金曜日の推し活

7/11
前へ
/11ページ
次へ
 友人らと駅で別れ、蓮はひとり帰路に着く。  一人暮らしをしている、アパートの部屋の前で鞄から鍵を取り出し鍵穴に挿す。鍵を回すと、ガチャリと音がし開錠した感触が伝わる。  鍵を抜き、戸を開け中に入る。素早く戸を閉め、再び鍵を掛ける。  締め切った部屋は、梅雨特有のムッとした蒸し暑く生暖かい空気で満たされ、蓮の肌にまとわりつく。  蓮は部屋の電気を付け、荷物をテレビの前にある机の上に置く。  大学生の一人暮らしにしては、やや殺風景な1DKの部屋。  部屋の空気を冷やそうと、エアコンのリモコンを手に取り冷房の電源を入れる。ガタガタと機械音がし、吹出口が開き冷たい空気を吐き出す。  部屋や冷えるまでの間、蓮はベランダに出て待つことにした。  ベランダに出れば、時折涼しい風が吹き涼を得ることが出来る。  時刻は午後九時半を過ぎているが、辺りの建物の灯はまだ灯っている。空を見上げれば、昼間は梅雨の中休みという表現が良く似合う、快晴だったのが今では、雲に覆われ鼻から息を吸えば微かに雨の匂いがする。  蓮はぼんやりと風景を眺めながら、飲み会の席で言われたこの先のまどかとの関係性について考えを巡らせる。 “蓮はいつまで、その依頼受けるんだ?” “依頼人がこれからも蓮を選んで…今風に言うと推してくれるとは限らない―” “依頼人が蓮の料理を残さず完食しているのも、もしかしたら依頼している側だから…ということもあり得るだろ―” “アプリに金銭的なやり取りが存在する以上は、依頼人の言動が全て本心だと思わない方が―”  現実主義である友人に言われた言葉が、蓮の頭を掠め盛大にため息を吐く。 「いつまでか……」ベランダの(へり)を両手で掴み、独りごちる。  一人暮らしをはじめて、格段に独り言が多くなった気がする。漏れる言葉は全て、空虚に吸い込まれてしまう。 そろそろ、関係を見直した方がいいのかも知れないな―。  そう思案すると、鉛の錘を呑み込んだかのように胸が重くなる。  蓮はまどかの友人でもなければ、ましてや恋人でもない。ただ、月に数回、依頼され料理を振る舞うだけの関係。  そのような自分が、関係を見直すかどうか、振り子のように揺れ動いている。  蓮は自虐的にふっと鼻で笑う。  一年程前。アプリに登録した当初は、まさか自分がこのようなことで悩むとは思ってもなかった。    だが、友人の言い分も決して的外れではない。いつか、まどかが自分を必要としなくなる時が必ず来る。  蓮とて、いつまでも依頼を受けられるとは思っていない。  その内、考えればいいと思っていた。せめて、大学を卒業するまでは、今のままの関係でいられると思っていたのだ。  しかし、現実はそう甘くはない。時間は有限で確実に過ぎていく。  蓮が cooking meet に登録したきっかけは、大学入学を機に一人暮らしを始めたことが関係している。  それまでは、料理を振る舞う相手と言えば両親ぐらいのものであった。しかし、大学入学を機に一人暮らしを始めると当然だが、自分で作った料理を食べるのは自分のみである。  自分だけの為に料理を作るという状況に、最初の頃は実家で暮らしていた時と同じように、手間をかけて調理していた。  が、入学して一年も経つと、大学生という身分故の勉学や友人との付き合いなどで、料理する時間もなければ面倒くささも手伝って、入学当初のような料理に時間を掛けることがなくなり、良くて簡単なものを作るか、最悪出来合いのもので済ます、という有様であった。  せっかく、料理を趣味としているのだから、このままふいにするのは勿体ない。  そう思案していたところ、既に世間で話題となっていた“料理を作る人と、食べたい人を繋ぐマッチングアプリ”という文言と共に、cooking meet を知り、モチベーション維持と小遣い稼ぎになるのなら…という邪な思いもあり、登録した次第である。  確かに登録し、まどかとマッチングが成立した当初は料理を作り食べて貰えるだけで、お金が手に入ることに魅力を感じていたことは事実。  だが、まどかが必ず残さず完食してくれること、またどのような料理を作っても喜んでくれることで、どこかで誰かが自分の料理を欲し認めてくれているという、自分の料理への自信にも繋がっている。 そろそろ良いだろう―。  蓮はベランダを後にし、部屋に戻る。  クーラーが利いた部屋は、肌寒い程で再びエアコンのリモコンを取り、設定温度を数度上げる。    ズボンのポケットからスマホを取り出し、ベッドに寝転ぶ。  cooking meet のアプリのアイコンに触れる。アプリ内のまどかとのメッセージ画面を表示させる。    そこには、マッチングが成立してから今までにまどかと交わしたやり取りが表示されている。  マッチングが成立した当初は、お互いぎこちないやり取りだったものが、徐々にぎこちなさも薄れ自然なやり取りに変化していく様が(つぶさ)に記録されている。    蓮はふと、視線を右に向ける。  視線を向けた先の中央には、テレビ台がありその上にテレビが置いてある。  テレビ台の左右には、両開きの棚が置かれ、中には料理のレシピ本がぎっしりさしてある。  このレシピ本は、実家から持ってきた物もあるが、大半は一人暮らしをはじめてから…正確に言えばまどかに料理を振る舞うようになってから、買い集めたものである。    メッセージでのやり取りも、買い集めたレシピ本も、蓮にとって記録であり思い出てあり、何より手放したくないと所望するものである。 可能な限り、この関係を保ちたい―。  そう思案するが、一方で関係を見直すべきだと思っていることも事実である。  これからのことに関して、振り子のように揺れ動く自分が、以前のようにまどかの元へ料理を作りに行くべきではない。  料理中は自分と向き合う時間―。と蓮は日頃思っている。故に、自分の感情に揺れが出れば、作る料理にも影響する。  調味料を入れ過ぎれば味が濃くなり、火を入れ過ぎれば固く時には焦げ付いてしまう。料理というものは、恐ろしく繊細で素直なのだ。  この、繊細さと素直さに蓮は魅了されている、と言っても過言ではない。  自分で食べるだけならばまだ良い。此度のように他人に食べてもらうのなら、そのようなことはあってはならない。    蓮は再び、スマホに視線を向ける。画面には、先程と変わらずまどかとのやり取りが表示されている。  蓮は暫し思案した後、文字を打ち込む。 『こんばんは。  次回の依頼についてですが、暫く依頼をキャンセルさせて……』  ここまで打ち込み、何度目かのため息をひとつ。  このようなメッセージを送ったところで、まどかを驚かせてしまうことは火を見るより明らかであった。また、理由を上手く説明できる自信もなければ、かと言って誤魔化すことも罪悪感がある。  蓮は自分の感情を言語化するのが、苦手な質である。 恐らく、引き留められたら振り切れない―。 なにも言わず退会した方が―。  蓮はメッセージ画面を閉じ、自分のアカウント情報が書かれた画面を表示させる。  そこには、蓮の個人情報が表示されていた。蓮は歯車のマークに触れ、メニューから退会を選択する。  退会に関して確認の画面が表示されると、蓮は間を置いてから“はい”と書かれた部分に触れる。  後ろ髪を引かれないように、アプリを消去する。  時間としては、数分の出来事だった。だが、蓮には何十分、何時間の間に起こった出来事のように感じていた。  スマホを操作しただけなのだが、気が付くと動悸がし胸の鼓動が早くなっていた。クーラーが利いて涼しいはずが、身体が熱く薄っすら汗ばんでいる。  呼吸を整えると、蓮は身体を起こす。 やってしまった―。  今になって、自分勝手な理由で退会しまどかを裏切ったことへの罪悪感と後悔、二度とまどかと関わることがないことへの寂寞たる感情が胸に迫り、蓮は膝を抱え顔を膝に押し付ける。  殺風景な一人っきりの部屋に、蓮の荒い呼吸音だけが響いている。          
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

62人が本棚に入れています
本棚に追加