安さの理由

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アパートの更新が近付いて来たタイミングで、今より良い条件の物件を検索していた。 「うわー、ここ良さそうだな」 今住んでるアパートよりだいぶ広くてペット可なのに今より安い。 次の週末に内見の予約を取り付け、内見前にアパートがある駅へ下見に行く事にした。 駅前には大きめの商店街があって、アパートのすぐそばにはコンビニもある。家族連れもいて住みやすそうな雰囲気だ。 内見当日、アパートへ到着し、部屋を見させてもらったが、これと言って不便を感じるような所はなかった。 「ここって、なんでお安いんですか?」と担当者に聞いてみると、 『見える人には見えちゃうみたいなんです。いやね、もちろんこちらで亡くなった過去は一切無いんですよ』と担当者は答えた。 俺はそういう事には鈍感だし全く気にならなかったので、その場で契約を済ませた。 後日引っ越しを済ませ、初めての夜。 引っ越しで疲れていつもより早めに寝たのだが、飼い猫のマロンのうなる声で目が覚めてしまった。 「マロン、どうしたの〜?」と声をかけてみるが、一点を見つめてうなっている。 マロンのそばに行って、同じ角度で同じ方向から目を細めて見てみると…「うわー!!!!!!」 髪の長い女性がうずくまっているのが見えてしまったのだ… 驚きと恐怖で心臓はバクバク。更新まで2年か🤦 安さに惹かれてこのアパートにした事に初日から後悔した。 さすがに更新までの2年間、この状況はツライのでその霊と話してみようと決心した。 意を決してその霊に話しかけてみる。 「あの〜、なぜここでうずくまってるんですか?」 すると霊は自分が見えている事にビックリした様子で顔をあげた。 恐る恐るその霊の顔を見てみると、若くて綺麗な女性だった。 ホッとした俺は、さきほどの質問をもう一度してみる。 霊は声を出そうとするが声は出ず、首を縦や横には振れるようだ。 質問を変えてみた。 「ここはあなたの家だったんですか?」と言うと、その霊は首を横に振った。 その霊を【霊子(れいこ)さん】と呼ぶようにして、毎日のように色々な事を聞いてみたが、霊子さんの答えはほとんどがハッキリしなかった。 そんなある日の事、いつものようにテレビを見ながら夕飯を食べていると霊子さんが急に泣き出した。 テレビに写った場所は、ボランティア活動が盛んな大学だった。 霊子さんに、ここに通っていたのかと聞いてみると首を縦に振った。 急いでその大学の名前をメモして、パソコンで検索してみる。霊子さんも釘付けになって見ている。やはり霊子さんが通っていた大学のようだ。 色々調べていくうちに、そこの学生が良く出入りしているという食堂を見つけた。 そこに行けば霊子さんの過去が分かるかもしれない。俺はそこに行ってみたくなった。 アパートからさほど遠くない場所にその食堂はあるようだ。 その食堂には、今まで通っていた学生の写真やノートが多数置いてあった。 この中にもしかしたら霊子さんの写真があるかもしれない、と必死になって探した。 いた! たくさんの友達の中に霊子さんが笑っている写真があった。こんなに素敵に笑える人なんだ… うちにいる霊子さんと写真の霊子さんは、それほど年齢が変わらないようだった。 写真に印字してあった日付のおかげでそれが10年前の写真だと分かった。「10年前か…」 食堂のおばちゃんにダメ元で聞いてみた。 「この女性知ってますか?」 するとおばちゃんが、あのノートに書いておけば?とアドバイスをくれたので、【霊子さんが写っている写真のコピーを貼り付けて、この女性に関する情報を教えて下さい】と記した。 その後はその食堂に1週間おきに来店したのだが、霊子さんに関する書き込みは全くなかった。 そして半年が過ぎた頃、ようやく霊子さんに繋がる情報として、ある新聞記事の切り抜きが貼られていた。 そこには霊子さんの顔写真と本当の名前が載っていた。そして、霊子さんの死因も。 その新聞記事によると、霊子さんはひき逃げをされ、全身を強打し即死。ひき逃げ犯は数日後に捕まったそうだ。 その記事をスマホで撮影し、食堂のおばちゃんにお礼を言いすぐさま食堂を後にした。 「やっぱりか…」 霊子さんが亡くなっている事はもちろん覚悟はしていた事だった。最近じゃ生き霊の可能性だってありえるんじゃないか、なんて自分に言い聞かせていたくらいだった。 でも新聞は事実を語っていた。知らなくても良かった事実を… さすがにその日は精神的ショックが大きく、帰宅してすぐ寝てしまった。 ん?ここはどこだ?見慣れない交差点だ。横断歩道を渡ろうとしている人がいる。 あ、あれは…霊子さん??一人なのにとっても楽しそう。誰かと通話してるのかな? んっ?車の音が…近づいてくる? 「霊子さんあぶなーーい」 自分の叫び声で目が覚めた。霊子さんが事故にあう寸前の映像を、夢として見ていたようだ。 しばらく震えとドキドキがおさまらなかった。 霊子さん、あんなに楽しそうに電話の向こうの人と話していたのに… 夢で見た映像を思い出し、涙があふれていた。 霊子さんはそんな俺の顔を心配そうにのぞいて来た。 「あ、ちょっと怖い夢見ちゃったんだ。でも大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」と霊子さんに言ってはみたものの、その後もしばらく涙が止まることはなかった。 夜が明けるまでまだまだ時間があるのに、またあんな夢を見たらと思うと眠れなかった。 結局外が明るくなってきた頃、意識を失うように寝てしまっていた。 あ、この交差点…霊子さんが…倒れてる。ん?霊子さんの体からモヤみたいなものが出てきたぞ!うわっ、すっごいスピードであっちに行った!俺も追いかけなきゃ。 俺は霊子さんの体から出たモヤを見失わないように急いで追いかける。 場面は俺が住むアパートの駐車場に飛んだ。 んっ?今駐車場に入って行った車、ヘッドライト割れてなかったか? その車を確認してみようとすると、霊子さんのモヤがその車の後を追ってきた。 霊子さんのモヤを追いかけて行くと…俺が住んでる階…俺が住んでる部屋??…その中にモヤは消えて行った… ブーブー ブーブー… 「んー?誰だこれ?」見知らぬ番号からだった。 「はい、もしもし」一応出てみたら、食堂のおばちゃんからだった。 新聞記事を見つけておばちゃんにお礼を言った時に自分の名刺を渡していたんだった。 「何かありましたか?」と聞くと、霊子さんの命日が近いから、お墓参りに一緒にどうかと誘ってくれた人達が今食堂に来てるらしい。 「すぐお店に行くので、待っててもらうよう言ってもらえますか?」と言って、すぐに食堂へ向かった。 食堂に入ると、一斉にこちらを向く男女数人。この人達が誘ってくれたのか。 「あのー、お墓参りに誘ってくださった方々ですか?」と聞くとそうだ、と答えてくれた。 その中の一人が新聞記事をノートに貼ってくれたそうだ。 おばちゃんが俺の事を話してくれてたようだ。さすがに半年もの間、食堂に通った熱心さが伝わっていたようだ。 『なぜそんなにこの子にこだわるの?』と、そのうちの一人が聞いてきた。信じてもらえなくてもいいから話してみようと思った。昨日とさっきまで見ていた夢の内容を事細かく話してみた。 霊子さんが楽しそうに電話で誰かと話していた事、猛スピードで走って来た車に霊子さんがひかれた事、その犯人が今自分が住んでるアパートと同じ部屋に住んでいた事、そして霊子さんが俺のアパートに霊となって住んでいる事。 その話を聞いて泣き出してしまう女性もいた。その女性は電話の相手で、サークルの話をしていた途中で電話が切れたそうだ。 その話を聞いていた皆は疑いながらも俺の話を信じてくれた。 霊子さんの十三回忌が次の日曜日にあるという事で、お墓のあるお寺の場所を教えてもらえた。 次の日曜日、教えて貰ったお寺へ行くと、すでに近所の食堂で会った数名が到着していた。軽く会釈をし、その近くでお焼香の順番を待っていると丸坊主の男性がこちらに近付いてきた。 その男性は遺族を見つけると遺族の前で土下座をし始めた。こちらの事など気にする事もなく大声をあげて泣いている。 何度も何度も頭を地面に付けて気の毒になるほどだ。 …もしかしてあの坊主頭の男性が霊子さんをひいたのか? 遺族が坊主頭の男性に手を伸ばし、男性は立ち上がった。 男性は立ち上がってからも、何度も遺族に向って頭を下げている。 遺族から焼香場所に促されると、霊子さんの遺影を見上げた。坊主頭の男性の背中が震えながらも手を合わせ祈りを捧げているように見えた。 霊子さんの遺影が一瞬笑顔になったように見え「ありがとう」と聞こえた気がした。 帰宅すると霊子さんの姿はなくなっていた。やっぱりあれは霊子さんだったのか… 霊子さんとはこのアパートに来てからずっと一緒だったし、霊子さんがいなくてちょっぴり寂しさを感じるのであった。
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