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 息を止めると自分の鼓動が聞こえた。  うるさいな、と思う。静かにして、と叱る。  窓を閉めておけばよかった。時折過ぎ去る車の走行音や通行人の話し声がやけに耳に響く。いつもは何も気にならないのに。  テーブルの中央に置いたスマホをじっと見つめた。  明るさを最大に設定した画面には大草原が広がっており、中央に橙色のニンジンが置かれている。私は瞬きも止めてそれを見張る。  少し経つと、画面の端からひょっこりと真っ白なウサギが顔を出した。そして辺りを警戒するようにきょろきょろと辺りを見回してから、一目散にニンジンへと駆けていく。  私は動いた。  音を立てないようにそっと、しかし力強く弓を引き絞る。矢尻をニンジンに夢中になっている標的へと向け狙いを定めた。  絶対当てる。  胸の内でそう呟いた。  ――新しい恋を射止めて、昔の恋を撃ち抜いてやる。    私は静かに指を離した。  解き放たれた弦に運ばれた矢が弧を描きながら飛んでいく。 『おめでとうございます! マッチングが成立しました!』  色鮮やかな画面を確認して、私はようやく息を吐いた。  やった。ついにやった。  私はついにウサギを捕まえたのよ。  喜びのあまり麻奈美に連絡しようとスマホを触ると、見知らぬポップアップが表示された。『IT』からの通知だ。  ――メッセージが届いています。  胸の奥がどきりと動いた。  画面をタップし、おそるおそるメッセージ画面を開く。 『はじめまして。マッチングありがとうございます。よろしくお願いします』  写真でしか見たことのない彼からのありふれた初対面の定型文。それを読んで私は少し笑ってしまう。  そうだよね。ウサギを捕まえて終わりじゃない。  むしろ、ここからだ。 『はじめまして。こちらこそよろしくお願いします』  可も不可もない挨拶文を打ち込む。  ……でも、これでいいのかな。ちょっと変わった挨拶のほうが彼の印象に残るかも? いやでもまずは無難なほうが好印象かしら。  書いては、消す。  消しては、書く。  ラブレターでも書いてるみたい、と可笑しくなってまた笑った。  開けっぱなしの窓から風がそよぐ。前髪が揺れて額をくすぐる。送信ボタンはまだ押せない。  その風は、薄っすらと緑の香りがした。 (了)
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