屋敷の主がくすりと笑う。  「まあ、それは伝説に過ぎないから、私たちの先祖はただの人間なんだろう。神社を造ったのは確かに私の先祖だというが、それも純粋な人間だね、きっと」  神前に引きずり出されたような気分になっていた敬陽の心境を察してか、端山の口調が柔らかくなる。それすらも神の慈悲に感じられた。  二人の顔を真っ直ぐ見る。人間だと言う彼らはあまりにも人間とは思われなかった。こんなにも心が揺さぶられるのは初めてだ。そう考えた瞬間、思い出すことがあった。  「あの、津彌さんはそのご神体を盗んだんですよね。どうして盗んだんですか」  ピシリ、と音を立てて客室の空気に亀裂が入る。敬陽の背中が引っ張られるように伸びた。  端山は瞬きもせず静止していた。彼を心配そうに見遣りながらも筒野は何も言わなかった。端山のグラスを持つ指が白く力んでいる。このままだと割れてしまうのではないかと思ったが、その前に端山が脱力した。  「……ごめんね」  端山は謝ると、像のように動かず、正座のまま黙り込んでしまった。  禁忌に触れてしまった、少年は事情が分からないながらもそう直感する。  端山は怒っていた。ここにはいない津彌にも念が届きそうなほどに全身から怒気を放っていた。着物の袷から、袖から、袴の裾から、禍々しい風が吹き出て、敬陽の横を通り過ぎ、部屋を出ていく。それは瞬く間に津彌を見つけて彼にのしかかるだろう。  筒野が端山に「落ち着いてください」と一言放つ。優しい声音だが、強く(たしな)めるような響きも含んでいる。やはり二人は齢が離れていても対等な関係を築いているらしい。  畳にグラスが置かれる。半分残ったジュースはゆったり小さく波打っている。  「ごめんね。動揺してしまった」  再び謝られ、敬陽は聞いてしまった自分が悪いような気がして申し訳なくなった。思っているよりもこの問題はデリケートで、部外者には理解できないくらい感情が絡み合っているらしい。その問題に自分は脚を突っ込んだ状態だということだけ、ぼんやりとわかった。  端山は、敬陽を真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと言った。  「津彌は、土地神様の座を奪うために、ご神体を盗んだんだ」  今から言うことは信じがたいだろうが、どうか信じてほしい。そう続けた。  「津彌は(よこしま)なものだ」  意味がわからなかった。  「よこしま?」  「悪魔とか、悪い鬼とか、怨霊みたいなものだ。人に取り憑いたり、破滅させたりする」  敬陽の思考が停止した。耳に入る言葉がどれも頭に定着しない。脳に辿り着いた瞬間にどろりと溶けてなくなっていく。  「澪汰さん、敬陽くんには少し難しいと思います。それに、その言い方じゃ津彌が人間じゃないって言ってるようなものですよ」  「なら、岳が説明すればいい」  うんざりした表情で端山が筒野を見返す。袖の中で腕組みをし、そのまま動かなくなった。  筒野は彼の不機嫌な態度をまるで無視して敬陽に笑いかけた。  「ちょっと信じられない話だよね。本当に津彌が悪魔みたいなものってわけじゃないんだよ。そうじゃないとも限らないけど……。そうね、私たちみたいに考えてほしいの。澪汰は神様と人間の間に生まれた者の子孫で、私はその神様の親戚の子孫って伝説があるって話したでしょ。津彌はそれの悪魔や鬼バージョン」  「伝説は実際とは違うかもしれないってことですか?」  「そうね。私たちも津彌もれっきとした人間だと思う。だけど、伝説が全くの嘘ってわけでもないの。神様だと言われている者が普通の人間ってこと以外は、大体伝説通りだと思う」  筒野は端山よりも流暢に敬陽に説明した。端山がつらつらと一文字ずつ言葉を紡いでいくのに対し、筒野はわかりやすく噛み砕きながらも流れる水のように語る。どちらが良いというわけではないが、主導権は完全に筒野に渡ったようだ。彼女が先祖にまつわる伝説を語りだした。  川のせせらぎのような声音に聞き入る。彼女が話している限り、冷房の風は渓谷を渡る涼風だった。
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