金曜日の推し活

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 まどかは以前、蓮に時には面倒な工程を省略したくならないのか、と尋ねたことがある。その時に返って来た、 「正直、面倒だと思うこともあります。  でも、それをやるかやらないかで料理の良し悪しが変わるのならば、俺はやる方を選びます。  人並ですが、自分が作った料理を食べて “美味しい”と思ってほしいです。それは、如月さんに限らず、他の依頼主にも。  手間かけることで、誰かの “美味しい”という言葉が引き出せるのならば、面倒だとしてもやらない選択肢はありません」  という言葉を真剣な表情を、まどかは今でも昨日のことのように覚えている。  思えば、この時に蓮が “推し” になったのではないかと思う。  と同時に、自分以外に蓮とマッチングが成立した依頼主がいるのだと、遠回しに言われたようで独占欲のような感情がまどかの胸中に顔を出したのも事実。  蓮に直接、他の依頼主の有無を尋ねれば容易い事だとは理解している。しかし、尋ねたら最後。この関係が崩れてしまうような気がして、口に出来ないでいる。  自分勝手だと思うが、蓮にとって自分が特別であってほしいという独占欲。(よこしま)な感情が、今宵もまどかの胸中に存在している。  まどかは蓮の邪魔にならぬように、リビングに戻り再びテレビの電源を付ける。バライティの賑やかな音声が流れていく。  蓮はおにぎりを焼き終わると小皿に移す。更に、魚焼きグリルで焼いていた鮭の切り身を取り出し、皿に乗せ箸で乾鮭色(からさけいろ)の身をほぐし小骨を取る。  ほぐし終わると、玉子焼き器をコンロの上に置き、油を引き火をつける。冷蔵庫から卵を二つ取り出し器に割入れ、液体の白だしと醤油を少々入れ菜箸で軽く混ぜる。玉子焼き器が温まると、卵液を半分入れ菜箸とフライ返しを使い巻いていく。もう一度、卵液を入れ同じ工程を繰り返す。  まな板に焼き上がったばかりの、だし巻き玉子を置く。粗熱を取る間に、片手鍋を取り出し水と白だし、少量の醤油を入れ煮立たせる。  小さめの丼茶碗に、焼おにぎりとほぐした鮭の身を入れると、その上からだし汁を流し入れる。丼茶碗からほかほかと湯気が立つ。  仕上げに、冷蔵庫に入っていた耐熱容器を取り出し、大葉や葱白ごまを振りかける。更に、だし巻き玉子を五等分すると皿に盛る。  丼茶碗とだし巻き玉子が乗った皿を、盆に乗せリビングまで運ぶ。 「出来ましたよ」まどかに声を掛け、テーブルの上に盆を乗せる。  今宵の晩御飯は、焼きおにぎりと鮭の出汁茶漬けと出し巻き玉子である。まどかの視線が料理に集中し、満面の笑みを浮かべた。   蓮にとってこの瞬間が、なにものにも代えがたい格別な瞬間である。 「熱いのでお気を付けて」と蓮が口添えをすれば、打てば響くように「いただきます」と手を合わせ匙を取る。  まどかがおにぎりをほぐし、鮭と出汁を合わせて口に運ぶ。焼きおにぎりの香ばしい醤油の香りと、出汁の均等が取れた味付けに目を細め味わう。 「美味しい……」思わず声が漏れた、まどかの姿を微笑を浮かべ見つめている。 「洗い物してきます」夢中で食べているまどかに、そう声を掛け蓮は台所に向かう。  最初、まどかが蓮に反応を送ったのは、彼の得意料理が“家庭料理”と書かれていたことが大きい。  cooking meet に登録している料理を提供する人は、蓮のような料理が好きな若者や誰かに自分の料理を食べて貰いたいと願う主婦も多いが、一番は食材のフードロス削減の解決を模索する飲食店店主の登録が多い。    まどかもアプリに登録した直後は、そういった所謂 “プロの味” を求めていた部分があった。だが、月に数回とはいえあくまでも晩御飯として食べることを考えると、普段口にしている家庭料理がいちばん無難なのでないか……。  そう思案し、反応を送ったのが蓮であった。    今から思えば、この選択は正解だったと言える。  蓮が作る料理は、家庭料理に人手前加えたものが多い。基本が今回の玉子焼きや焼きおにぎりといった、まどかがこれまで食べたことがある料理の為かどこかほっとする。まるで、幼い頃から食べてきた母の料理のような安心感。それが蓮が作る料理にはあると、まどかは彼の料理を食べるたび思う。 食べた人を和ませ安心させる、それは彼の料理の一番の魅力だ。  食べ終わるとまどかは立ち上がり、盆を手に台所へ向かう。  台所では蓮が調理器具の後片付けをしていた。 「ごちそうさまでした。ありがとう。美味しかった」  まどかは台所を覗き声を掛ける。蓮は手を止め、まどかに視線を送ると「どういたしまして」と返す。 「もう終わりそう?」まどかが問えば、「すぐ終わります」と打てば響くように返ってくる。  蓮は毎回、シンクに水一滴残さぬように後片付けをしてから暇を告げる。蓮は、他人のキッチンを使わせてもらっているのだから当然、と言うがまどかにとっては感心するばかりである。  この日も、いつものようにシンクの水滴を布巾で拭き取る。 「終わりました」まどかに声を掛ける。 「お疲れ様。ありがとう」まどかが礼を言い、蓮と入れ違いに台所に入り盆をコンロの横に置くと、どんぶり鉢や皿などをシンクに入れていく。  まどかがこれらの洗い物をするのは、自分のルーズな家事のやり方を見られたくないという自分勝手な理由で、決まって蓮が部屋を後にしてからである。  まどかの後ろで鞄を整理していた蓮に歩み寄る。 「日高君。今日の分、運営の口座に振り込んでおくね」  まどかに声を掛けられ、蓮は何度も頷く。 「了解です」蓮は今日分の金額を呈示する。  意外に思われるが、cooking meet の料理を作る人と食べる人の間には、金銭のやり取りが存在する。まどからが振り込んだ金額の内、二割が運営の手数料となり残りの八割が蓮らの収入となる仕組みだ。  故に、登録者の中にはバイト感覚で料理を提供する若者も多い。蓮もその一人だろう。
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