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好きな人に好きな人がいた。
祠の周りを囲む無駄にデカい木が、枝葉に覆われた真っ黒な腕で一人の女子生徒を抱き込んでいた。
夏休み中にここに立ち寄る生徒なんていないだろうと、補講をサボりに来たのが間違いだったと今更後悔が押し寄せてくる。
立ちすくむ俺の存在に気付かないまま、縁結びの祠なんて生徒たちの間で言われている古いだけのそれに手を合わせる女子生徒。長い黒髪に、校則通りの膝丈スカート。すっと伸びた後ろ姿。
補講をサボった罰にしては、重すぎるじゃないか。
暑さを煽るだけの風が吹けば吹くほど大きく揺れた枝葉の影が、先輩の背中を隠してしまいそうで。
「風原先輩、こんな所で何してるんですか?」
反射的に声をかけてしまった事を後悔してももう遅い。弾かれたように振り向いた先輩の青みがかった黒い瞳が俺を映す。
影のせいか、それとも俺に見られたせいだろうか。色白な先輩の皮膚に青が走る。
絶望、恐怖、羞恥。様々な感情が混ざり合った顔から、何もかも諦めたように、力ない笑みに変わった。
そんな表情すら綺麗だと思ってしまったことが我ながら気持ち悪い。それだけ先輩のことが好きなのだと、綺麗な言葉で取り繕ってもなお、気色悪さが拭えない。
風原冬美先輩。俺の好きな人。だけど今まで会話なんてしたことはないし、ただの一方的な一目ぼれだ。
まさか初めての接触がこんなことになるとは、さっきまで思いもしなかったけれど。
校舎の中に居た時は夏っぽくてテンションが上がっていた蝉の声も、今はただただ鬱陶しい。
「……ここ、よく来るんですか?」
傷を抉りに行っている自覚はあっても、先輩と話せるチャンスを逃したくないと強欲な自分が背を押してくる。
先輩は一瞬だけとまどって、また同じように笑みを乗せた。
「夏休みの間だけ来てるの」
「あー確かに夏休み中は人来ないですもんねぇ。俺も誰もいないかなって思ってきたんで」
木々が揺れて俺を影の中へと受け入れる。それがほんの少し、先輩との距離を縮めることを許されたみたいで嬉しくて。
それと同時に思い知らされる。顔すら知らないヤツが先輩の『想い』の先に居ること。たった数歩の距離が途方もなく遠いこと。
……俺は自分が思っている以上に傷付きやすい人間だったらしい。
今までだってカノジョはいたし、経験値だってそこそこある。振ったことも振られたこともあるし、それなりに傷付いたことだってある。でもそんな痛みを痛みだと思えなくなるくらい、痛くて苦しい。
「……風原先輩、好きな人いるんですか」
分かり切っていることを聞くなんて馬鹿だと分かっているけど、聞かずにはいられなかった。蝉の声と心臓の音が頭蓋骨の中を跳ねまわっている。掌は汗ばんでいるのに、指先は冷たい。
聞きたくて。聞きたくなくて。永遠にも等しい時間は、先輩が口を開いたことであっさりと終わった。
「……ずっと好きで、毎年夏休みだけここに来てたんだけどね。期間限定で来る人に神様は微笑んでくれないみたい」
寂し気に伏せられる目にまた痛みが主張を始める。
「…………俺も、叶わない恋をしてるんですよ。お揃いですね」
「……そっか。でもちょっと複雑なお揃いだね」
幾分か和らいだ表情に湧き上がる安堵と喜び。それと同時に浮かんだのは奇跡みたいなこの時間をほんの少しだけ繋ぎとめられるかもしれない方法。
「風原先輩。これを一人で抱え続けるのは辛いので『お揃い同士』、夏休みの間だけでいいので俺とお話ししてくれませんか。俺、二年の明石夏樹って言います」
「……うん。いいよ」
どれだけ細い繋がりでも良い。少しだけでも縋りついていたくて。提案と言うには自分本位で欲に満ちたものですら、先輩は丁寧に拾い上げてくれる。
良心につけ込んだ罪悪感がそうさせているのか、頭上から降ってくる蝉が俺を嘲笑っているように聞こえた。
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